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想像力+α
他者理解ってのは自己理解の先にあるものだと思っていた。
だから私は「私はあなたを完璧に理解する事はできない。それでも、あなたの事情や心情を想像して理解に努めることはできる」という姿勢を持つようにしてきた。
そして、その姿勢を実践するためにも「自分が当事者である内にしっかりとその時々の感情を噛み締めて生きていこう」そう心に決め今まで生きてきた。
しかし、相手に対して理解を示す際に、この感覚だけで安易に自分の想像力と共感力を使用すると、そこには多くの危険が潜んでいるという事を、私は今までの人生で学び得た。
感受性と想像力の豊かさは必ずしも良い結果を招くとは限らないからだ。
相手の立場を想像する事。
それよりも更に重要なのは「相手のために働かせた想像力で本当に自分自身が傷付いたり責任を感じて心を病まない事」なのではないだろうか。
それは誰の為にもならない。
そばに寄り添う自分というが傷心していたら、寄り添われる方もいい迷惑だ。
想像はあくまでも想像。
人のために自分が傷付かないこと。
理解を示すという態度にはその様なタフさが必要不可欠であると私が思う。
優しい人間や理解のある人間を目指すなら尚更、そういった精神的なタフさが必要だ。
それは他人のために自分が傷付かないという、ある種の冷酷さも含んでいるが、結果として相手のためになるのは、そういった冷酷さを含んだ優しさなのかもしれない。
想像力+α
自分の想像力を人の役に立つ形で発揮する為にはその+αが大事だ。
俺はタフさを選んだ。
あなたは何を選ぶ。
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