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ファッションセンスは虚栄心を栄養に育つ

私は現在25歳。高校を卒業し制服という学生のユニフォームから解き放たれた18歳から約7年が経過しました。

大学での4年間に加え社会人になってからの3年間の計7年間は、巨大な虚栄心を栄養に自らのスタイルを磨いた7年間だったと思います。

あれが欲しい。
これが欲しい。
こういう服装がしたい。

そういった感情を素直に満たし続けた7年間だったと思います。

私の実家が大富豪であったのなら、その年数はもっと短かったかもしれませんが、自分の虚栄心を食い潰すまでに、私の経済力では約7年の月日がかかりました。

見栄虚栄心というのはあまり良いイメージを持たれる事のない言葉ではありますが、人が自分を磨くという事において凄く大事なものだと私は思います。

その感情がなかったら、私の着る服は18才の頃から何ひとつ変化しなかったかもしれません。

カッコいいと思われたい。
センスがあると思われたい。

そういった感情が今の自分を作り上げてくれたのだと私は思います。

見栄っ張りな自分というものがいなかったら、磨かれない自分というものがあったと思います。

「虚栄心に振り回されている自分」のような一見するとカッコ悪い自分というのも、大切な自分自身なのだと私は思います。

嫌悪感を抱くのではなく、抑圧するにではなく、そういった自分の虚栄心を栄養に自分自身を高めていけば良いのです。

合理性は個性を生まない

私は最近、張りたい見栄というものがなくなってきてからというもの、物欲に振り回される事がなくなりました。

購買活動というものが非常に合理的に行える様になったと思います。

そういう「自分のスタイルを築いた自分」にどこか充実感を感じながらも「これはマズイ!」とも思っています。

合理的な判断を積み重ねた先に人間としての彩りは生まれないと私は思っているからです。

一見すると非合理的な判断や行動が、後から振り返った時に自分の個性としての良いスパイスになっているという事が多々ありました。

合理的な判断を下せる様になった今だからこそ、非合理な判断も自分の人生に組み込んでいきたいと思っています。

合理的な判断と非合理的な判断、そのどちらも自分の魅力に昇華していけるような人間になっていきたいです。

おわりに

ハイキューの及川君の「才能は開花させるもの、センスは磨くもの」って言葉が私は凄く好きです。

超太郎風に言い換えると「身長は活かすもの、センスは虚栄心を栄養に磨くもの」です(笑)

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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