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賢治先生は私達に「水源の水を真っ先に受ける田んぼを
『うなん田』というのは何故ですか」と訊かれました
「分かりません」と答えると先生は
「太古の昔、日本のある神様が中国の長江上流には稲という
植物があり、これが栄養もあり、何年も保存できると聞いたのです
しかし、その頃の稲は秘密の植物で、他国には知られてはいけない食べ物だったのです
そこでその神様は狐に姿を変えて長江へ渡り
雲南から種籾を茅の茎に隠して日本に持ち帰ったのです
雲南から持ち帰ったので最初の田んぼを『うなん田』と呼ぶのです
そして田植えの時、40センチ程の茅の茎を田に刺しますが
これも種籾を入れた茎を表しています
この神様の名を『お稲荷様』と呼び、稲の荷と書きますが
口に筒を咥えているでしょう」と答えられました」

これは宮沢賢治が農学校の教室で語った言葉を
生徒が覚えていたものです
現在の稲作の起源は、DNA分析で長江中流〜下流域であることが
判明していますが
当時の宮沢賢治先生が「うなん田」と「茅の茎」から推理されたのか
謎です
稲の伝播には複数の道があり、様々な部族が関わったと思えば
狐を祖先神とする部族に混ざった倭人が持ち帰ったとするのも
アリかもしれません😍
これは以前書いた記事ですが
稲作が始まった弥生時代の人々の活動範囲の広さを知って
再度アップしました😅


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