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父記録 2023/6/17「なちゅやしゅみ」

父記録 6/17
晴れ、夏日
今日も父はよく眠っている。穏やかな顔をしていた。
鼻からの酸素と、右腕の点滴からの栄養と水分と薬が父の命を繋いでいる。

「お母さんが保育園に勤め始めて、初めての夏休み、ともちゃん喜んでねえ。『なちゅやしゅみ、なちゅやしゅみ〜』って。
お父さんはゴローズ行ってたけど、お母さんとともちゃんでのんびりゆったり過ごしてね。

お母さん働き始めるまで、3歳くらいまではずっとお母さんとべったりだったのに、お母さんお店出すお金貯めるために急に働き出したからね。夏休みが終わってからも『なちゅやしゅみ、はやくこないかなあ』って。」
母が懐かしそうに、愛おしそうに話す。
「小笠原行ったのはともちゃん、幾つだった?」
「小1。」
家族で1か月小笠原に行ったのは、店を出してから初めての夏休みだった。初めての、三人揃っての長期休み。

「小笠原行った時、お父さんが潜ってウニ採って、割ってくれて、売ってるのと違って身なんかほんのちょっとなんだけど、おいしかったわねえ。初めてウニっておいしい!って思った。お父さん、自分だって大好きなのに、採ってきてはお母さんとともちゃんに食べさせてくれて。」
覚えてる。
真夏の小笠原の、誰もいない入り江に小舟を浮かべて、三人で長いことウニを食べながら真っ黒に日焼けした。
私は「ウニってちょっとキモいな…」って思ってた。
父は大好物のカニだって、いつも器用に剥いてはお皿にこんもり盛って、私たちに渡してくれた。
母は「カニを食べるのは好き。剝くのは嫌い。」と言いながら嬉しそうにそれを食べた。そんな母を見ながら父はやっと自分の分のカニを剝くのだった。

父の胸がゴロゴロと鳴っていた。
「げんき?だいじょぶ?…げんきじゃないか。」
母がしょんぼりと言った。

「ともちゃんはね、お母さんが『常識的にならないように』って育てたの。自然のまんま、感じて考えるように、って。」

父が咳をした。
思い切り咳をして痰を出せたら良いのだけど、そこまでの力はない。
声を発することもほとんどない。
ジュースを舐めることもない。
窓の外は青く青く晴れている。

なちゅやしゅみ、なちゅやしゅみ。

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