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父記録 2023/6/15


晴れ、涼しい。
父の呼吸は少しゴロゴロしていた。
足はあたたかい。
大きな窓から気持ちのよい日差しが差し込んでいた。
テレビの音もなく、静かな病室に父の呼吸音が響く。

「よく寝てるねー、気持ちいいねー。あたしたちのこと、夢にでも見ててね」
母が優しく声をかけた。
「顔色はいいね。」
「なんだか昨日より顔が茶色くなったみたい。日に焼けたのかしら」
父の顎ひげが日に当たってきらきらと光っていた。
ここでは看護師さんが部屋に飾ってある父の写真を見て、似た感じになるように父の髭を整えてくれている。
「この頃は、希望に満ち溢れた顔してるわねえ」
父の枕元の写真を眺めながら母が呟いた。
35歳くらいだろうか。きらきらした目をして笑っている父。
父の呼吸音がゴロゴロと響く。
父の足を揉む。
母「お父さんは変化が好きだったからね。革やって、シルバーもやりたいけどゴローさんに対して畏れ多く思ってなかなか踏み出せなくて。シルバーやり始めて軌道に乗ってたけど、本当は絵がやりたかったかもしれないわね」
私「コロナで会えない間、特養で描いてたよ」
母「描けばいいってもんじゃないのよ」
厳しいな!
母「絵や、現代美術でやっていくっていうのはね、実力だけじゃなくて色んな条件が揃わなきゃ出来ないのよね。」

私「お父さんがどうしたかったかは分からないけど、体が本当に動かなくなるギリギリまで何かを創り続けられたのは幸せなことなんじゃないかなあ」
母「そうね…」

ずっと二人三脚で、いや何なら演出家のように、監督のように父と共に歩いてきた母としては我が事のように「ああも出来たかもしれない、こうもしたかったかもしれない」と悔やむ気持ちが出て来るのだろう。

自分ごととして考える時、私は出来るだけ長く、何かを創ったり表現したりしていたいと思う。願わくば、死ぬまで。

「お父さんは都会が好きだったから、西新宿の施設にいた時は嬉しかったと思う。高層ビルが見えて。」
5年ほど前、介護疲れしていた母に休んでもらう為、父に当時の私の自宅近くの施設に入ってもらった。
新婚時代に二人ではしゃいで夜を明かしたと言う中央公園のすぐ近く、古い病院に併設された民間の介護施設。
民間だからなのか、妙に緩くて自由な施設だった。
そこで父は素晴らしい介護士さんに出会った。
金髪でハスキーボイス、目の周りを真っ黒く塗った、女性ロッカーみたいなKさん。

Kさんは父と一緒に真夜中のリビングでネックレスを組んだり、近所のホテルのバーや喫茶店にコーヒーを飲みに連れ出してくれたりした。
父は要介護になってから五つの施設を転々としている。
パーキンソン病は環境の変化に弱い病気だから、新しい環境に移る時はいつも不安だった。
けれどもそんな心配を他所に、父はいつだって驚くべき早さで新しい場所に馴染んだ。
「お父さんはその時どきに置かれた場所を楽しめる人だからね」
母が言った。

とんとん。
「村田さーん。点滴の交換しますねー。」
歌うような明るい声が聴こえ、点滴液を抱えた看護師さんがやってきた。
ここの看護師さんは皆、花のようだ。

時計を見ると、もう面会の制限時間の2時間を過ぎていた。
「あらもうこんな時間。家にいるみたいな気がして、時間が経つのを忘れちゃうわね。お父さんがいるところが、うちだからねえ。
でももう出なくちゃね。」
母が言うと看護師さんは
「ふふふ、まあ、少しくらいは、ねえ?」
といたずらっぽく笑った。

「元気で息しててねー!息して寝てるのよ。
…あら?あら?息してる?…」
母が父の顔に耳を近づける。
父の胸がゴロゴロと鳴った。
「ちゃんと息して生きてなきゃだめだからね〜!」

病院を出ると涼しい風が吹いていた。

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