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父記録 2023/4/26

4/26

15時に母と病院前で落ち合う。
父は右に傾いて眠っていた。
母が「きたわよー」と言って父の手を握り
「悪いの悪いの飛んでけー!ほらっ投げたわよ、飛んでけー!」と窓の外に何かを投げる仕草をした。
外は雨。
空が白い。
父に反応はなかった。
今日も父の足を揉む。
最初は反応がなかったが次第にもぞもぞと足が動き出した。

私「お父さんの足を触ってるとさ、自分の足とそっくりでいつもびっくりするんだよ」

母「あら。ともちゃんの足はぽちゃぽちゃしてるじゃない」

お母さん…私もうアラフィフだよ、もうそんなぽちゃぽちゃしてないよ…(たるんだりはしてるが)

私「骨とか形が似てるんだよ。足って結構みんな形違うでしょ」

母「そうなの?じゃあお母さんの足とは似てないの?」

母は靴を脱いで足をこちらに差し出してきたので触ってみた。
「うん….ちょっと違うね」
と言うと母はなんだかちょっと寂しそうな顔をした。

私「あと、耳も似てるなって思う」

母「そうよ、ともちゃんの耳はお父さんの耳よ」

なぜか耳の方はすんなりと賛同が得られた。

看護師さんがやってきて痰吸引をしてくれた。
父は苦しそうに手をばたつかせた。
苦しいのはかわいそうだけど、痰吸引に反応があるのはいいことだ。緊急搬送された日の朝の父は痰吸引にもほとんど反応しなかったという。
母と二人で応援した。
「お父さん、がんばれがんばれ」
吸引が終わると拍手喝采した。
おつかれさま。

母に父と出会った頃の話をせがんだ。
社交的で賑やかだけど極度の照れ屋の母は今までなかなかその頃の話をしてくれなかったのだが、今日は話してくれた。
二人の馴れ初めを訊いているのに母の話はあっちへ飛びこっちへ飛び。その度に軌道修正しながら、記憶に刻みつけるように必死で聞いた。
父は時々微かな声で何か言うが聞き取れない。かと思ったら急にはっきりと
「なにかたべるもん、ない?」
と言った。
「今は食べられないけど、管から栄養送ってるから、元気になったら食べる練習しようね」
父はまた眠った。右に傾く度に母と二人で頭と体を抱えて起こした。

「お父さんは高卒だったけど、お母さんが美大で教わったようなこと、みんな独学で知ってたり分かってたりして、お母さん『この人は磨いたらモノになるな』って思ったのよ」
「お母さんの育てたものはみんな上手くいくのよ。お父さんも、ともちゃんも、犬も。みんな立派に育った。お母さんだけ誰にも育ててもらえなかったわ」

お母さんは、お父さんに育てられてきたんじゃないのかなあ…と思ったが怒られそうなので言わなかった。

「お母さんは、周りにいないような面白い人が好きだったの。お母さんの親戚は銀行員とかお医者さんとか、立派な職業の人ばっかりで、そういうのつまんないってずっと思ってた」

母が成人式の時に無理矢理撮らされたというお見合い用の写真を見たことがある。
二十歳の母は振袖を着て、ものすごく怒った顔でこちらを睨みつけていた。

因みに父は当時無職。沖仲仕(おきなかし。船と陸の荷揚げ荷下ろしをする仕事)で日銭を稼ぎながら現代アートの活動をしていた。母にプロポーズした時も父は変わらず無職で、銀行員だった母方の祖父母には大反対されたそうだ。なんて無謀。

父はまたどんどん右に傾いて、右手を伸ばして鉄腕アトムが飛んでる時みたいな格好になっていた。ばびゅーん。

「だれかいる」
父が急に声を出した。
「お母さんとともちゃんがいるよ」
と答えるとまた、
「だれか、いる」と言った。
「お母さんとともちゃん以外に誰かいるの?」
と尋ねると「うん」と言った。
誰なんだろ。

母の昔話をたくさん聞いて、いつのまにか面会制限の二時間が経とうとしていた。
「お父さん帰るね、また来るね」
「明日も来るわよー」
と二人で声をかけると父が目を開いて天井の方を見ながら何か言った。
父「はねが、降ってくる」
私「え、羽根が降ってくるの?いいじゃん、素敵じゃん」
母「ほんものの、鳥の羽根でしょう?」
父「ちがう」
私「えー、じゃあ何の羽根〜?」
父「ぎんの」
私「え」
父「銀の…羽根…」
母「やだあ重いじゃない」
私「お父さんが作った銀の羽根?」
父「うん」
私「みんなお父さんの作った銀の羽根が大好きだよ」
母「よくできてるからね!繊細でね!」

お父さんまたね、また明日ね。
父は病室を舞う銀の羽根をじっと仰ぎ見ていた。

仕事場に戻ると主治医の先生から着電。
反射的にドキッとしてしまう。
「胃管は順調で、充分な栄養と水分が摂れています。明日には点滴も外れる見込みです。来週胃カメラで検査をして問題なければ胃ろうの手術をし、上手く行けば栄養も水分もお薬も胃ろうから摂ってゆけるようになります」
よかった。
お父さん、がんばれがんばれ。

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