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父記録 2023/6/18


晴れ、夏日。
父の日である。
母はお休みで、一人で面会に向かった。

今日も父は眠っている。
穏やかで、すっきりとした顔をしていた。

「お父さん、おはよう。お父さん、きたよ、おはよう」
何度か声をかけると父は微かに言葉にならない声を出した。
「お父さん、聴こえてる?」
と訊くと「ああ…うん…」と掠れた声で返事をしてくれた。
「今日は父の日だからね、お父さんにお礼を言おうと思って。」
カーテンを開けてベッドサイドに腰掛けて、父に伝えておきたいことを一人で喋る。
「お父さんが倒れて、国立のお店を閉めてから丁度十年だよ。
あの時はお店継ぐなんて思わなかった。
お店閉店した時、『残したい』とは思ったけど、無理だなって。
でも閉店した後残ってたオーダーをお母さんと整理して、お客さんに連絡取って自分でやれるものは作って渡したり、出来ないものは返金したりしながらお客さんと話すじゃない?『あーみんな、お父さんの作ったものに愛着があるんだなあ、これからも続いて欲しいと思ってるんだなあ。私がやらなかったら終わっちゃうんだなあ』って思って。
それで、Tさん(夫)もね、『やるべきだし手伝うよ』って言ってくれたから、やろうと思ったの。でもさ、私お店手伝ってはいたけど何にも分かんなくて、仕入れ先の人や昔働いてたI君に色々教えてもらったり、お父さんの居た長野の施設に行って鹿革の三つ編み教えてもらったり、したね。
お父さんの書いたメモとか、原型のリストとか、雑誌のインタビューとか見て、調べたりして、何にも分かんないとこからちょっとずつ。経営なんて、したことなかったし。
国立のお店閉めてから十年。私とTさんで幡ヶ谷の小さいアパート借りて、再開してから七年。ずいぶん立派になったよ。
昔のお客さんも、インターネットで検索して見つけて来てくれたり、新しいお客さんも増えたよ。
コロナの時期になって、お店閉めなきゃならなかった時に配信、YouTubeみたいなやつ、始めてね、今も毎週やってるんだよ。
お父さんの作るものはずっと残るからね。
二代目だから、きっとお父さんには分からなかった魅力も見つけられるんだと思うんだよ。
お父さんはゴローさんのコピーでもフォロワーでもないよ。ゴローさんから学んだことを、自分のやり方で発展させて来た人だよ。
そんなのお父さんが一番分かってるか。
そしてそれはこれからも続いていくよ。
私はこどもいないから、この次の世代に繋げられるかはちょっと、分からないけど、四年後に創業五十周年だから…六十年は行きたいね。七十年、行けるかな?
それからね、昔来てたお客さん、私と同じくらいの歳のお客さんたちの子どもたちが来たりもするんだよ。お父さんの作ったものがこの世の中に沢山あって、そうやって繋がっていくんだね。すごいことだね。」

父の右目が少しずつ開いた。
こちらを見ようとしている、ような気がした。

再び目を閉じた父の顔を眺めながら、後はただぼんやりと座っていた。

「今日は父の日なので、よかったらお写真いかがですか?」
看護師さんがデジカメを持って来て写真を撮り、台紙をつけてベッドサイドに貼ってくださった。
数日前には父の日が迎えられないかもしれないと思っていた。

「お父さん、ありがとうね。また明日ね。」
父はまた眠っていた。
外に出ると、夏の夜の匂いがした。

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