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私の好きなおじさん

2022.1.27 アマンダ猫支援ブログより

父には親友が居た。上田さんという。
北海道から上京して、舞台の大道具作りのバイトをしていた頃に知り合ったという。
一緒に大森の安アパートに住み、日雇いのバイトをして、いつもつるんでいて、母と知り合った時も一緒で、新婚旅行まで一緒に行ったという。
母は始め、どちらと付き合ってるんだかよくわからなかったそうだ。
父が母と結婚して上田さんは高知の実家に戻った。
家業の農業をやりながら整体院を開き、その腕前はゴッドハンドと言われ地元でも有名であった。
上田さんには放浪癖があり、世界各地を旅しては戻ってきて、農業と整体をする。
その合間にふらりとうちに立ち寄るのが常だった。
いつも上田さんは突然やってくる。
ふらりと来て数泊してふらりとまたいなくなる。
うちに来た時はいつも旅先や地元で起こった面白い話や不思議な話を聞かせてくれた。
インドで盗賊に襲われそうになったが、落ちてたでっかい石を拾って空手チョップで割って見せたら逃げて行った、とか
(上田さんは空手と少林寺の名手だった。)
「近所の子どもたちをトラックに乗せて遊びに連れて行く時、いつも1人多いんだ。
クロスケぜよ。座敷わらしみたいなもんだな。
よく縁側をとことこ走り回っちゅーんだ。
急に電気を消したり、お菓子を盗み食いしたりしてイタズラするがぜよ。」
なんて話をいつも私は驚いたり笑い転げたり、ちょっと怖がったりしながら聞くのだった。
父も母も上田さんが来ると若い頃に戻ったようにはしゃいで、三人で朝方までお喋りをしていた。
上田さんは整体師だったから、来るたびに両親の体を診てくれて、「お腹と頭はよく揉めよ」とか、「体の硬いところに力を入れて、一気に抜くんだぜよ」と教えてくれた。
中学生の夏休みには友だちと2人で上田さんの家に遊びに行った。
畑からトマトやオクラをもいで食べたり、澄んだ川で泳いだり、初めてハエトリ紙を見たり、夜中にトラックに乗って山に行き、トラックの屋根に寝っ転がって星を眺めながら採りたての蜂蜜をつけた食パンを食べたりした。
帰りの新幹線の中で棚に乗せた荷物から、お土産にもらった蜂蜜が垂れてきたりした。
眠れない時、今でも私はあの時の澄んで澄んでどこまでも深い川に沈んでいくところを思い浮かべる。
上田さんはずっと独り身で、風来坊だった。
そんな上田さんが、恋をした。
私が成人した頃だったと思う。
ヨーロッパを放浪して帰ってきた上田さんはいつものようにうちにやって来て、
「恋しちゃったんだよ〜アマンダちゃ〜ん」と言った。
旅先で出会った20歳近くも歳下のイギリス女性に恋してしまったんだそうだ。
写真を見せてもらった。
NHKのドラマの「まっさん」に出てくるエリーみたいな金髪美人だった。
「こりゃ無理だわ〜」と誰もが思った。
上田さんちは農家で、上田さんは長男で、もう50歳になろうとしていた。
20歳も上の英語も話せないそんな日本人のとこにイギリス美人が来てくれるとはとても思えなかった。
そんな周囲の心配をものともせず、上田さんは「アマンダちゃん、アマンダちゃーん」と言いながらイギリスにプロポーズしに行った。
後から聞いたところによると、アマンダと文通友だちだった上田さんの友人が、プロポーズの言葉から礼儀から、親御さんへの挨拶まで丸暗記させてイギリスに送り出したのだという。
驚くべきことにアマンダさんは上田さんのプロポーズを承諾した。
アマンダさんはジャッキーチェンの大ファンだったのだ。
前述のように上田さんは空手と少林寺の名手だった。
そして、上田さんは何となくジャッキーチェンに似ていた。
上田さんの地元は騒然となったそうだ。
風来坊でゴッドハンドの上田先生のところに若いイギリス人のお嫁さんがやってくる!と。
アマンダと結婚してからの上田さんは風来坊をやめて、うちに来ることも少なくなった。
そうこうするうちに父はパーキンソンを患い、連絡を取ることもなくなり、10年くらい前のある日、ふと父が電話をかけたところ、数ヶ月前に病気で亡くなった、と言われた。
アマンダは日本語が読めなかったから、上田さんの友人に連絡することも出来なかったのだろう。
びっくりして、でも父の病気に伴うてんやわんやでお線香を上げにゆくことも出来ずに何年も経った。
そのことがずっと気に掛かっていた。
父の病気は進行して、特養に入った。
差し入れのお菓子を持って行くと父はよく「上田にも上げていい?」と言った。
「上田もいるよ」とか、「上田、お腹空かしてるんだよ」と言ってお菓子を自分の横に差し出した。
私は今年10月に高知大道芸に呼ばれた。
真っ先に思ったのは上田さんのことだった。
Googleストリートビューに住所を入れて見てみた。
見覚えのある家がそこにあった。
アマンダはきっともういないだろう。
若かったし、イギリスに帰ったのではないかな。
上田さんのご両親も亡くなって久しい。
でも、高知に行ったら訪ねてみようと思った。誰か知っている人がいるかもしれない。
叶うならお家に向かって、手を合わせたいと思った。
コロナ禍で高知大道芸は延期になったが、昨日、見知らぬアカウントから店のInstagramに英語のメッセージが届いた。
「高知のアマンダです。上田の妻です。皆さん元気ですか?」
信じられない思いで返信した。
「箪笥の片付けをしてたら、お店のポストカードが出て来たから、検索してみたの。」
とアマンダは言った。
アマンダは今も同じ家に一人で犬と猫と一緒に暮らしているという。
晩年の上田さんとのツーショットが送られて来た。
父の病気のこと、父が今も上田さんの話をすることを伝えた。
来年二月、高知大道芸が開催されたら、会いに行く。
アマンダに会いに行って、上田さんの話を沢山したい。
私の大好きなおじさんの話を。
そして…叶うならいつか私も上田さんみたいに、誰かの変なおばさんになりたい。

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