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父記録 2023/4/16



4/16
9:00、父の特養より電話あり。
発熱、酸素濃度低下につき緊急搬送してもよいかとのこと。
胃ろうはしない、この施設で出来る以上の延命措置(常時点滴、常時單吸引、気管切開など)はしない、入院しない、施設で看取ると決めた矢先のこと。
なのに「はい、緊急搬送してください」と答えていた。

再度救急隊員さんより電話あり、「気管切開になる可能性が高いです。ご本人様或いはご家族の意向は確認されてますか?気管切開してもよろしいですか?」と訊かれ、言葉に詰まる。
「急に訊かれても困りますよね。考えてないですよね。」と救急隊員さん。
「いえ、考えてました。父の意思は『胃ろうはしない』ということです。医療機関での延命措置はせず、施設で看取るつもりでした。………………けれど、すみません、父の意思には反しますが、出来る限りの処置をお願いします。気管切開も必要ならお願いします」と答えていた。電話の向こうは騒然としていて「村田さん頑張って!村田さん大丈夫だからね!」という声が聴こえた。

母と父の弟さんに連絡。
搬送先の病院に夫と共に向かう。福太が心配そうに見ていた。

病院に着くと付き添ってくださった介護職員さんが父の枕とタオルを抱きしめて待っていた。
「思わず持って来てしまって…」と職員さんは恥ずかしそうに笑った。
なんだかとてもありがたいと思った。
名前を呼ばれ、私、夫、職員さんの三人で父の元へ向かった。
父は酸素マスクを着け点滴を受けていた。
気管切開はしていなかった。
職員さんが「村田さーん!村田さーん!娘さん来たよ、娘さんだよー!」と声をかける。
手を握ってただただ「お父さーん」と呼びかけた。
若い先生が来て、説明を受ける。
「肺炎を起こしています。この状態だと気管切開をしても苦しいだけなのではないかと思いますが…どうされますか。」
「万が一、心臓が停止した場合胸部圧迫(心臓マッサージ)を希望されますか。」
次から次へと秒で決断を迫られる日。
前もって考えていたことなんて全く役に立たない。とにかく今の自分の気持ちだけを考えて決めてゆく。
気管切開と心臓マッサージは断った。
これから救命病棟に入る。救命病棟は最大三日。その後は一般病棟に移るか転院。
面会は退院まで、或いは危篤状態になるまで出来ない。

もしかしたら最後かもしれない、という思いが強くなる。
話しかけたら泣いてしまいそうだけど、目一杯話しかけることにした。

「昨日、国立時代のお客さんが来てね、高校生の頃、しょっちゅうお店に行ってかっこいいベルト見てたんだって。高校生だからベルトは高くて買えなくて、でも店に通ってはそのベルト見てたらお父さんがそのベルトの値段を細かく割引計算した紙を渡して、
『しょっちゅう見に来てるよね。まだ学生さんだからお金ないよね。このくらいなら割引出来るから、買えそうだったらこの紙持っておいで』
って言ったんだって。
そこまでしてもらったのに、結局買えなくて申し訳なくて、その紙をずっと大切に持ってたんだって。
だから今、その恩返しがしたいし、T&Yのものが本当に好きだから、って沢山買って行ってくれたよ。
そう言うお客さん沢山いるよ。
若い頃、欲しくても買えなくて、T&Yに通ってひたすら見てたお客さんが今40代とかになって、少しお金にも余裕が出来てきて若い頃に欲しかったものを買いにきてくれるんだよ。すごいことだね。
おじさん、おじさんってみんなお父さんのこと大好きなんだよ。」

介護職員さんはそろそろ施設に戻らないとならないとのことで
「村田さーん!戻ってくるの待ってるからね、元気になって戻って来てね、村田さーん!」と父にしばらく声をかけていた。
名残りを惜しむかのように見えた。

救命病棟に移動する時間がやってきた。
救命病棟の入り口まで付き添う。
入り口で看護師さんが「ここからは入れません。入院中は面会も出来ませんから…」と言ってしばらく時間をくださった。
「ゆきおさん、昨日手術だったんだよ。お父さんは今日入院しちゃって、仲良し兄弟だねえ。ゆきおさん退院したらお見舞い来てくれるから、お父さんも退院しないとダメだよ。お父さん、またUFOの話しようね。ちょっとだけ入院して、戻ってくるんだよ」

あちらこちらに【最後かもしれない】が立っている。

父のストレッチャーは病棟の奥に消えて行った。

高円寺に戻ると街頭演説と再開発反対デモと雷雨と火事が同時に起こっていた。なんて日だ。

店に出勤して今日の仕事をなんとかこなす。
しんどいけれど、こんな時仕事があったほうがいい。

思えばここ数日、ずっとレナードコーエンのハレルヤを聴いていた。
一生懸命に生きる全ての小さな命の営みに幸あれ、と思った。

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