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父記録 2023/4/18


4/18
沢山寝た。
日にちと曜日の感覚がだんだん曖昧になってゆく。
ICUに居られるのは3日。その後は一般病棟に移動になる。今の大学病院は良い病院だが、面会は全面禁止。(危うい状態になった時のみ面会が許される)
調べてみると面会制限が緩和されている病院もあるようだ。
父の特養に訪問看護に来ている病院も時間と人数制限付きで面会を再開していた。
大学病院と特養に転院の相談をした。
大学病院から問い合わせてもらったところ、訪問看護の病院が父の転院を受け入れてくださるとのことですぐに面談へ。
特養に父の保険証を取りに行くと、「よく受け入れてもらえましたね…!よかったですね!!」と言われた。よく分からないがレアケースだったようだ。
転院先の病院にて、面談。
穏やかな話し方の医師とケースワーカーさん。長いことしっかり話を聞いて頂き、様々な選択肢のメリット、デメリットの丁寧な説明を受ける。
以前から訪問看護で父を看てくださっていた為、嚥下や肺の様子や持病についてよく把握してくださっていて安心する。
「院長から(転院を)出来るだけ迅速に進めるよう言われてますので」
ということで翌々日の朝の転院が決まった。

経鼻経管栄養(鼻から管で栄養)
胃ろう
中心静脈栄養(中心静脈からの高濃度点滴)…

パーキンソン病が進んでいることもあり、父の嚥下機能が良くなる可能性は非常に低い。
栄養が摂れなければ当然衰弱していく。
現在は普通の点滴でおにぎり1個半くらいのカロリーと、水分、薬を入れているが、充分ではない。
口から飲食すれば、また誤嚥性肺炎になるリスクが非常に高い。

胃ろうはしたくない、というのが4/12に確認した父の意思だ。
経鼻経管栄養はどうだろうか。父に「鼻から管入れて栄養を送るのは、どう?」とは訊いたことはない。
ないが…同じことだろう。しかも胃ろうよりも苦痛がある。
一時的になら、どうだろう。とにかく栄養たと薬を摂取してもらって…少しは元気になって嚥下も回復したりは…

「残念ながらその可能性は低いかと思います…村田さんの場合はパーキンソン病もありますし」
転院先の先生はそう言った。
私「父は胃ろうはしたくない、とはっきり言いました。ただ、まだ会いたい人がいるんじゃないかと思います。コロナ禍で会えなかったぶん、家族との時間も」
医師「そうですよね…胃ろうや経鼻経管栄養、中心静脈栄養点滴で栄養と薬を入れれば長く生きることはできます。しかし…それだけに、『会いたい人に会い、家族の時間が持てたから』と、外す決断をすることはご家族の心情的に難しいかと思います…」

私「その通りですね…。」

胃ろう、経鼻経管、高濃度点滴、常時点滴、夜間の痰吸引、いずれも元の特養では対応出来ない。
転院先の病院にも長くは居られない。いずれは療養型施設に移るか、元の特養或いは自宅に戻るかを決めなくてはならない。
(自宅、と言っても父が長年住んだ自宅はもうないのだが。)

沢山の選択肢が、チャートのように枝分かれしてゆく。
栄養送る→長期化(食べられないまま)、療養型施設
自然に→2〜3日、特養又は自宅
食べる→誤嚥性肺炎→救急車呼ぶ?呼ばない?

父の体は終わりを迎えようとしている。それは抗いようのない事実のようだ。
それでも…2〜3日は短すぎる。
でも…じゃあどのくらいならいいんだ。1ヶ月か。2ヶ月か。半年?1年?

特別なことをせず、元の施設で慣れ親しんだ職員さんと家族に囲まれて終えるのがいいのではないか、とも思う。
またアイスクリームを少し食べたりして。

だけど、それでまた誤嚥性肺炎起こした時、私は救急車を呼ばないでいいと言えるんだろうか。反射的に呼ぶんじゃないのか。呼んだらまたICUに入って…結局苦しい思いをさせるんじゃないのか。

数年前、祖母は一切の延命治療(点滴さえも)拒否して療養型施設で娘と孫たちに囲まれて息を引き取った。94歳だった。施設に入る一週間前まで、介護サービスを受けながら自宅で暮らしていた。
本当に枯れるようだった。
あんな風であったら、と思うけれどもなかなかあんな風にはならないのだろうな。

診察室を出る。
院内は小綺麗で、しんとしていた。
ここは主にがんの終末期の患者さんの為のホスピスなのだ。

帰りに、近くにいた友人とロイヤルホストで落ち合った。
友人のお母様も難病で、長い長い自宅介護の後に施設で亡くなった。
「胃ろうしたらみるみる肌艶が良くなって髪の毛も沢山生えてきてね、びっくりしちゃった。だけど…それだけ。よかったのか悪かったのか、分からない」
と友人は言った。
パンケーキをご馳走になった。

夜。店のSNSに父へのメッセージを募る投稿をする。
*トップ写真は2013年、国立店舗閉店時の父と私。


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