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父記録 2023/4/24


4/24
特養の父の部屋から写真やメガネ、ティディベア、携帯電話などを持ち出させてもらう。
このティディベアは革人形作家の本池秀夫さんが、父に贈ってくれたもの。

職員さんと看護師さんに「父は意識もはっきりしてきて、一昨日は随分喋りました。今は落ち着いています」と報告するととても驚き、喜んでくださった。
「今日から経鼻胃管です。父は胃ろうもすると言っているので、先生もそこを目指してゆくとのことです。」
と伝えると看護師さんが
「あらまあ、そうしたら戻って来られるかもしれないわね!」
と喜んでくださった。

今日は20年程前に父の元で働いていたI君が面会に来てくれた。
父は鼻からチューブを入れて眠っていた。
「棟梁、棟梁、Iです。お久しぶりです」
I君が声をかけても反応はない。
父の足を揉むともぞもぞと足が動いた。

看護師さんがやってきた。
「今朝、鼻から管を通しました。先ずはお白湯を少しずつ送って、逆流しないか、きちんと吸収されるかなどを見ています。
管を入れる時や痰吸引の時に少し嫌がるような仕草も見られて、少しお元気になってきているのかな?という感じです。」
担当の医師がやってきた。
「胃管がうまくゆけば、この管から栄養を入れて、それもうまくいったら点滴が外れて、胃ろうも視野に入ってきます」

I君とぽつぽつと近況などを話していた。
「(父が創業した店が)今年50周年だっけ?」とI君。
「いや…あと3年…いや4年かな。去年45周年だったから。でも45周年だって気付いたのが遅くて、なんにもやらなか…」
父が反応した。何かを言おうとしているが、判然としない。
「お父さん、そうだよ、あと4年で50周年なんだよ。また展示会やろうね。お父さん車椅子乗って出席してね。」
答えはなく、父はまた眠りに落ちたようだった。
I君が
「今、50周年に反応してたよね?」
と言った。
父の足を揉む。
I君は父の頭を揉む。
もうじき来てから2時間になろうとしていた。面会は2時間まで。
「棟梁、帰りますね。また来ます。」
I君が声をかけると父が目を開けた。
しっかりとI君を見て、「またね。」と言った。
「棟梁」は父のゴローズ時代のあだ名。
大工仕事が得意だった父はゴローズでも仕事机やら棚やらショーケースを作ったそうだ。
ゴローさんが父を「棟梁」と呼び始め、「棟梁」が父の呼び名になった。
今の店にあるショーケースや作業机も父が作ったもので、今でも現役だ。

夜、くまさんがカレーを届けてくれた。
くまさんはかつて国立で香鈴亭というカレー屋を営んでいた。雑誌のカレー特集の表紙にもなったことがある伝説のカレー屋さんで、よく家族で店が終わった後食べに行った。
ある時、いつものように家族で香鈴亭のドアを開けるとくまさんが父の顔を見るなり
「村田さん、病院行って。パーキンソン病かもしれない」と言った。
それをきっかけに受診して、父はパーキンソン病の初期と診断された。今から17年前のこと。
くまさんのお父様もパーキンソン病で胃ろうになったが、驚異的に回復して一時はステーキを食べられるまでになり、テレビが取材に来たそうだ。

くまさんは香鈴亭を畳んで今は牧師である。
「村田さんのことを思って作ったカレーだから、ともちゃん食べて。」
タッパーいっぱいのカレーを頂いた。
すぐに温めて食べると懐かしい味がした。
家族で香鈴亭に通った頃のことを思い出して、いつまでもいつまでも食べていたい気がした。
料理ってすごい。
味や香りには思い出や優しさが詰まっていて、それが口や鼻を通って脳に働きかけるのかなと思った。

I君やくまさん、駆けつけてくれた友だちとのあたたかな時間を父にもらっているような気がする。

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