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父記録 2023/5/2

5/2
晴れ。暑い。
犬の散歩から帰って犬の足を拭いたら犬の体も熱くなっていた。
段々と季節が変わってゆく。
薔薇は今日もモリモリ咲いている。

今日の父は両手にミトンを嵌めていた。
今朝、少し興奮して暴れて抜いてしまったそうだ。
パーキンソンの症状で、父は動きや力の制御が出来なくなることがある。
体は痩せ細っているのに、力の入っている時は私が精一杯頑張っても一人では静止できないほど強い。
「面会の時はミトン外しますね。引っ張ってしまいそうになったら止めてください。
困ったらナースコール押してくださいね。」
看護師さんがミトンを外してくれた。
ミトン着けてたら絵も描けないし、ネックレスも組めないもんね。

母が父に語りかけた。
「お父さんは77歳半。あたしは76。ともちゃんは…」
私「51。今年52。」
母「51だって。みんないい歳になったねえ」

父は拳を口に持ってきては何か食べる仕草をしたり、左肩を痒そうにしたりしている。
今日は動きが活発だ。
看護師さんが肩に軟骨を塗りに来てくれた。
「スポンジでジュースを少し楽しんでもらうんでしたら痰吸引もしておきましょうか」
鼻に吸引の管を差し込まれると父は激しく抵抗した。
母と二人で押さえる。すごい力。
「村田さん、ごめんなさいね、ありがとうございました。」看護師さんが優しく父に声を掛けた。
「ジュースを染み込ませたスポンジはよく絞ってくださいね。飲み込んでしまうとまた誤嚥してしまうので…」

来る途中、コンビニでスタバのキャラメルマキアートを買ってきた。冷蔵庫には昨日買った桃のネクター。
昨日Amazonで注文した、大量の口腔ケアスポンジ。ジュースを付けたスポンジは毎回使い捨てになる。

「お父さん、ほんの少しだけね、ジュースの味見る?飲んだらダメなんだけど、ちょっと味わうくらいならいいって。
甘いコーヒーと桃のネクター、どっちがいい?」
「……こ………ひ…」
たぶんコーヒー。
キャラメルマキアートを紙コップにほんの少しだけ垂らしてスポンジに染み込ませてからコップに押し付けて絞る。
父の鼻先にスポンジを持っていき、匂いを嗅いでもらう。
唇にスポンジをそっと当てる。
口がぱくぱくと動く。
舌先にも軽く当てると口を閉じて食べてしまいそうになったので慌てて引き抜いた。

ほんの3週間くらい前までは面会の度に「何食べたい?」って訊いていたのにな。

「もう〜食べられないなんてねえ、失礼しちゃう。食べたい気持ちがあるのに。この嚥下が〜!頑張って嚥下!」
母が心底切なそうに言いながら父の喉を撫でた。
「あたしの元気な力を分けてあげるからっ」
父はぱくぱくと口を動かした。

「ね、ともちゃんが家にいた頃みたいでしょ?
ともちゃんが小さい頃は大変だったけど、中学生ぐらいからは店も軌道に乗って…楽しかったね。」
父の足を揉みながら、徒然に昔話を聞く。
新婚当初、母は料理が全く出来なかったそうだ。
「さんえい荘の共同台所で、アジかなんかをね、よくわかんないから弱火でずーっと時間かけて焼いてカチコチになっちゃったの。お母さん、何にも知らなかったのよ。」
「他の部屋の人はみんなおいしいものたべてんのよ。体使う仕事の人が多かったからね。」
さんえい荘にいた一人親方の人が父を起こしに来て、自分の仕事を手伝わせに連れてってくれたりしたという。
「気にしてくれてたんだと思う。新婚なのにお父さん仕事もなかったし」
「お父さん、色んなところに作品持って売り込みに行ってたわよ。アイデア商品のグループに入ってみたり…でもなかなかね。
そしたら飛び込みで入った新橋の大人のおもちゃ屋のおばちゃんが気に入ってくれて。お父さんカッコよかったし、助けてあげようって思ってくれたのかも。」
それが「11番目の指」だ。
自分の指を石膏に突っ込んで型を取り、色のついたプラスチックを流し込んで固めた、色んな大きさの指。
子どもの頃、自分のおもちゃ箱に緑色や赤やオレンジの指が紛れ込んでいたのはこの時の残りだったんだろう。
「駒込のアパートに引越してそこで作ったの。シンナーの臭いが充満してね」
ゆきおさんもそんなこと言ってたな。
「アニキの家行ってドア開けたらシンナーの臭いが凄くて…」って。

「食事の時間ですよ〜」
看護師さんがやってきて、経鼻胃管の栄養をセットしてくれた。飲むカロリーメイトのような、薄い肌色の液体。
「ああ、そうね、これが食事なのね…」
母が呟いた。

母が続ける。
「それでね、ある日生クリーム泡立ててお菓子作ったの。美味しく出来たからそのおもちゃ屋のおばさんのお家に持って行ったのよ。
そしたらね、おばさん、そのお菓子食べて『シンナーの臭いがする』って。
お母さんはずっとシンナーの部屋に居たから全然気が付かなかったのね。」

………!!

「おばさんが『こりゃいけない!』って、住むところを別に紹介してくれて、また引越したのよ。」
……見知らぬ大人のおもちゃ屋のおばさん、ありがとうございます…

父の右手を揉む。今日はずっと力が入っている。
「だいしゅきだいしゅきよ〜」と言いながら母は父の左腕を撫でていた。
「じろうにもいつも言うの。『だいしゅきよー』って。」
じろうは母の柴犬。

「お母さんね、50歳くらいまで世の中全部敵みたいな気持ちだった。社会に反抗的だった。面白いことやろうとするといつも世の中が押さえつけてくる、って思ってた。
ある時役所に電話して、ハッと気付いたの。
窓口の人とか大体みんな年下なんだ、って。」
振袖を着て怒った顔でこちらを睨みつけていた、母の成人式の写真を思い出した。
「自由が欲しかったのよ。貧しくても、とにかく自由でいるのが何より楽しかったの。お父さんも、お母さんも。」
2時間経った。

昨日までは胃ろうを作って、体調が整って来たら周りがしっかり見守っている状態で少しずつ口から食べることにトライするのが目標だった。
経鼻胃管だと口から食べてみることは容易に出来ない。可能性があるとしたらチューブ交換時。
特養に戻った場合、チューブ交換は病院に行って行う。

今の父にとっての「自由」はなんだろう。

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