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動物園(短編小説)

その日は空が抜けるような青で澄み渡っていて、わたしは一人、動物園にいた。
不忍池の水面が微かに揺れる程度のそよ風が気持ちいい。

別れた彼とは、よく動物園デートをしていた。
それ以来の動物園なので、もう何年ぶりだろう。
小さい頃から動物図鑑を見て育ったんだと教えてくれた彼だった。
わたしが飼っている猫も可愛がってくれて、その姿を見るのが自分のことのように嬉しかった。

ここでパンダを初めて見た時は感動した。
抽選が当たった夜は二人で部屋の中で踊って、猫は呆れ顔でそれを見てた。

動物園にいる時の彼は常に機嫌が良かった。

"愛を下さい oh… 愛を下さい zoo"

ECHOESの『ZOO』という歌をよく歌ってた。
デートから帰ってもサビの部分が頭から離れなくて、お風呂場でわたしも口ずさんだ。

あれ以来この歌を思い出すこともなかったのに、突然そんなことを思い出した。ここが動物園だからかな。


東園エリアから周る。
ルリカケスという鳥の青と茶色の羽毛が美しい。鹿児島県にしか生息しない鳥らしい。
ライチョウの茶色っぽい羽毛は、これから冬になり白に変わるという。敵から目立たなくなるために。

エゾシカと目が合った気がする。
動物というのは目が綺麗だ。動物園に来るたびに思う。わたしはあまりそれを人間で感じたことはない。

彼と動物園を周ると、色々と豆知識を教えてくれた。
クジャクのオスが大きな羽を広げて羽を揺らす「ディスプレー」と呼ばれる求愛行動は有名だけど、わたしは求愛行動の話を聞くのが好きで、いくつかはまだ覚えている。

・ラッコのオスはメスの鼻に噛みつき、水中をひきずり回す
・タンチョウヅルは交互に鳴き声をあげて、お互いの真似をしながら踊る
・アデリーペンギンはオスがメスに小石をプレゼントする
・カナダヤマアラシはオスがメスに尿をかける
・ザトウクジラのオスは繁殖期になると歌のような鳴き声を発する

動物には様々な愛の表現がある。
それを知らなければわたしたちには何も届かない。
だけど、興味をもって観察すればそれが分かる。
この場所は「気づかなかった愛」で溢れている。


目の前でアジアゾウが長い鼻を使い砂浴びをしている。
大きい動物は迫力がある。そこにいるだけで威厳のようなものを感じた。
トラとかゴリラも見たくなったので、そちらの方向へ向かう。

「好きだけど別れよう」
ある日彼からそんなことを言われた。
わたしは意味が分からなくて聞き返す。最初は単純に浮気をされたか、他に好きな人が出来たんだと思った。
「そうじゃない」と彼は言って、好きだけど別れた方がいいと思うと繰り返した。わたしは納得が出来なくて「好きなら一緒にいればいいじゃん」などと青臭い台詞を言ったと思う。
一週間くらいこんな押し問答を続けていたら、わたしを幸せにする自信がないとか、自分よりいい男がきっといるとか言い出した。
引き止めるのも疲れちゃったので、結局はわたしが折れる形で別れた。
それ以来一度も会ってないし、連絡もとってない。

今日だって別に思い出に浸りに来たわけじゃない。単純に気分転換だ。
「いそっぷ橋」を渡り西園エリアへと向かう。
パンダエリアには行列ができているが、今日はパンダを見に来たわけじゃない。

"愛を下さい oh…愛を下さい zoo"

あの歌をハミングしながらパンダの前を通り過ぎ、ペンギンエリアの方へとわたしは歩きだした。



(了)

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