かつての恋

IT系の会社を経営している斉藤さんが来店してこんな話を始めた。

「林さん、この写真を見てもらえます? これ5年前の僕で隣が当時付き合っていた女性なんです」

「え、斉藤さん、太ってたんですね。こういうと失礼ですけど、服とか髪型とかも、ちょっとオタクっぽいですし」

「そうなんです。僕、その頃、派遣社員で全然ぱっとしない生活を送ってたんです。それである時、ゲーム好きが集まるコミュニティのオフ会があったんです。そこで、この紀子と出会いました。

その日、安い居酒屋で紀子に『こういうアプリがあったら当たると思うんだけどなあ』って前から考えていたアイディアを言ってみたんです。

そしたら紀子が『それ絶対にいけると思う。やった方が良い』ってすごく誉めてくれたんです。

その日は『そうかなあ』なんて言って別れたのですが、その後メールのやり取りを紀子としていたら、紀子が『この間のアプリの計画は進みましたか? 斉藤さんって絶対に才能あると思います。おもいきってトライしてみて下さい』って感じのことを必ず最後に書いてくれているんです。

それであんまりにも『そのアイディアも良いと思う』って感じで誉めてくれるから、学生の時の友達と二人で簡単なのを作ってみました。

そしたら結構評判良くて、いろんな会社からの企画話やお誘いが入ってくるようになりました。

その頃はもう紀子と付き合い始めていたんです。僕、女性と付き合ったことなんてなかったのですが、紀子には大胆にデートに誘ったり、キスしたり出来たんです」

「彼女、優しそうですね」

「はい。それで、この後どうしようか、どっかの企業に入ろうかって悩んでいたら、紀子が『斉藤くんは絶対に起業した方が良い』って言うんです。

でも僕、そういうお金のことは全く苦手でして、そしたら紀子、金融で働いているから、いろんな人を紹介してくれて、僕は友達とアイディアを出して開発をするだけで良いっていう環境を用意してくれたんです。

そこからは全てが上手く運びました。やっぱりIT業界って良いアイディアを持っていて、良いタイミングに、大胆に行動できれば成功への道は開かれるんです。

そしていろんなメディアに出なきゃいけなくなったので、紀子にジムに通うことを勧められたり、洋服や美容室の手配もしてもらったりして、外見も今みたいにこざっぱりとするようになりました。

そして僕がすごくモテるようになったんです。

林さん、僕、それまでは紀子しか女性経験がなかったんです。でも会社がうまくいってからは、すごく綺麗で知的な女性たちが本気で僕のことを『好き』って言ってくれるようになったんです。

そして、ある女性のことがすごく好きになってしまってしまいました。もうこういう恋愛感情ってどうしようもないんです。そしてその女性が『結婚して』って言うから、紀子には別れを告げることにしました。

『紀子、ごめん。好きな人が出来ちゃって。ここまで来れたのは紀子のおかげだってわかっているんだけど、恋愛のことだけはどうしようも止められなくて』

『え、ごめんって何? 斉藤くんが成功したのは斉藤くんが才能があったからじゃない。私、最初から斉藤くんはこういう風になる人だって言ってたでしょ。私と斉藤くんはちょっとの間、お互い好きになって付き合っただけじゃない。斉藤くんが他の人のことを好きになったら仕方ないよ。ごめんって変だよ。そんなこと言われたら私だってミジメになっちゃうじゃない。なんか私が別れたくないって思っている未練がある女みたいじゃない。なんか斉藤くん、自分がモテる男だと思って調子に乗ってない?』

『いや。そんなことはないんだけど…』

『じゃあ普通にお別れしようよ。なんか今まで色々あったけど楽しかったねって言い合おうよ。ごめんなんて言わないでよ』

『そうだね』

『斉藤くんが初めてアプリを作ったとき、私のiPhone見て「紀子のiPhoneに俺のアプリがある~!」ってすごく喜んで大騒ぎしたときあったじゃない。あの頃が一番楽しかったね』

『紀子、ごめんね』

『もう。ごめんじゃないって。じゃあお互いこれから別々の道だね。さよなら』

『じゃあ。さよなら』」

僕は何も言わずに斉藤さんのグラスにクローズ・エルミタージュを注いだ。

「妻が妊娠して、会社もうまくいってて、今、僕、すごく幸せなんです。でもたまに紀子のSNSを見るんですけど、新しい彼は出来ていないみたいで、『婚活パーティ行った』とか書いているんです。でも林さん、仕方ないですよね」

「そうですね。恋愛ってどうしようもない時がたまにありますね」

#小説 #超短編小説

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