聡美さんの悩み
いらっしゃいませ。
bar bossaへようこそ。
夏が近づくと日が暮れるのが遅い。その日は土曜日で、僕が開店の準備をしていると、年は40歳くらいだろうか、以前はずいぶん綺麗だったんだろうなという印象の女性が入り口で「ちょっと早いですけど良いですか?」と言った。
僕は「どうぞ」と伝えると、彼女は恥ずかしそうにカウンターの一番端の席に座った。
「オレンジジュースをください」と言ったので、僕は「うち、オレンジジュースを置いてなくて。お酒を飲まれないんですか? でしたらモヒートのアルコールなしなんてどうでしょう」と提案した。
彼女は嬉しそうにうなずき、こんな話を始めた。
「私、大学生の時が渋谷系全盛時代で、サークルもバンドをやったりDJパーティをやったり、フリーペーパーを作ったりするところだったんですね。
で、私、自分で言うのもアレですが、結構モテたんです」
「わかりますよ。すごくモテそうな感じがします」
「ありがとうございます。そして私、そのサークルで一番お洒落で人気のある高野くんと、センスは良いけど真面目でちゃんと大学の成績も良かった平野くんと二人に言い寄られたんです。
平野くん、実は、静岡でお父さんが日本中誰でも知っている某有名企業の社長をやってて、平野くんもその会社を継ぐって決まってたんです。
私、安定志向だから、平野くんの方を選んでしまって、大学を卒業したら、静岡で結婚して、専業主婦になっちゃったんです。
子供は息子が二人出来たんですけど、旦那の平野くんはすごく忙しくて、私はお義母さんと一緒に息子たちの教育や進学のことばかり考えて暮らしてたんです。だって息子たちもいずれは会社を継ぐって決まってるから、小さい頃から英語をやった方が良いから留学させようとか、もう色々とあるんです。
私、最近、FBを始めたんですね。別にそんなに利用する気持ちはなかったんだけど、名前を登録したら「この人は友達じゃないですか?」っていっぱい出てきて、あっと言う間に昔の大学の頃の友達と繋がっちゃったんです。
もちろん、私のことを大好きだった高野くんとも繋がりました。高野くん、卒業後は広告の仕事をしてたんだけど、今は私には全然わかんないITの会社をやってて、難しいマーケティングの記事なんかをしょっちゅうシェアしているんです。
私は記事はあんまり投稿しなかったんだけど、子供が高校に受かったり、留学が決まったりしたら、みんなに報告がてら記事を投稿してたくらいなんですね。
そしたらみんなからのコメントが「聡美やっぱりすごいね。勝ち組だね」っていうのが多くて、「そんなものなのかなあ」って思ってたんです。
高野くんは私の投稿した記事には必ず【いいね】を押してくれて、『ああ、やっぱり私のことをずっと見てくれてるんだなあ』とわかって、たまにメッセージも送って『どうしてる?』なんてやりとりはしてたんです。
で、みんなで今度、青山の小さいレストランで久しぶりにパーティをすることになったんです。
主人に言ったら、『ええ? みんな懐かしいなあ。でも俺は忙しくて無理だから、聡美だけ行っておいで』って言ってくれて、私は久しぶりに東京に行くことになったんです。
私、専業主婦になってからは流行の服なんて全く買ってないから、どうもわからなくて、でも色々今の流行を考えて、その青山のレストランに行ったんですね。
私、東京は18年ぶりだったんです。もう全然変わってて、知っているお店は全部なくなってて、私は浦島太郎みたいな気持ちなんです。
パーティ会場のレストランに入ったら、みんながいました。
私は誰が誰だかすぐにわかったから、『うわー、絵里子久しぶり』とかってみんなに言って回ったんだけど、みんな『聡美だよね。なんかすごく変わったね』しか言ってくれないんです。
やっぱりそういうサークルだったから、みんなそれぞれやっぱりマスコミ業界で働いていて、面白いイベントの話やITの新しいサービスの話なんかで盛り上がっているんです。マスター、noteって知ってます? なんか売ったり買ったり出来るらしいんです。私が知らないとみんながびっくりしちゃって。
私は昔の思い出話しか出来なくて「あの時、みんなですごく酔っぱらったよね」とか色々と笑いあうんですけど、結局みんな今の仕事の話に戻ってしまうんです。
そして高野くんに会いました。実は高野くんに今日、誘われたらどうしようかなとかずっと考えながら、来ちゃったんです。
そしたら高野くんも私を見て、『聡美、お母さんって感じになっちゃったね』って言うんです。
みんなが『聡美は勝ち組だよねえ。○○の次期社長夫人だもんねえ』って言うんだけど、私のことはそれ以上、話は何にも盛り上がらないんです。
やっぱりみんなそれぞれ仕事があって、『ええ! ○○さん知り合いなの? 私、今度の企画でどうしても○○さんの取材がしたくて紹介して』とかそんな話題ばかりで、私、居場所が全然ないんです」
「なるほど。そうなんでしょうね」
「私、トイレに行って、鏡を見たんです。そしたらやっぱり私だけすごくオバサンで、服や髪型やメイクもみんなとはちょっと違うんです。ああ、もう帰りたいって思って。私、大学の時、あんなにモテたのに、どうしてこんなになっちゃったんだろうって思ってしまって。
トイレから出たらみんな2次会の話をしてました。私、もうみんなと一緒に過ごす自信がなくなっちゃって、『主人や子供やお義母さんが気になるから』って帰っちゃったんです。
そしたらみんなが『本当に聡美みたいな人生が一番だよ』って口々に言ってくれるんだけど、でも何か違うんです。それでホテルでこのまま一人っきりで、みんなの楽しそうなFBの写真を見てたら、自分の人生を疑っちゃいそうで、このバーに飲みにきたってわけなんです。マスター、私、本当に勝ち組なんでしょうか?」
「僕は色んな人をたくさん見てますけど、みんな聡美さんみたいな人生を羨ましがってますよ」
「そうなんですかね。私、明日する事と言えば、実家のみんなにお土産を買わなきゃいけないってことだけで、行きたいお店なんてないんです。これで良いんですか?」
「お土産を買わなきゃいけない人がたくさん待っているって幸せだと思いますよ。お義母さんとも上手くいってるみたいだし、息子さんも元気なんですよね。良いじゃないですか」
「ですよね。そうなんですよね。私、大学を卒業してその後ずっと静岡の小さい世界で子供とお義母さんとの生活に追われてて、東京であの後流行ったお店とかクラブとか何にも知らないんです。インターネットのことも全然みんなについていけないし。そして気になっているのはお土産はどこで買うのが良いのかなあってことだけなんです。
マスター、私、すごくモテたんです。たぶん高野くんを選んでいたら、今、東京ですごく楽しく過ごしていたかもしれないんです」
「高野さんと結婚してたら、たぶん平野さんと結婚してたらどうだったのかもって想像していますよ。静岡なら新幹線ですよね。お土産はやっぱり東京駅の大丸ですか? それとも新宿の伊勢丹なんかも良いかもですね」
「そうですね。私、ホテルに今から帰って、主人とお義母さんに電話します。お義母さん、お土産何が良いか聞いてみますね。お会計してください」
そういうと聡美さんは支払いをすませ、素敵な笑顔を見せ、お店を後にした。たぶん、聡美さん、昔は本当にモテたんだろうなあと僕は思った。
※
僕のcakesの連載をまとめた恋愛本でてます。「ワイングラスのむこう側」http://goo.gl/P2k1VA
この記事は投げ銭制です。この後、オマケでこの話を書いた経緯を少しだけ書いています。
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