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こころの旅

大学を卒業して就職をした先に、
10歳ほど年上の主任がおられた。

ほとんどおしゃべりをしない方で、
黙々と書類仕事をこなされる。

整然と整理されたファイルが並び、
机上はつねに整頓されていた。

非の打ち所がない先輩でありました。

ある秋の日、わたしは同僚に憤慨し、
他の誰からも見られないようにと
印刷室で辞表を書いていた。

若い事務員にそれを見つかってしまった。
彼女はすぐさま、彼女もまたもっとも信頼のおける人物、
かの主任に報告する。

自席に戻った私に主任が言った。
「責任者はすでに帰宅してしまった。
預かるわけにはいかないので、
提出は明日になるね」
「今日は、きみの送別会をしよう。
家に来なさい」

アパートに帰宅することもなく、
主任のクルマの後を追った。
比較的新しい団地の奥まった一画に、
主任の自宅があった。

その後、勧められるままにウィスキーを飲みつつ、
私の書く文章が面白いと言うところから、
主任がわたしと同じく、
ミステリーの愛読者であり、また、
音楽の趣味というよりオーディオへのこだわりが
私と近かったこともあって、趣味の話を続けた。

気が付くと新しいボトルまで含めて、一本半飲んでいた。
さすがに疲れてしまったので、敷いていただいた布団で休んだ。

翌朝、主任はビールの小瓶を冷蔵庫から出し、
コップについで飲み始めた。

それを見てわたしは、具合が悪くなってしまった。
いわゆる二日酔いである。

結局、その日は欠勤し、辞表を出しそびれてしまった。
主任が帰宅するまで、半病人状態で留守番をしていた。

以後、主任に頭が上がらなくなってしまい、
転勤はあったが10年間、この仕事を続けた。

主任が定年退職し、その間毎年奥さんと下見していた中から、
ニュージーランドでの余生を選択したと聞いた。

日本で半年、オークランドで半年、
どちらも気候が良い秋冬だけを過ごすという。

主任がオークランドにいる間に
是非遊びにおいでと誘われたのだが、
結局一度も行かず仕舞いだった。

そのうち、ニュージーランドでの大地震が起きて、
主任の住居にも被害があり、
その後はずっと日本での生活となったようだ。

昨年12月に逝去された。

お悔やみにうかがって奥さんから、わたしと同じ仕事に付く前は、新聞記者だったこと、わたしの文章をよくほめ、楽しみにしていたことを、初めて聞かされた。

改めて伝えたい。

主任、育ててくれてありがとう。

サポート、ありがとうございます。もっと勉強して、少しでもお役に立てる記事を送りたいと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。