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どうせわたしは…謙虚と卑屈

2,214字の長文です。

覚悟してお読みください。
ばっぷくどん


SSWは何者か


子ども支援で学校に入っていました。
スクールソーシャルワーカー(SSW)でした。

SSW活用事業が始まったのは2008年。
すでに15年になります。

今でも、SSWがどんなことをする人か、
認知されていないように感じていました。

それでも10年ほどで、
スクールカウンセラー(SC)とSSWの違いは?
という質問は、なくなりました。
少なくとも、学校現場では。

あらためてそれを尋ねたら恥ずかしい、
そんな風潮になったからであって、
SSWの仕事内容は知られていません。

なぜかというと、
SCは「直接支援」といって、
学校で、直接子どもに関わり、
子どもの相談に応じる人と認知されています。

多方、SSWは
「間接支援」といって、
子どもと関わらず、
子どもを取り巻く環境にはたらきかけて、
子どもの困りを解決の方向に導く、
そんな仕事をしている関係で、
いつ、どこで、何をしてるか、
全体像を見ている現場関係者がいないからです。

いじめは人間関係上のトラブル


たとえば、
いじめがあった時、
いじめられた子のケアはカウンセラーが担当し、
いじめた子の「ケア」をワーカーが担当することがあります。

いじめ以外にも、校内暴力があったりすると、
同様の関りを持ちます。

ワーカーが対応する子の多くが、
「どうせ、わたしは…」とつぶやくような子たちです。

そうなってくると、
子どものこころの傷と、
修復すべき環境との関係に着手する必要が生じます。

多分に、カウンセラー的な仕事になりますから、
カウンセラーとワーカーの区別はつきにくくなります。

ただ、
カウンセラーの守秘義務は原則、
相談室の中から外には出さない、
医療的な色合いが強いものです。

しかし、ワーカーは
守秘義務はありながらも、
ある程度の情報提供をしないと、
環境への働きかけはできません。

支援対象者に、
具体的な行動内容を提案し、
どこまで話すかの了解を得て、
それから初めて動き始めます。

「どうせ」という言葉の奥には


自尊感情、自己肯定感といった種類の感情が、
マイナスの状態にあることがうかがわれます。

そのことについては自覚しているけれど、
自分でこのマイナスの感情に、
どのように対処したら良いのか、
分からない状況の中で生活している可能性が高い。

環境を選べれば良いけれど、
子どもには選べない。

家庭も、学校も、
子どもには選べない。

親も、先生も、
選べない。

文部科学省の統計では、
不登校の直接原因に占める、
教師との関係は、とても低い数字で推移している。

ただし、
統計資料を提出するのは、
子どもや保護者ではない。

子どもが基本的な生活習慣や、
学習、人間関係を、
うまくクリアできないのは、
発達障がいがある場合以外に、
子どもの育ちを保障する環境がないこと、
とくに大人から叱責されることが多いこと、
それが結果として子どもの自尊心を傷つけ、
叱られたくなくてチャレンジしなくさせ、
叱られたくなくてウソや偽りを口にさせ、
失敗を隠す子にしてしまう。

親兄弟からそのように育てられ、
失敗することによって習熟する機会を持てなかった子は、
学校のように次々と課題を与えられる環境では、
毎日毎日、失敗しかしない。
失敗しかしない子とラベリングされ、
他の子より注目され、
いっぱい叱られ、
叱る方もイライラして、ますます激しく叱る。

この悪循環の環境を改善するのが
ワーカーとしての仕事です。

環境は、それ自体、自己保存機能を持っている


子どもにとっての環境は、
家庭、学校、地域に分けられる。

どれも、おとなの世界。
社会性が整っているおとなだからこそ、
自分が所属する環境を、
おとなにとって住みやすくするようにしている。

子どもは、その環境の調和を乱しながら、
社会性を身につけていくが、
失敗を許さない環境の中では、
子どもであるがゆえに、
たくさん叱責を受け続ける。

子どものこころは、
自我が目覚める幼児期のまま、
成長を止めると考えて良い。

おとな世界が、
自らをあらためることは、
きわめて難しい。

親や、先生に考え方を改めてもらうことは、
難しい事です。

わたしは「良い」ワーカーではなかったので、
親や先生と話して、
これは無理だなと思ったら、
即座に、
子ども自身の自立を促す方向に
方針変更をしていました。

おとなが。
自分が変ることで、
子どもの助けになるのなら、
そう考えているおとなは、
子どもと一緒に成長していることを自覚していれば、
かならず変わってくれるから、
はたらきかけの対象としていた。

「どうせ」と言う子は、見どころあり。


子どもは自分が置かれている立場を自覚している。
そのことを示すのが
「どうせ…」

どうせ、うまく行かないに決まっている。
どうせ僕が叱られる。
どうせ文句を言われるなら、
僕が好きなようにして叱られる方がましだ。

こころのつぶやき

自覚しているなら、
どうすれば、失敗を克服できるか、
教えてあげれば良いだけだから。

口で「どうせ」と投げやりなことを言っているのは、
「実は」うまくやりたいと、強く願っていることなのだ。

謙虚と卑屈

自分で自分の自慢をしない人は謙虚な人。
誰のことであっても、他人を見下げない人は謙虚な人。

反対に、
自分の弱点をアピールする人は、卑屈な人。
自分をさげすむ人は、卑屈な人。

謙虚なおとなに育てられた子は、
謙虚には育つけれど、
「どうせ、僕なんか…」と
卑屈な子には育たない。

傲慢なおとなが、
卑屈な子を育てている。

いじめも犯罪も、
なくなりはしないけれど、
親も、先生も謙虚になれば、
いじめは減る。
犯罪も減る。

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