見出し画像

母と会うのは「虫歯を抜きに歯医者にいく」のと似ている

9月4日(水)8:33。
自宅のPCで作業中に携帯電話が振動し「おかん」の文字が表示されていたので、電話に出る。

「昨日、夜に雨がたくさんふったけど。そっちのほうは大丈夫だったの? 警報も出たでしょ」

昨日は夕方からカミナリ。どしゃ降りの雨も降った。21時ごろに携帯電話から大音量のアラームがなり「緊急警報」なるものも届いている。おそらくニュースにもなっていたようで、母は心配して電話をくれたのだろう。


「うちのエリアは何の変化もなかったよ」と私が答えると、母は「そうなのね」といい「梅干しを買ってね、明日届けようと思うのだけど、明日は家にいるの?」といった。

「明日は用事があって家にいないんだ」私は答える。「この日なら空いてるよ」という言葉は出てこない。

すると「その次の日は?」と母がいった。予定は空いていた。空白のスケジュール帳を見ながら一瞬、念じることで「何かしらの予定」が文字となって浮き上がってくることを期待する。

「空いてるよ」

「そう、ならどこかで一緒にお昼ごはんでも食べて、そのあとあなたの家にいってサプライズさせちゃおう」サプライズさせる相手は、孫だろう。私には小学生の息子がいる。

母と話しながら頭のなかでは「一緒にごはんを食べるのもイヤだし、家にあげるのもイヤだな」と思っていた。

どうして私と母は仲が良くないのか、という話は省くとして、今の自分の気持ちは「虫歯を抜きに歯医者にいく」のに近いなと思った。


虫歯を抜くのは痛いから、行きたくない。でも、今も十分痛い。少しの間、我慢するだけで痛みがとれるなら、いかねば。帰り道は痛くなくなっているはずだから。

たぶん、母と「会いたくない」のは「デリカシーのない母の言動により傷つけられる」と思っているからだ。「今も十分痛い」のは、母とのこれまでをなかったことにはできていないからで「我慢すると痛みがとれる」のは生んでくれた母に「会いたくない」と感じてしまう罪悪感を、会うことで少し解消できると思っているから。

文字にしてみると、スッキリできた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?