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愛は境界線

ご来場のお礼と挨拶など


この度は劇団でんどろびーむ旗揚げ公演「月まで」にご来場、また配信をご視聴いただき誠にありがとうございました。の挨拶が、下書きのまま公開できずにいました。Twitter(X)での挨拶と、スペースで満足してしまったところはあります。劇中歌'月から'のMVを公開し、ようやく旗揚げのコンテンツは放出が完了した感覚があるので改めて筆をとってみました。YouTubeで公開中です。是非ご覧ください。


境界線を動かすことについて

まず私がずっとやりたかったことが、「ひとつの作品の中で客席と舞台の境界線の濃淡を変化させること」です。私は、人と人の境界にすごく興味があります。それは私自身の特性による、他人との境界線が理解しづらいことに由来していて、わからないからこそ、わかりたいとそれについて強く考え続ける人生だったと思います。これからもそうです。舞台芸術において、とか書くとなんだか大袈裟ですが、客席と舞台の境界線というのは演出をつけるときに必ず気にしないといけない要素だと思います。その境界を、作品中に自由に動かせたら、なんだかとっても愉快じゃねーの!?という安直な考えのもと企画をはじめました。

月までという作品について

旗揚げに月までを選んだのは、ほとんど直感的な選び方でしたがちゃんと理由があります。アイドルという職業は、観客(ファン)との距離を近づけたり遠ざけたりすることを常にしているお仕事です。テレビの向こう側のすごく遠い存在かと思えば握手をしていたり、親しみやすいキャラクターと思いきやライブパフォーマンスでみるものを圧倒させたり、所謂ギャップってやつですね。だから境界線を動かす演出をやってみたい私にとって、アイドルという題材はうってつけでした。アイドル好きだし。この脚本は、ライブ会場のシーンから始まり、焼肉屋への会話劇へと移行するつくりになっています。その移行に境界線の変化を重ねようと考えました。

アイドルライブを行ったこと

企画をはじめた段階で適宜ちゃんだけは起用が確定しており、さらにもう一人オファーを出していた子も舞台をメインに活動していなかったので、客層は芝居慣れしてない、主にアイドルが好きな層が多くなることが見込まれました(この時点では私は役者として出演する予定がありませんでした)。そういった層に、好きな女の子がでていて嬉しかった!で終わらず、でんどろびーむの芝居良かった、またみたい!と思わせなければなりません。会話パートは極端に客席との距離を縮めた演出にしたかったのですが、脚本の冒頭ライブ会場シーンは重苦しい雰囲気があることもあり、いきなり距離を詰められても引いてしまう可能性があります。私は引きます。なので冒頭にアイドルを登場させることにより、クッション的な役割を果たしてくれると考えました。さらに私は、アイドルはファンとの境界が濃ければ濃いほど尊いと感じるし、演劇は逆で曖昧であればあるほど良いと思う派です。これはただの私の好みですが、この辺の思想も反映させてみました。よって、脚本にはない歌って踊るライブシーンを追加し、アイドルライブでは遠くでキラキラ輝く女の子、会話劇のシーンではたまたま同じ店に居合わせたオタク女子。この差によって境界線を動かすことに決めました。ちなみに、私が出てしまうことで、お前が歌いたかっただけだろ!と批判される可能性は重々承知でした。だから元々出るつもりはありませんでした。色々あって出演しましたが、やりたかっただけ!と言われたとしてもまあ私の劇団だし好きにやって悪いことはないだろうと最後は腹を括りました。

脚本の解釈と演出の意味

自分がいて相手がいて、その間に境界線があり、その境界線に寄り添ったり思いやったりすることが理想的な愛だと私は勝手に思っています。だけど誰もがその理想を持てるわけではなく、時には同化する愛をやってしまうことがあります。同化する愛というのは私が勝手にそう呼んでいるのですが、相手が自分の全てで、自分というのは無くてよくて、全てを相手に依存してしまう状態のことです。この脚本の主人公の桃花は、アイドル由乃に対してこの同化する愛を抱いてしまった。今まで自分がなくて由乃が全てだったから、由乃がいなくなってしまって何もなくなってしまった。だから寂しいも悲しいもなかった。そう解釈しました。私はこの同化する愛はとても不健全だと思います。ですがそれはそれとして、これも愛と呼びたいと思いました。

この理屈で言うと、極端に距離を縮め境界線を曖昧にした演出は、私達と観客の間にあるのは同化する愛で不健全なものだという解釈になりかねません。それはよくありません。そこで、冒頭にアイドルライブを持ってきて境界線を変化させたことに意味が生まれます。境界線を動かしたことによって、境界線は確かにそこにあるのだという意識ができると思ったのです。目には見えない空気が動いたとき風として感じる的なあれです。客席と舞台の境界を曖昧にして得られる効果(当事者意識をもたせたり心に触れたり)はそのままに、境界線ありきの理想的な愛を存在させたかったわけです。なんか小難しいことを言ってる気がしますがつまり距離めっちゃ近いとなんかいいよね!でもそれはうちらが同一って意味じゃないからね!ということです。

焼肉屋の店内風客席


まとめと今後にむけて(反省?)

ごちゃごちゃと書いたけど、あの芝居からこれらを全部読み取ってくれ!というわけじゃなくて、私はこんなこと考えたよ~くらいの緩い気持ちで書いているので、解釈が異なっていたとしてもあまり気にしないでください。ただ、愛に傷ついたことや人との関わりがうまくいかない経験がある人に響いていたらうれしいなと思います。

私は今回の芝居について、自分で言うのは変ですけど、よくやったと思ってます。ただ、配信、もっとやれた。配信に関しては配信のための演出を別で考えるべきだった。境界線がテーマなのにそれが伝わりづらかった。く、くやち~。お客様に許可をとって客席ごと映すとか(そういう割引チケットにするとか)、いっそ無観客にして席にぬいぐるみ置いておくとか、他にも色々やりようがあったなぁ……

これからも、舞台と客席の境界に着目して、それに意味を持たせる作品づくりをしていけたらいいなぁと思っています。まだまだ演出家一年生の私ですが、いつか境界の扱いが達者と言われる演出家になりたい……私の生活がままならないのですぐに次回公演は開催できませんが、これからも見守ってくださると嬉しいです。それから一緒にお芝居をつくってくれる方を常に募集してます。よろしくお願いします。

そこそこの量になってしまいました。
読んでくださりありがとうございました!


延期前のチラシ、撮影は天気ちゃん

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