子ども劇団を作りたい

まず私がこの話をする前に、私の人生について軽く話しておきたい。

私は学校にも家にもなんとなく居場所がない小学生だった。

勉強はそれなりにできた。そして学業に対して熱心で真面目だった。真面目すぎる故に、誰も私と仲よくしようという人はいなかった。友達と思ってるひとはいたけど、遊ぶ約束をした日に居留守を使われ、仕方なく帰るところを窓からクスクス眺められたりした。みんなは集合時間が私より早かったのね。いじめと呼べるような暴力的なものはなかったが、そういうことが度々あった。

実家は、そんな特別荒れてるわけではなかったが、私が小学生低学年の頃、時々母親が癇癪を起こして、誰かわかんないけど近所の人に通報され、学校から家に帰ると玄関前にパトカーが止まっていて、お巡りさんの前で母親が泣いているということがあった。そんな日の実家はどこか冷え冷えとしていてよそよそしかった。次の日学校に行くと、「警察きたからバンザイマン犯罪者~!!」と言われた。強調しておきたいのは母親は悪くない。母親は、田舎特有の監視社会と、手のかかる発達障害児らの子育てに疲れ切っていただけなのだと思う(ちなみに父親は当時研究員として漁船に乗っており、一年のうち数ヵ月しか陸に帰ってこなかったのでそれは仕事なので父親のことも責めないで欲しい)。とにかく母は、私たち姉弟が悪いことをしなければ発狂しなかったし、発狂しなければちゃんと愛を与えてくれる人だった。でも当時子どもだった私にとって、母親はいつキレるかわからない存在だった(でも母のことは好きです)。発達障害に関しては、姉と弟は明確な診断名があるのに対して、私はグレーゾーンと言われて診断書が出なかったので、「私は普通、私がちゃんとしなきゃ」と勝手に思っていた(姉に対しても弟に対しても失礼)。それも息苦しさに繋がった。また三人姉弟なのに個人部屋も子ども部屋もなかったので、そういう物理的な居場所のなさもあった。

そんな私に居場所をもたらしてくれたのが市民劇団だった。そこでは私のバカみたいにデカい声も、ちょっと落ち着きがなくてお調子者なところも受け入れてもらえた(度が過ぎるとちゃんと叱ってくれた)。そして学校では煙たがられたクソ真面目な性格も、劇団では評価に繋がった。このように、学校でも家でもない第三の場所が私の居場所となった。

今所属している劇団もそうだ。大学に行きづらかった(行けなかった)私が、芝居をしないと死んでしまう私が、なんとか生きていけるようにたくさん手助けをしていただいた。


つまり、言いたいことはこうだ。

きっと全国に、私のような子どもがいるはずだ。私はたまたま劇団だったけど、絵画教室でも音楽隊でも合唱団でもスポーツクラブでもなんでもいい。こういう場所が、居場所のない子どもを救う場所として機能するということを子どもだけではなくて大人に知ってほしい。一瞬でも、学校や家から離れる時間があるだけで心持ちがどれほど違うか。特に田舎では、家を飛び出したところで逃げ込める場所なんてない。あるのは広大な田んぼと畑だけだ(実際私も夜中に家を飛び出して、ただただ夜道を散歩するだけして帰るということが何度もあった)。私はそういう地方における子ども劇団を作りたい。学校や家だけじゃない、新しい選択肢を与えられたらと思う。




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