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『大学生になって気づいたこと』by大1の私

4月に大学に入学し、早くも半年が経過しようとしている。
ここで、ひとまず大学生になって気がついたことを記録しておこうと思う。


①人生って、意外とやることない


思っていたよりもずっと暇。

いや、どちらかといえば、無気力に近いのかもしれない。
何をやるにしても、やる気も、やる意味も感じられない。

入学前は、自由な世界に夢を膨らませていた。
辛く、苦しい受験の呪縛から解放されたら何をしようか。

たくさん遊びにいこう。
何か新しいことに挑戦しよう。
将来に向けて、勉強や経験を積もう。



好きなことをたくさんやって、最高の人生にしよう。



しかし、現実はこうだった。



これから先やること全部に、意味なんてない。



高校時代は、「受験」という一つの大きな目標があった。
とにかく、勉強をしておけば、「自分は人生にプラスなことをしているのだ」と実感できた。
新しいことを学び続け、自分自身が成長してく過程を感じられた。

しかし、今はどうだろう。

もちろん、3年半後には就活がある。
だが、就活のために、今の時間を全て捧げて、なんになるというのだろう。面接でアピールするために、ボランティアをして、インターンに通って、人脈広げて、_________


私は一体、どこに向かっているのだろう。



リゼロより


勉強をしても、「なんのために勉強してるのだろう」
新しいことに挑戦しても、「何を目指しているのだろう」
友達と遊びに行っても、「結局なにがしたいんだろう」
家でダラダラしても、「なんのために生きてるんだろう」


別に病んでるわけではない笑
昔から考えすぎな性格ではある。
ただ、ここのところ、何をしても意味を感じられない。

私はちゃんと、人生を大切に扱っているのだろうか。
あと何十年も、どうやって時間を潰せば満足できるのだろうか。

『これをやっていれば、我が人生に悔いなし』

そんなものを、見つけ出すことはできるのだろうか。



こうして、今日も何もせずに1日を浪費していく。

受験燃え尽き症候群ってやつなのかしら。


②苦しいことをするのが努力ではない


①の漠然とした不安感に対して、少しだけ答えに近づきそうなことがある。
それは、苦しいこと=努力ではないということ。

当たり前と言えば、当たり前なのかな。

好きなことを我慢して、辛く、やりたくないことをやる。

今まで私は、それが正しいことだと思っていた。

特に勉強。

娯楽を我慢して、苦手な問題を解く。
それをすれば偉いのだと思っていた。


でもそれって意外とバカなのかもしれない。


だって、苦手なのに、無理して運動する必要がどこにある。

好きなのに、絵を描くことを我慢してなんになる。

人生、そんな回り道してどうするってんだ。

どうして自分の好きなことが、時間の無駄だと思ってしまうのだろうか。


『これは時間の無駄。だって自分が楽しいだけだもの。』

そんなわけがないのである。


好きというのは才能で、才能ならばそれを伸ばさねばならない。


ブルーピリオドより

ブルーピリオドで、私が好きな言葉。

『好きなことをする努力家はね、最強なんですよ!』

そうだったんだ。

大学1年生にして、私はこのことをやっと理解した。


私はまだ、この長ったらしい人生で何をすべきかわからない。

ただ、もう苦しいことはなるべく避けようと思う。
(死なない程度に)

わかんないけど、とりあえず時間はたっぷりあるんだ。


楽しそうなことを片っ端からやる、結局これしかないのかもしれない。


なんかアドバイスあったら、コメントお願いします(土下座)

こんな若者の舐め腐った嘆きを聞いてくれて、ありがとう。

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