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なぜ生きるのか

暇で暇で仕方がない夏休み。
YouTubeを見ていたが、すぐに飽きてしまった。

面倒くさいことに、何にもやることがないと、妙に哲学的なことばかり考えてしまう。


なぜ生きるのか。


今後、一生付きまとうこの問い。
こうやって時間があるうちに、少しでも考えを進めておこうかと思う。


人生に意味なんてない


こうやって簡単に答えを出してしまうこともできる。
実際、かなり納得のいく答えだと思う。

偶然この世界に、この時代に、生まれた私たちは、どんなことをしても、人生という時間の流れには逆らうことができない。

寝て、起きて、食べて、寝て、起きる。
生まれて、成長して、年老いて、死ぬ。


このことからは逃れられない。

そう考えると、確かに、人生をかけて何かをやろうとしても、些細な違いでしかないのかもしれない。

偶然、理性を持った生物に生まれたから、何かに感動したり、苦労したり、努力したり、夢を追いかけたりできる。
しかし、結局はただの生き物以上の何者でもないのかもしれない。


ただ、この結論には少しだけ問題がある。


なぜなら私を無気力にするから。


正論だろうが関係ない。人生に意味がない?
そんなこと言われたら、何もかもやる気が失せてしまうではないか。

大学から出された宿題も、就活も、サークル活動も、友達関係も、
全部全部全部、どうでも良くなってしまう。


それは良くない。非常に良くない。


なぜなら、事実と現実は違うのだから。
たとえ、今生きていることに意味がなかったとしても、目の前で目まぐるしく繰り返される毎日に、私は五感を刺激され続けている。

生きていると、焦るし、興奮するし、歓喜するし、絶望する。

この、与えられ続けるすべての刺激と、それによって溢れ出る感情を、どうして無視できようか。


私は生きているのである。
その現実は、ただ受け入れるしかないのである。


そもそも、『意味』という概念自体、人間が勝手に生み出したものなのだ。

元々、この世界は、宇宙は『意味』という概念が存在しないまま、成り立っていた。
それなのに、因果関係をこよなく愛する我々人類は、自分たちの作ったもの一つ一つに『意味』を授けた。

この言葉の意味は、こう。
この道具の意味は、こう。
この文化の意味は、こう。

そしていつ日か、世の中のすべてのものには『意味』が存在していると錯覚してしまった。元々、人工的に作られていないものに、意味などないのに。

宇宙、地球、自然、生物____

言葉が作られる前から存在したこれらは、『意味』なんて概念は必要がなかった。

そして『人生』も。


『人生の意味はなんですか?』と聞かれたら、
『人間が生きていくこと、またはその生活』です。
そう答えれば良いのである。


なぜなら、『人生』なんて言葉自体、人が後からつけたものだから。

そして、『なぜ生きるのか』。
この問い自体がナンセンスなのだ。

私たちが、理性や自我を持って、生きようとする前から、人は生きていた。
『なぜ』と考え出す前から、自ずと人生を歩んでいた。


そして、『生かされている』私たちは、それを受け入れて、時の流れにそって動き続ける。

つまり、正確には、


「『生きる』をどう使うのか」


この、どうしようもなく情動的な毎日を、どう過ごすのか。


感情に、理性に、脳機関に、何を与えると気分がいいのか。
それを探り続けるしかないのかもしれない。



と、ここまで衝動に任せて描き続けてきたわけだが。
結局まだ答えには辿り着いていない気がする。
というか、同じことを繰り返し言っているような気もする。

さて、いつか、この文章を私は読み返す日が来るのだろうか。
その時には、どう思っているのだろうか。
とりあえず、18歳の私は、これが精一杯であった。

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