見出し画像

映画レビュー 「かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦 ファイナル」 福田雄一風の映画は勝手に終わってろ

☆筆者は恋愛頭脳戦を語りたい

恋愛頭脳戦。これを優先するがあまり本作のラストは大きな失敗を犯した。恋愛頭脳戦と言いながら、本作はデスノートのようなシリアスなサスペンスであってはならない。この言葉はお分かりの通り建前である。

本来好き同士である2人がなぜ回りくどいことをしなければならないのか。恋愛頭脳戦と呼ばれている物の正体は2つ。シンプルに相手が実は恋愛感情を抱いてなどおらず「フラれたらどうしよう」という奥手な性格(草食系と言い換えても良い)。そして2つ目は自分に自信がないから 自分はご立派な人間では無いという自己肯定感のなさが原因の一端なのだ。かぐや側で言えば映画で描かれている通り令嬢で人付き合いを利益でしか見ていなかった冷徹な性格だった過去。御行で言えば、令嬢である彼女に釣り合う人間かどうか不安というものだ。だから自分から告白するわけにはいかないのだと、おのれに課してしまったのだ。だからこそ四ノ宮かぐやは、自身の財力と培われた能力を武器になんとか御行によく見られようとする。だからこそ白銀御行は努力家であることを武器に学年一位の成績を維持し、歌や踊りなどポンコツな面を改善し彼女に釣り合う人物になろうとする。現代的なテーマを入れつつ、「天才たちの」という名を冠していながら誰でも共感できる物語なのだ。

恋愛に奥手で、それでも好き同士である二人が共に実にお可愛いこと。そんな思春期の、恥ずかしさから天才たちが作り出した言葉こそ「恋愛頭脳戦」でありそう呼んでいる二人を楽しむ作品なのだが。結果、恋愛頭脳戦をやる事こそが今作の一番重要な事だと判断したラストの展開には違和感が残るだろう。屋上での告白は前述に照らし合わせれば「相手の気持ちを確かめる」と「自分から告白しなくて良い」というかぐや側の勝利条件を満たしている。そして財閥の希望である内部進学をいとも簡単に取り消せるのであれば、あの時点で断る理由など皆無なのだ。脚本上完全に無意味なラストを挿入しているのも、恋愛頭脳戦こそが物語の白眉だと完全に誤読した末のものだと想像できる。本当にかぐや姫の物語を絡めて使うのなら、月に帰ったかぐや姫のように進学後に完全に手の届かない存在にかぐやがなってしまう。彼女に追いつくため何年も時間をかけ、大企業を一代で築きCEOとなった彼が四ノ宮での見合いの場に現れる。全ての障害を乗り越え、恋愛頭脳戦という思春期の建前を使う必要のなくなった彼らはやっと対等にお喋りする事ができるようになる。ぐらいやってもらわないと困るわけである。


☆伊井野ミコを救いたい

今作の脚本にはかなり違和感を覚えるシーンがあった。一番大きいのはやはり伊井野ミコが脚本上存在しなかったとしても成立してしまう点であろう。今作での彼女の役割は、石上を過去の事件で嫌うことと藤原の舎弟のように振る舞う事のみだ。筆者の一番好きなキャラなだけに実に悲しい。そこで彼女の名誉のため補足を簡単に行いたい。

画像1

初登場は、コミック7巻65話。前作の実写版「かぐや様は告らせたい」の生徒会会長選挙の部分で本来は登場する。これに彼女が出馬し同時にキャラクター紹介となっていたのだ。しかし謎改変により消滅してしまった。おそらくディケイドのせいであろう。おのれディケイド…    

伊井野ミコは真面目すぎる。あまりに筋金入りで真面目過ぎたのだ。生徒会長選挙に出馬した彼女の公約は下記の通りだ。彼女にとってかっこいい髪型は坊主である。

画像2

風紀委員として徹底した校則遵守の取り締まりをするが、そのため彼女を快く思わない生徒もいる。弁護士の娘で正義を信じているが、彼らの心無い声に胸を痛める打たれ弱い面もある。そのため元からのアガリ症がますます悪化し大勢の人の前で話す事が難しいという生徒会長を目指すには致命的な弱点を抱えていた。そこを会長白銀に救われ生徒会として会長となるべく勉強することになったのだが。その後は、世間知らずな面もあり主に性的な勘違いをするというギャグがお約束になったり、意外とイケメンのASMR動画を聞いていたりとギャップもあるキャラクターとなる。そんな彼女の魅力が。遺憾無く発揮するどころか全力で叩く壊してきている本作。彼女が風紀委員でクソ真面目である事や校内恋愛に対して懐疑的な設定など(四ノ宮の恋愛に藤原と過剰に反応していた)は全て削られ前述の役割に全うしている。そして原作では伊井野と石上の関係は少し違っている。石上の真実(実写でも描かれた)を彼女は知らなかったが、中等部時代に反省文を提出しない石上を退学にしようとする教師陣にそれ以外の課題は全て提出している勤勉さを訴え続け抵抗していた。そもそもあの反省文が提出できなかったというエピソードは自分が間違ったことをしていないという彼自身の正義感による抵抗だった。中等部時代の彼は正義感が強いという伊井野とある種似た者同士だった。一方の石上も、中等部から伊井野を知っているが、自分と比べてあまりに真面目過ぎ煙たがられ、他の生徒から背中に張り紙をされるなど軽いいじめを受けていた。石上も正義の人なので見過ごせず、彼女に知られないよう剥がしたりしていた。お互いにこれを知らずお互いに守ってあげてると思っているのだ。彼は校則を破りまくる石上に対しては、きつく当たることもあるが、仲良くケンカしているという微笑ましさがあったのだが。  脚本上最低限の役割しか与えられなくなってしまい(原作人気キャラなのでとりあえず出すかという打算すら見える)存在しなかったとしても成立してしまう

☆制作サイドは原作を遵守したい

屋上でのシーン。ウルトラロマンチック大作戦の概要は原作では風船が舞うシーンで終わり次の話数で紹介される。

画像3

そのため連続して見せられれば、そこまで作っていた恋愛シーンの空気を完全に壊し話が止まってしまっている。また直後の四ノ宮の回想(人付き合いを利益で見る)もまた同様だ。あのシーンも原作に忠実ではあるが、次にかぐやが何を言うおかという緊張感があの段階で完全に切れてしまう。もし入れるのであれば、冒頭の導入部の前に入れておけば最低限の回想カットのみで成立させることができるわけだが、原作の流れや構図をそのまま使うという最もイージーかつ捻りの無い脚本で本来出せていたであろう魅力も削がれている。そして喋れなくなった彼女の独白も全て言葉で感情を説明してしまうという鬼滅の刃のような演出を実写映画に組み込んでいることは一見原作通りだが、表情による演技などを捨てた逃げの演出にも思える。

そしてあまりに原作を重視しすぎたのが応援団と石上の過去だ。かぐや様の原作でもかなりシリアスなエピソードだ。あまりに時間がない中で全てを映像化しようと欲張った結果、石上の心境の変化や過去の彼の絶望が描ききれていない。さらに原作の重要なシーンが逆に削除されている。彼が救おうとした大友がリレー直前に現れるシーンだ。独特の空気と同調圧力によって萎縮していた石上が変わりたいという願いとは裏腹に居合わせたトラウマの象徴(自身が助けようとした大友は未だ真実を知らず石上に罵声を浴びせる)に対し、「うるせえ ばーか」と捨て台詞をかけ走り始める。

画像4

しかし彼の健闘むなしく2着。そこに彼と接し偏見なく向き合ってくれたかつて自分が嫌っていたリア充応援団のメンバーが彼の駆け寄る。しかし今作においてはこの演出が省略された事で彼が陰キャラで何となく嫌われている(もしくは避けられている)という話でも成立するようになってしまう。彼が応援団の活動に参加している様子や、他メンバーとの関わりがほとんど描かれない事で彼らが駆け寄って励ますシーンで生まれるはずのカタルシスも原作に比べ少なくなっている。これを本気で実写化するのなら「桐島部活やめるってよ」レベルの同調圧力の怖さを描かなければならなかったはずだが、笑えないギャグが多くねじ込まれシリアスさは減少してしまっている。

強引に感動・人気エピソードを集め何となく感動的な音楽でまとめ上げる。まさに本作は「STAND BY ME かぐや様」と言ったところだろうか。当然クスリとも笑えず、感動の涙などでなかったわけだが。

☆ポスト福田浩一は報われない?

福田雄一はドラクエをパロディとしたドラマ勇者ヨシヒコシリーズで有名となった監督だ。その武器はギャグ演出と間の笑い そしてパロディである。彼は「銀魂」「斉木楠雄のΨ難」「オタクに恋は難しい」など漫画原作の実写化作品に携わっている。またムロツヨシ・佐藤二朗などは高い確率で彼の作品に参加し福田組と呼ばれている。お笑い好きでギャグ作品との相性が高く実写化の必勝法のようになっている。

画像5

このメソッドの影響下にあるのが前作「かぐや様は告らせたい」と今作だがパロディはとりあえず出しているだけ(全裸監督)で面白くもなんともない。佐藤二朗を出演させているのも彼をとりあえず出しておけば面白くなるだろうという安易な発想から持ち込まれたものだろう。しかし彼のアドリブ演技は細かいツッコミができる俳優がいなければギャグとして成立しづらい。その結果、見せ方を誤れば永遠とふざけているようにしか見えなくなってしまうという問題がある。同様の現象は、福田自身が脚本・監督を手掛けた「オタクに恋は難しい」でも起こっている。はっきり言ってなくても成立する冒頭のするシーンで永遠とゴルフウェアメーカーをバカにした演技が続き正直不快になるものだ。前作のかぐや様での病院でのシーンで、足のギブスをはめている患者を突き飛ばしたり今作でも特に作劇上必要のない場面で行列に並ぶ人を小突いたりと品性を疑うようなシーンに限って佐藤の出演シーンなのだ。俳優1人の見せ方一つ演出やコントロールできない状態で福田監督のマネを行う事がいかに危険か漫画作品実写映画を検討しているスタッフは注意していただきたい。その資料として本作は非常におすすめです!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?