ガバガバガバナンス

https://twitter.com/IWAN_NAOK/status/1674199274945486849

主観的にはそうであっても、客観的に「それ」が具現化できているかはわからない。したがって、「全然違う目線」が必要なのだが「組織内で頑張っている人間」であればあるほど、その目線は持ちえないし受け入れ難い、という構造的な矛盾があるように思う。

そもそも「ガバナンス」は属人的な要素であってはならず、個々の「組織内におけるパフォーマンス」や「バリュー創出」とトレード関係ではありえないのだが、明確に区分されないのが前提であることに若干の危機感を覚える。「でも、まあ現実そんなもんですよ」と言われればそんなもんなんだろうが…。

それでも、「やり方に若干問題はあるかもしれないが、実績を上げているから」といった理由で一部指導者に過度の権限が集中したり、「長年成果を出してきた専門知識を持った役員に依存」して事務処理がブラックボックス化する、などと言うのがガバナンス喪失の類型のひとつなのだよ、と警鐘したい。

(2023年6月29日に投稿)


https://twitter.com/IWAN_NAOK/status/1674483139643580437

そうとも言えますが、主旨は若干違います。組織と自己に対する認識を改めた方がエエよ、と言いたいのです。
最近で言えば、東京オリ・パラ組織委なんかが良い例で、かの組織は主観的には内部・外部統制を受け、コンプライアンスを遵守する体制を備えていたわけです。(皮肉ではない)

のみならず公益認定において国家が「建て付け」が備わっている事を確認している組織であったわけです。(皮肉ではない)

しかし今、過去の不適切な事務が刑事事件化するに至り、内部統制が働いていなかったと強く推定されるわけです。あとから「欠陥があった」「うまく機能していなかった」というのは簡単なのです。恐ろしいのは少なくとも活動した8年程の間、主観的には「俺たちはちゃんとやってる」としてきた事です。

これって組織は一般にそういう構造的欠陥を内包しているという事だと考えませんか。

それとも刑事責任を問われている一部の役職員の属人的問題だったと言えますかね?彼らが悪だったのであって排除しておけば問題は起きなかったんだと。

元理事だってひょっとすると自覚的には「自分は一部には煙たい存在かもしれないが、組織にバリューを与え、圧倒的な成果を成し遂げている」と考えていたかもしれませんよ。これは冗談ではないです。

そう言う話なので、JCA批判じゃないんです。「本当にあって、これからも必ずあるコワイ話」なんです。そう言う受け止めをしていただけるとうれしいですね。

https://twitter.com/IWAN_NAOK/status/1674562908884439041


願わくは”ethos”としてではなく”logos”として摂取していただきたい。

(2023年6月30日に投稿)

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