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#92 強いですか2022(前編)

 ちょうど昨日。六本木の俳優座劇場で日大二高演劇部「宮本武蔵」千穐楽があって観てきた。俳優座劇場で高校演劇の幕が上がる、というのが眼目を置くべき点ではあるがナニ、会場がどこであろうが、観客が誰であろうが同じクオリティでやることを心がけるように一年間やってきたのだ。千穐楽なんて大方の観に来た客にとってはどうでもいいことだしネ。

 話は去年の春に遡る。
 顧問宇田川と例によって飯を食いつつ、来年の公演は何をやるべえなどと話していると、急に「『宮本武蔵』って言葉が面白いよな」などといい出した。ちょうど高校演劇の全国大会が東京で催される順番となり(なかのZEROである)顧問宇田川がなんらかの手伝いに行っていて、そのときにふと思いついたんだそうである。
 どういう風の吹き回しにせよ、当方の立場としましてはこの「宮本武蔵」からなんらかを捻り出さねばならず、「巌流島水産高校の」「武蔵を待っている小次郎に」「地元のコギャルがダル絡みする」「ペンギンの飼育員」「手旗信号部」手旗信号部の案は面白かったけどな。海を挟んで向かいの彦島工業高校手旗信号部と手旗でラップバトルをする話。そんなこんなを二時間ほどごちゃごちゃと話し、新歓公演があり、三年生が引退し、台本が配られる段になってそうした雑談が1mmも採用されていないのはいつものこと、いつものことでございます(あとの話によると「宮本武蔵 vs 佐々木小次郎」の闘いそのものをネタにするのには限界を感じた、とのこと)。

 しかし、初見ではなにもわからなかった。今売っている戯曲集(AA)にも収録されているのだが、買って読んでみても何が出来上がるかちっともわからないんじゃないだろうか。こんなことを書いたら購買意欲が失われますか。いや、もうこのコラムを読むような人はみんな持ってるんじゃないだろうか、みたいなつもりで続きを書きます。
 しかし、難しい本。その後二回くらい改訂版が出たと思いますが、それでも、役柄ガワとして用意されているのはただの、何の特殊能力を持たない一般人モブしかいない本だから、それぞれの役者が台本の流れに合わせてきっちりと、面白く見えるように着こなさないといけない。面白いか面白くないか以前の問題として、ナニが出来上がるんだろう? というのが正直な感想でした。この本を「宮本武蔵」と題していいのかもわからない。

 あらすじを書いておこうか。舞台は都内、とある高校の演劇部部室。部員は二人しかおらず、パンデミックのせいでまともな練習もできないしでとうとう廃部を告知されてしまう。
 一方、この部室には5人の芋ジャージの幽霊が棲んでいて、26年前からずーっと部室の掃除をして時間を潰していた。26年前になにがあったかというと、隣にあった物理部の部室で爆発事故があって、それで爆発に巻き込まれて死んて、幽霊になった。今生きていれば44歳のおばさん5人になっていたであろう、女子高生の幽霊。舞台はこの生者と死者の境界を決して破ることなく、演劇部がなくなっても、この時代を「強く」生きていこうとする、で、おそらく幽霊たちは「演劇部」というアイデンティティを失ってようやく成仏出来るのであろう、みたいなことが示唆されている。
 宮本武蔵要素ですか? 無口な部員がずーっと読んでいるのが吉川英治『宮本武蔵』であり、「弱くて、強く生きる」というモチーフにきっちり嵌め込んでございます。

 さて。だいたい5月の半ば、中間テスト後くらいに台本が配られ、まず8月に大会がある。夏の間は合宿代わりに区内の公営レンタルルームで稽古する。役者の方も長い人は4年位演劇部にいるので、そこは脚本の癖のことを熟知しており、やはり中身が入るだけでずいぶん「この劇がどういう話なのか」くらいはわかってくる。おっさんの役目としては(制作側の都合ではなく)あくまでも観客側からスッキリしないところや見えにくいところを一個ずつ潰していく。上品に云えばそのようなことであるが、乱暴にいえば高校生の合宿におっさんが乱入してきて「見えねえぞー」とか野次を飛ばしている状態である。
 いやぁ、でも、野次を飛ばすだけ飛ばして「これは、ナニが始まるんだ?」というのは本番までわからなかった。ここ数年の「金田一」「智子」とか「薔薇美」というのは極めてわかりやすかったぶん、余計に不安しか無い。
 稽古の上でつまらない穴は無くしたが「われわれは何を作っているのか?」というのがわからない。こんなの初めてだ。わからないまま本番が始まった。8月の日藝。日大系列の高校による研究発表会。

 長くなった? よろしい。来週に続けよう。


みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。