見出し画像

#124 あたし文学

 その昔、秋葉原の東京都中小企業振興公社でやっていたあたりの文学フリマが一番居心地が良かったなあ、ということを、来年から「東京ビッグサイトでやるらしいで」というニュースを聞いて思い出していた。
 当方、本件に関しては"OB"という立ち位置でございます。秋葉原ではアンソロジー、人の企画に乗っかるかたちで何冊か出し、会場が蒲田に移ってから自分とこのサークル、書肆べうで出店しはじめたはづだ……で、何回だかの、現在の東京流通センターまで出店していた。第一回の金沢には物見遊山ついでに出てみた。おいしい魚もいっぱい食べたし永平寺にも詣でられて大変楽しゅうございました。

 なんで止めたかといえば、「売れないし、大事にされない」からだ。そりゃあそうだ、出店人数が多くなればそれだけ関係性も希薄になる。が、それを甘受するところにはあたしの文学は無かったのだ。もしくは「面白きゃ、大事にされる」という思い込みの間違い。結局は企画だの飲み会だの日々の交流だの、コミュニティの中でうまく立ち回れるところだけが中で良い思いをしている。出店を通してそういう学びがあった。

 だが、違うのだ。文学って、クラスの誰ともうまくコミュニケーションが取れない、もしくはものすごく不均衡なやり取りでしか我慢できないひねくれ者が、唯一作品を出すことでようよう市民権を得るのが文学なんぢゃないのか。で、みんな「いい思い」をしたくて努力やら我慢やらして本をこしらえて、わざわざ5,500円(今ァいくらか知らない)ショバ代を払って、重い本を担いで売りに行くんじゃないのか。売れなきゃ売れないでいいのか? いいわきゃないだろう。
 出れば出るほど余計にみじめになっていくので出店するだすのを止めた。これを、今様の表現としてはふさわしくないかもしれないが「負けた」と表現しても差し支えない。文学フリマにはあたしの文学ァ無かった。いや、無くなった。そう結論する。

 じゃあどうすればいいんだろうね、という問いを抱えたまま、もう8年間ぶらぶらしている。金沢文フリのときにゃ息子が生まれていたから、まだ8年だ。

 しかし、ビッグサイトなぁ。

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。