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#145 ソファーの上の蛙(Toad on the sofa, 2024)

 世の中が新年度になってしまったので、昨年度やり残しのネタを今のうちに……今日は娘の小学校の入学式でしてね、などということを書いておくと後で読み返したときに「そうか、あのときか……」と紫煙をくゆらせることもあるかもしれない。この場合の紫煙はおそらくようかいけむりなんですけど。Amazonで見たらえらい値段してけつかる。

 息子の小学校の図工の時間にて「古着やもう使わない靴下なんかを使ってなんか作ろう」という、例の持続可能な感じの工作がお題に出されてきまして、じゃあ、ってんで着なくなったタンクトップを持っていって、もって帰ってきたのがこちら。

 なんともうしますか、どう見ても部活帰りに脱ぎ捨てたシャツなんでございますが。もっといえば、部活帰りに脱ぎ捨てたシャツにそのへんに散らかしてあったセロテープだの包装のリボンがずぼらゆえに絡み合ったやつなんですが、正解は蛙でございます。カエル! つまり、

 こういうことでございますな(たぶん)。
 本人、きわめて不器用ではありますので「なんかつくれ」といわれてさぞ困ったんでしょう、持っていった素材タンクトップの色味から蛙を想像し、手持ちのモールから赤色のを取り出して舌に見立てた。あとはリボンを巻いてぐるぐると、目ということにしてふたつ貼り付けた。ははあ、なるほどなるほど。
 と、わかってきますとね、脱ぎ捨てたみてえなタンクトップが「のさっ」とした重みを帯びていく感じがいたしましょ? なにしろタンクトップ2枚とモールとリボンをセロテープで不器用に貼り付けただけですんで、展示場所を移動するたびに形が崩れる。本人がそれっぽく見えるように調整する。いいんだよ、生き物だって移動するたびに形が変わるんだから。そんな弁えもしたくなる。もうお前は蛙だ。いつまでものさっとしてろい、という心持ちになってくる。

 期せずして――おそらくは、本来は「廃品を利用してアートを作ろう」みたいな、いっそ作った本人以外誰も喜ばないようなテーマの制作だったと思うのですが、いままでに申し述べてきたような情報が加味されることで、もうちゃんと質感を持った蛙じゃん――つまりは、意味のないところに意味を見出すものとして、存外によかったという話でございます。
 その後本作、なんとなーく家庭内で市民権を得て「蛙」として、なんとなくソファーの上に陣取っている。いずれ蛙としての存在感を失って――つまりは飽きて、またもとのタンクトップに戻るのはいつかはわからないが、たまに動いてそのへんの小バエでも獲っているのかもしれない。

 アートの価値ぃ? あるよォ、ここにぃ。

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。