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えねーちけーアーカイブス #141 崑崙

 ながちろのオンライン作品を掘り出して再利用しようというNながしろさんH恥のK掻き捨てアーカイブス。第141回は「崑崙」。

 ※ 今回は文末に本文があります

 前回(#140)の予告通り「崑崙」が発掘できたので掲載の運びとなりました。2011年7月の作品だって。当時はGREEの小説部屋にもおった時期があって、そのときに書いたものでございます。

 今見ても面白い。問題が発生して、問題を解決する気がないのが面白い。「他人の問題こまりごとに真剣に付き合わない」というスタンスがいまの世の中では不愉快に思われるのかもしれないが、でも実際は、表面的にゃ他人を思いやっているようでいてその実は心底どうでもいいみたいな心理はあるんでないですか。「仙人」とはそのへんが正直な人なのだろうと思っている。別に共感しなくていいのではないですか。というのは、共感しなければならないという圧にたいするアンチの心であるぞかし。
 ここまで書いててモンティ・パイソンのベッド売り場のスケッチを思い出した。新婚夫婦がデパートの寝具売り場に行くとクセの強い店員らが出てくる。一人はものの長さを10倍多く云う(呪いみたいな)癖があり、もう一人は逆に長さを1/3に云う癖がある上に「マットレス」という言葉を聴くと紙袋に頭を突っ込んで突っ立ってフリーズしてしまう。もとに戻すにはその場の全員で箱に足をつっこんで「エルサレム」を歌うしか方法がない――たしかニコニコ動画にあったはづだが……がんばれよ、角川!
 面白さの種類としてはこちらに近いと思った。あのへんの「収拾のつかなさ」を面白いと思う感情は何なんだろうな。な。

 というわけで、以下、本文。

崑崙

 崑崙には時計草がよく似合う。
 人間が崑崙に行けるようになって早五年の月日が流れた。当初は北京空港から西へ発ったジャンボジェットの行方不明に端を発したのだが、六日経って無事に帰ってきた人々の話によると、操縦も効かずただひたすらに二〇時間も飛ぶと、ようやく地平線の果てに建物の影が見えるといった塩梅。とにかく、あったのだ崑崙。いたのだ仙人。飛んだよ飛行機、帰りは神通力。
 それから北京-崑崙間の航路が成り立つのも時間の問題であった。仙人たちもまんざらではなかったみたいだったが、事態を理解していたかどうかは定かではない。
 ミはドはん、待ってくだたいよー。
 ガイドとして雇った大学生の女はずっと食ってばかりいる。空港からこちら、雲に乗り、延々と山肌に沿って石段を登り、石畳の町並みにたどり着いてから、ずっとである。食べ物の屋台と見れば全て手を出す。明らかにバイト代として払った以上の金額を食べている。太りじしのわりには長い足でちょこちょことすばしっこい。
 さすがに頭に来て苦言を呈すも、バイト、ガイド、リーフィーは団子鼻の頭に何らかのクリームを付けてにっこりするのであった。味見よ味見。ミカドさんも食べたらいいでしヨー。食べるも観光と思うヨー。味見なら自分の金で買ったがいいじゃねえか。へも、ほんひょへれほげ、もんひゅしひ。口にモノを入れたまま喋るな。
 崑崙の空は抜けるような青である。インディゴブルーとかジャパンブルーなんていうが、崑崙の青はもっと黄みがかっている。周りを取り巻く茫漠たる砂漠のせいかも知れない。西海の南、流砂のほとり、赤水を前にし黒水を後にした大山崑崙の丘がある。と、Wikipediaで見た。赤水も黒水も砂であった。砂ばかり。飛行機で二〇時間砂の海。これでは道の出来ようはずもない。

 崑崙の城に九井九門があり、開明獣がその門を守る。開明獣は頭は人、身体は虎である。頭は人であるが、髪の毛の部分に九つの小さな頭が並んでいる。やあ、遠路はるばる。ずいぶんと人に慣れている。人間が来るというのにしかめっ面しているのもおかしいと思ったんですよ。本来は私もドウモウなタチなんですがね。「どうも~」なんつて。
 それまでにこやかだった開明獣の頭の九つの顔が無表情になった。
 シーン。
 もう一つおまけに、
 シーン。
 青空には刷毛を引いたような筋の雲だ。鸞鳳が悠々と旋回している。
 リーフィーの姿が見えない。開明獣をおいて市街に戻ると、人通りの少ない往来に大の字にひっくり返っている。大丈夫かリーフィー。ああミカドさんすみません。私食べ過ぎで苦しい。捲れ上がったTシャツからタヌキのごとく腹が膨らんではみ出ている。医者を呼ぼうか。いえ、少し大人しくしておけばきっとダイジョブ。
 ダイジョブというわりには身じろぎもしないので困っていると、いきなり声をかけられたので大層驚いた。考えてみれば崑崙だ。頭上から雲で降りられたら気配もなにもあったものではない。死んだ仕事でダイジョブ、なんつってななははなはなは。背後にいたのは地面に着かんという白ひげに杖の老人だ。童子をふたり連れている。この国にはしょうむない洒落が口から漏れ出る奇病でも流行っているのか。
 黄門と名乗る老人は話を聞くと高らかに笑い、童子に印籠を取り出させた。これは土下座でもせねばならぬのかと思いきや、印籠から出した薬をおもむろにリーフィーに含ませた。するとどうであろう、リーフィーの耳といい口といい鼻といい、身体中の穴という穴から虹色の光が放たれて青空の向こうへと橋をかけたのである。四方にひろがる虹の橋の袂がリーフィーである。相変わらず伸びたままのリーフィーである。導師先生、この子は一体、助かるのでしょうか。うんにゃわからん。虹を放ったらなんとなくお洒落じゃあないか。
 そうであった。ここは崑崙であった。――医者は何処だ。

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