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#71 用意される幸福

 息子が毎日音読の宿題を出されてくる。で、読むのを聞いて◎○△などを連絡帳につけろと云われている。イントネーションのおかしいところなどをきっちり直すまで終わらないので、毎日◎をつけている。

 今は「お手紙」というタイトルで『ふたりはともだち』を読んでいる。自分が小学生のときにも授業でやった覚えがある話だ。すげえな文学。35年経ってもまだ使える。

 かえるくんががまくんの家にいくとなんだかかなしそうなのでわけを聞けば「手紙をもらったことがない」という。急に思いついたかえるくんは取って返して家に戻り、がまくんへの手紙をしたためると、配達屋のかたつむりに託す。かえるくんとがまくんとで手紙を待っていると、ようよう四日経ってかたつむりくんが手紙を持ってくる、というあらすじ。

 おっさんになってこの話を読んで、というか息子の音読しているのを聴いていいなぁと思ったのは、「全部わかっていて、それでも待つ」というところだ。
 がまくんの嘆きを聞いたかえるくんは家に取って返し、手紙を書き、かたつむりくんに配達を任せる。それからすぐにがまくんの家に戻って、手紙が来るのを待つ(!)。当然、がまくんは訝しむ。

「なにをしてるのさ」
「君への手紙を待ってるんだ」
「そんなものくるもんか」
「来るさ、僕が送ったんだもの」
「君が? 僕に? どんな?」
「ぬんぬんぬんぬん」

同「お手紙」より意訳

 ここの「ぬんぬん……」にはかえるくんからの親愛が書いてある。納得したふたりは、幸せな気分で手紙が来るのをずっと待っている。

 これ、いいでしょう。その辺のありきたりなドラマだったら「手紙の内容がわからずにヤキモキする」だの「手紙が届く前にかえるくんが車にはねられる」だのしゃらくせえ筋を持ってこようとするのですが、そうではなく、「愛情の詰まった手紙が届くことがわかっていて、届くのを幸せな気持ちで待っている」意図しないところでジンときてしまった。最近、そんなことありましたか。「どっかに一万円落ちてねぇかなぁ」と地面を血眼になって探すことはありますが「一週間後に10万振り込むよ。課税もしないよ」ということはありえない。あったら詐欺だ、という発想そのものがしょっぱいし、世知辛いし、心が貧しくなる……がしかし、生きるには必要な知恵だ。

 なんだか非常に感心しまして、なんかこの「確定的な幸福が目前に迫っている」というの、どっかにねぇかなぁと思いました。あっても詐欺でなくてね、どうしても幸福とカネを絡めて考えてしまうのが、そもそも問題なのかもしれない……しれないじゃないな。そこだな、問題は。

 ところで、かたつむりくんが4日たってようやく届けに来たのは、どう考えても「かたつむりだから」ぢゃないよな。「あっ忘れてた」だよな。多分その気になればその日の宵には届けてくれるし、だからこそかえるくんも頼んだんじゃないかなぁ、と、そこはおっさんでなくても同じことを思ってくれる人がいるんじゃないかしらん……?

みなさんのおかげでまいばすのちくわや食パンに30%OFFのシールが付いているかいないかを気にせずに生きていくことができるかもしれません。よろしくお願いいたします。