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【研究生レポート】発酵なるもの・・・(松下大輔)

初めまして場の発酵研究所、研究員の「だい」です。仕事で時々書く機会がありますが、普段感じていることや考えていることを文章化するのは初めてです。




身体性に関する考察

このnoteを書き始めた感想は、「・・・アカン、書けない」でした。
書くと決めたのに書けない。
普段、それなりに本も読むのは好きな方なので何となく書けるだろうって思っていたのですが、当たり前すぎるけど、「読む」と「書く」は全く違う。
見たり聞いたり読んだり色々とインプットして、自分(脳)というフィルターを通して入ってきた情報を整理してアウトプットしていると思っていたので、テーマがあれば書けるだろうとタカを括っていました。

これまでアウトプットと思っていた行為はなんだったのか。
思考しているつもりで人の言葉の受け売りを継ぎ接ぎしているだけだったのか・・・?


書き進めるうち、これまでのアウトプットは言語化で、今回のアウトプット文章化なのだと気づきました。違いは「身体性」です。
これまで僕が行なっていたアウトプットは、あくまで頭で考えて紡ぎ出すものでした。しかし今回は、文章をつくるための姿勢(座り方、椅子の硬さや高さ等)や、動き(書く、キーボードで入力する等)の主体となる「身体」があるのです。

普段は理学療法士して病院勤務、アスレティックトレーナーとしてスポーツの現場の二足の草鞋で仕事をしています。そんな僕にとって、この身体性はかなり重要なキーワード。
 
身体性とは、思考に身体を参加させることです。
例えば座ったまま考えるより、歩きながら考える方がいいアイディアが浮かぶことはありませんか?黙々と机に向かうのに行き詰まりを感じたら、散歩しながら考えてみる。この場合後者は、五感が開かれた状態で感じながら考えています。脳も身体の一部なので、頭で考えただけのアウトプットより、全身を使って考えたアウトプットは幅が広がるのではないかと思っています。(そうして今回のアウトプットは、全身を使って言葉を考え身体を使って文章にするという慣れない作業が難しかったのではないか、と考えています。)
 
前置きが長くなりました。
今日は、「なぜ場の発酵研究所に興味をもったのか」という始まりの話と、発酵と身体性に感じた可能性の話を書いておこうと思います。


場の影響と視野狭窄

実際のスポーツ現場でも、グランドや体育館に入った瞬間に「ええやん!!」「何があった??」「空気重っ・・・」などなど、場を感じることがよくあります。
選手やチームは場の影響を受けます。
例えば、野球やサッカー。ホームゲームで観客席はファンで満員、日本一を決める大勝負。観客の声援、拍手、観客のエネルギーは確実にその試合に影響を与えます。文字通り会場全体で、一つの試合や大会をつくり上げると言っても過言ではありません。
そうして場の力、目には見えない「何か」が、結果に影響を与えることは勝負の世界にもあるのです。
 
僕は、昨年7月まで、約10年間は勝負の世界にどっぷり浸かってチームの勝利のために自分のもてるエネルギーの大半をついやしていました。リアルに「欲しがりません勝つまでは・・・」そんなマインド。
選手やチームスタッフに恵まれて日本一も経験させてもらったのですが、よくある話で、自分自身も「日本一」という絶対的な価値観の中、知らず知らずのうちに視野狭窄。チームを離れて気づきました。
 
勝利至上主義的な価値観ではなく、もっと開かれた価値観に触れて学びたい。そして、学びを日常にしたい。
 
そんな時、たまたま目に入ったのが場の発酵研究所でした。だから場の発酵研究所に対して能動的に出会ったというよりは、知らないことを知るプロセスが「ここにある」とわかってしまった感覚。(あ、「ここにある」って主宰の遼さんの会社名やん)(これ書きながら遼さんスゲーと勝手に感動!!)


発酵に必要な身体性

2週間に1回、ゲストスピーカーの「問い」のよって研究所の場は混ぜられます。そうして次の研究日まで、それぞれのプロセスが始まります。
運営の皆さんが酒造りでいうところの杜氏さんとなり、我々研究員やゲストスピーカーといった集まる人は原材料。それぞれのバックグラウンドや環境をオンライン上に持ち寄って、より複雑なプロセスが混ぜ合わさり、発酵が進んでいきます。
 
僕の中には、「なぜ直接会ったこともない人たちがオンライン上に集まって、開かれたコミュニケーションがうまれるのか」という問いがありました。

これまでどちらかといえばネガティブに、「本当のコミュニケーションは対面じゃないと」と、思っていたのです。しかし今は、場に対する敬意があれば、オンラインもオフラインも関係ないのでは、と、感じます。加えて「オンラインと各々の生活とのハイブリットによって新しい形が生まれ、さらに発展するのではないか」という期待さえ持っています。

オンライン上で混ぜ合わされた僕たちは、毎日の生活の中で少しずつ発酵していきます。

生活には、体を動かす、自然を感じるなどの身体性が必ず伴います。そこに「オンラインで得た問い」を混ぜ込んでいく。自分ひとりで問い直すことは、時に気づきたくない現実と向き合う作業です。しかし、気づき向き合う時間の中で、発酵はオリジナルになるのです。

毎日と向き合って菌を増やし、仲間と混ぜ合わさって発酵する。毎日の身体性なくして発酵は進まず、繰り返す中で、どんどん色が濃くなっている実感があります。




問い続けるための実験

今回僕は、場の発酵研究所の活動実験として「発酵キャンプ」を企画しました。これは実際に集まるオフラインでの研究活動です。
対面のコミュニケーションは、視覚情報(画面)と聴覚情報(声)以外の感覚入力が可能になります。今までに比べて身体が受け取る情報量がかなり増えるので、どんなことが起きて何が生まれるのか、今から楽しみにしています。
 
企画過程で色々なアイデアが生まれていますが、僕が一番注目しているのは「発酵ラジオ」、通称「ハコラジ」という企画です。これまでのゲストスピーカーに会いに行き、追加取材を行って音声配信する。研究員同士が集まってそれぞれの研究成果を音声配信する、など・・・
 
「このまま終わりにしたくない。継続的な関係性を大切にしたい」。
そう思うからこそ生まれた企画たちは、先に書いたハイブリットによって生まれた新しい形になりうると、僕は感じています。

 
問いから生まれる発酵というプロセスは、開かれた可能性であり、結果への信頼です。結果が良くなるとわかっているが、どんな結果になるかわからない。一見矛盾しているようにも感じますが、結果に対する信頼感はすでに得られているので、不安はありません。

素敵な材料があつまって、それぞれがおもしろい菌を持っている。

「発酵」という言葉が持っているポジティブなパワーが参加者の可能性を拡げ、目の前の出来事の解釈を開いていく。大きく捉えると、社会の発酵プロセスのようなこの状況を、余すことなく楽しんでいきたいと思います。


 
 


いつもご覧いただきありがとうございます。一緒に場を醸し、たのしい対話を生み出していきましょう。