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【話が通じないということ】

先日にも述べたように、次女はやんちゃ真っ盛りで、言うことを聞かせるために最近は毎日のようにおとりというか誘惑作戦をするはめになる。たまには、押し入れにいれるなどのお仕置きなどの恐怖作戦も混ぜてしまう。やりたいようにやらせたいし、でもそういうわけにもいかないというジレンマがある。

あれをやったら、これをやってあげるというのが一番多く、それは大人になっても、サービスの対価として何かをもらうという教育面とてしては悪いことではない。だから、お仕置きによる誘導が一番いけないとも思うが、法による統治の勉強ということも考慮に入れれば全面否定とも言えない。

特に最近多いのは、朝ごはんを食べさせるのが1番の難所であるから、朝ごはんを食べたら、iPadをやらせてあげるとかお菓子を食べていいとか言うことである。そして、朝ごはんをしっかり食べなかった時に、「今日は朝ごはんを食べなかったからお菓子なしね」、と言うと、「朝ごはん食べる」と未来形で主張してくる。

これは、過去の概念がまだわかっていないということであり、これこそ話が通じない典型例であると思った。それはそれで未来志向でいいのだとおもしろおかしくもあるのだが、子供って過去のことなんか振り返らないものすごく理想的とも言える存在なのだと思ったのであった。そんな子供に過去の概念を教えながら、大人びさせていくというのも何か罪悪感のようなものがあり、ジレンマを感じさせるのである。

夜、長女と一緒に寝ると興奮して遅くまで長女とベッドで遊んで起きているのは、それが保育園という社会生活を始めたものにとってストレス解消であるし、本人の楽しみであるから尊重してあげたいのだが、寝る子は育つと言うに、寝させることも大事であるからそれもジレンマであるし、しょうがないことであり、答えはないのであろう。

たぶん、そんな誘導やお仕置きなんか使わない方が本当は早く思う通りにできるのだろうから、そうなってくると放置のような感じにやっぱりなってくるのだろうとも思った。それもそれで罪悪感もあるし、思う通りにさせようなんて自分は偉い存在でもないのだから、まあなるようになるとその場その場でやっていくしかないのだというところで落ち着くのである。

#教育 #誘導#お仕置き#次女#過去#概念

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