「哲学的差別論」

<「哲学的差別論」>

(よい意味で)差別するけど、(悪い意味で)差別しない。

右翼は、
朝鮮人、沖縄人、アイヌ人を差別する。
「嫌いだから」というのがその理由だろう。つまり感情だ。
右翼とはそういう感情を持っている。その理由は、わからない。
(好き嫌いには理由は必要ないのだから)

(右翼思想を含め)思想とは感情である。
思想とは創作である。

しかし、差別とは、感情的差別と共に、科学でもある。
AとBは、違う。
これは、科学だ。

AとBは、違うけれども両方スキだという人と、
AはスキだがBは嫌いだというのが、
「感情的差別論」である。

差別論は、この二つの概念を一つにして(混同して)普通は議論されている。


<社会主義同士は争う>

1、宗教社会主義(IS、イスラム教、他宗教)

2、権威社会主義(プーチン、知性主義)

3、日本右翼(社会主義)

4、左翼(社会主義)

社会主義者たちは自分は正しい(正義)と言って戦争(人殺し)をする。
一色化支配のために。

このように、民主主義だけは安全だ。
(民主主義は、思想=イデオロギーではなく、多数決という「仕組み」だからだ)

今日、民主主義対権威主義といわれる。
(一昔前までは、民主主義対社会主義といわれていた。しかし意味は同じ)

2024-3-24日、ISが、ロシアでテロをおこなった。

プーチンにとっては痛手だろう。
つまりプーチン社会主義にIS社会主義が侵入したのだ。
このように社会主義こそが「この世」を混沌とさせる。
(複雑化させている)

日本人は「多」→「一」にする性向がある。
つまり社会主義化だ。
多様性=差別(区別)から、「一」へと『させようとする』のが
日本社会と言ってよい。

一律化、一色化、一丸化は、違う者を排除する。
右翼とは「違う者を排除する」(左翼も同じ)

「違う者は嫌い」という感情を持つ民族が日本民族なのだろう。


<「構造主義」を解説する>

構造主義は「不自由」の、ひとこと。
が、似合う。

「構造主義=不自由」なのだ。
サルトル(自由の哲学)が、サルトル後に現れた構造主義を批判したのは、
そういう意味があった。

構造主義はポスト・サルトルだという。
このこと自体がサルトル以降の哲学は(サルトルからすれば)後退していることを表している。

構造主義は「世界内存在」的傾向を持つ哲学だ。

日本そのものが、構造主義国家なのだから、
日本人は「世界内存在」という思想と
ハイデガーが好きである。
だから、日本主観者はハイデガーを一流と見る。

しかし、世界はハイデガーを二流哲学と見る。
ハイデガーは日本的なのだ。
だからこそ、ハイデガーと西田は、独裁政権に協力してしまう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?