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小説『琴線ノート』第23話「半個室」

下北のいつもの居酒屋に着くと恩田さんは先に
奥の半個室でビールを片手にパソコンを開き
イヤホンで何かを聴きながら何か作業をしていた

「お疲れ様です。待ちました?」

恩田さんは待ってないよとジェスチャーをしつつ
イヤホンを外してパソコンをしまい始める

初めて会ったのはバンド時代にレコード会社の
主催するオーディション企画に参加した時に
第二次審査くらいで早々と落選したけど
ちょっと面白いかもとイベントの後に個人的に
声をかけてくれたのが恩田さんだ

後からわかったけど恩田さんはレコード会社の
社員ではなく審査員として呼ばれた
外部ディレクターだった

恩田さんの音楽制作会社のWebを見ると
誰もが知ってるグループなどを手掛けており
アマチュア丸出しの自分達なのになぜか
気にかけてくれたまにライブを見てくれたり
アドバイスもしてくれるようになった
その明るさと社交性の高さのおかげで
僕らにとってはお兄ちゃん的存在だ

バンドの解散が決まった時に
これからどうするんだ?と聞かれた時は
「音楽はやめたくないけどバンドの経験を活かして
作曲とか編曲家を目指して最終的には
音楽プロデューサーとしてやっていきたい」
と夢みたいなことを答えると恩田さんは

「それならうちの会社と業務提携するか?」
と業界に引き入れてくれた

ステージに立つ”演者”から音楽制作の“裏側”へ
身を置きたいと思ったのはバンドで作曲も
担当していたのもあるけど
恩田さんが話してくれる作曲、編曲家や
プロデューサーの仕事に段々と興味が
湧いていたというのもあったからだ

それからは恩田さんのもとで作曲や編曲などをする
作家活動を続けている

「どうだ?七色スマイルの印税で潤ってるか?」
「印税なんて半年先まで入らないって
知ってるじゃないですかー。余裕でカツカツです」

いつものように与太話が始まる
とはいえ恩田さんが飲みに誘ってくれる時は
それなりに助言をしようとしてくれることが多いから
砕けすぎないように何処か気を張っている所もある

予想通り今日もここ最近の提出したデモの感想や
今の課題や提案中の曲の状況などについて
色々な話をしてくれた

「曲はだんだん的を得てきたからその調子で頑張れ
質も大事だけど量も大事だ」
「編曲はまだまだだけど焦ることはない
いつか作曲が決まった時に一緒にできるチャンスが来る」

恩田さんの言葉はいつも自分の目指す道を照らすようで
色んなアーティストからの信頼が厚いのもわかる

サシ飲みも後半になると話は脱線していくので
そのタイミングで聞いてみたいことを恩田さんに聞いてみた

「一番最近に提出した曲の仮歌どうでした?女性歌の。
初めての人にお願いしてみたんですけど…」

すると恩田さんは「そうなの?改めてちゃんと聞くわ」と
パソコンとイヤホンを出し聴き始める

恩田さんは酔っていても音楽を聴く時は真剣だ
自分のデモ曲を聞く1分半ほどの時間
賑やかな居酒屋の中でこのテーブルだけ無音が流れる
ヒナ太の歌は恩田さんにはどう聞こえるのだろう

僕はその表情を見つめていた

次回へ続く

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