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小説『琴線ノート』第21話「ピッチ」

「甘いのと辛いのどっちにする?」という父の言葉に
普段の私なら甘口を要求して
できるだけ無傷でいたいタイプだけど
歌が良くなりたいと思って燃えている私は
当然のように辛口のアドバイスを要求した

“仮“の歌だろうけど私なりにしっかり歌ったものだ
自分ではこのデモ曲の歌は結構いいと思っている
だからこそ私の考えの及ばないところの意見を
父なら言ってくれる気がしていた

「おーいいね。
それならまずこの歌を自分の実力と思わないことだ」

具体的なテクニックとかの話とかが来ると思ったのに
予想外な父の言葉に少し意味がわからなかった

「調子に乗るな的な?」
と聞き返すと父はその意味を教えてくれた

「この歌はピッチ修正ソフトを使って
音程の悪いところやリズムの悪いところを直してるよ
修正してないテイク…”録りっぱなし”とか言うけど
それで聞いたら結構ショック受けるかもよ

でも実際はそこはあまり気にしなくていいけどな
今の時代ピッチ修正は当たり前だし
完璧な歌を録ろうとしたら時間がとんでも無くかかる

デモ曲も締切までに作らないといけないし
仮歌にそこまで時間かけられないから
ある程度”良さげ”なテイクが録れたら
先に進める事が割と普通なんだよ」

そうなんだ、思ったより歌が上手かったのはそのおかげなんだ
でもちょっとだけショックだけど…
どうしてそのピッチ修正ソフト?ってのを
使っているってわかるのか聞いてみると

「何千曲と歌のピッチ修正してきたからな
荒いピッチ修正なら一発でわかる

例えばこの部分は声の音程の揺れが全くなくて綺麗いだろう?
相当上手い人じゃない限りこうは声を伸ばせないのよ

ここまで綺麗に直しちゃうのは元の歌が悪かったか
時間に追われて修正が雑になったかのどちらか」

聞いただけでそんな事までわかるなんて
さすがこの道で私を育てただけると感心してしまった

「ま、今どきピッチ修正ソフトを使わないことは
滅多にないからデモを聞かないでもわかるけどな

ちなみにハモってるけどこれ録音してないだろう?
ピッチソフトを使えば主メロ、主旋律とも言うけど
それさえあれば即席でハモリも自由に作れるのさ
ハイテク凄いだろう?」

“ハイテク“はきっと父の時代の言葉だろうから
ニュアンスでしか意味はわからないけど
録音した覚えがないハモリが聞こえるのは
そういう事だったのか…

小川さんも「今の歌は良かったよ」とか言ってくれたのに
実際はピッチ修正をする前提だったのか
私も上機嫌になっていたけど年上に機嫌を
取ってもらいながらコントロールされたようで
なんか恥ずかしくなってきた

「でもな、音程とリズムを合わせたところで
悪い歌は悪いのよ
ピッチ修正ソフトには魔法はかけられないからな

“仮歌としては十分歌えてる“って言ったのは
ちゃんと音楽的に歌ってるってことかな

歌詞に対して自分なりに表情を付けようとしたり
ヒラ歌とサビで息の量…簡単に言うと息遣いを
変えて場面に合わせようとしているところは
褒めて使わそう。さすが我が娘」

ピッチって歌の上手い下手の代名詞的な存在と
思っていたのに意外だった
そしてまた不意に褒められたのが嬉しくて
辛口アドバイスを選択した自分が結果得をした気になった

「例えばどの辺が良いの?」と
もう少しおねだりしようとした瞬間

「でも子音が全然だめ。あと母音も良くない
これも修正できないこともないけど
デモ曲だったらめんどくさくて基本やらないから
バレバレだわー」

持ち上げて落とす、落として持ち上げる
父に翻弄されながらも自分が気にも留めなかったことを
気付かせてくれることに凹むどころか
もっと色んなことを聞きたくなり
その日初めて父から“歌”について時間を忘れて話をした

自分の世界に娘が足を踏み入れたのが
父もどことなく嬉しそうだった

次回に続く

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