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小説『琴線ノート』第12話「ギャップ」

電車で降りたことのない駅に私は向かっていた
ノイズキャンセリング機能付きのヘッドホンをつけ
送られてきた楽曲の歌のガイドメロディを聴き
歌詞を見ながら歌うイメージをしていると
小川奏多さんが指定した駅の名前がアナウンスされた

父が貰ったけど使わないからと私にくれた
自分では買えない値段のヘッドホンのおかげで
かなり集中できたけど心臓は落ち着かない

「東口を出てまっすぐ5分くらい歩いたところの
コンビニに着いたら電話すればいいのか」

改札を出て見慣れない景色を見ながら進むと
コンビニがあったので水を買ってから電話をかける

「もしもし?今日お世話になるヒナ…太です」
そうえいば本名を言ったことがなかった

「着きました?2、3分で迎えにいくので待っていてください」
若い作曲家は貪欲でクレバーと父に聞いていたから
オラオラ系なのかと思ったら柔らかい話口調だ
その声色だけで少し安心できた

「ヒナ太さんですか?小川です」
2分ほどで小川さんは小走りで駆け寄ってきた
勝手に身長が低めの想像をしていたけど
180センチを超えそうな身長に驚いた
でもミュージシャンらしく線は細く
髪長く明るい部分と暗い部分が混ざっていて
いかにもバンドマンという風貌が
丁寧な印象のメールや電話とギャップがあり
どこか気持ちが楽になった気がした

ご自宅に向かう道のりは色々話しかけてくれが
緊張させないようにか人見知りなのか
なかなか私の目を見ようとしないのが印象的だった

案内されたのは新しくも古くもない
コンクリート造のアパートで
壁が厚いから音が漏れにくいのだそう

玄関を開けると細い通路の脇に小さなキッチン
その先に8畳くらいの作業部屋があった

壁にエレキギターとベースが1本ずつかけられ
机の上にはパソコンとスピーカーだけ
父の楽器と機材だらけの仕事部屋に比べると
かなりシンプルな物量だ

「そこに座ってちょっと待ってて」と
来客用なのか部屋の邪魔にならないコンパクトな
サイズの椅子を用意してもらう

男性の一人暮らしの部屋に入るのが初めてなので
それにも緊張していたけど生活感の無さが際立って
勝手に変な意識もしなくてすみそうだ

「ここで生活してるんですか?」
よく考えれば失礼なようにも取れる質問だ

「ここで寝泊まりしてるよ
料理はしないし布団もクローゼットに押し込んでる」
小川さんは私を年下と判断したようで
いつの間にか敬語じゃなくなっていたけど
その方が私も喋りやすい

軽く雑談をしていたけどお互い今日の目的は
それじゃないと思っているせいか
特に盛り上がらず気まずい空気が流れる前に
「じゃあ早速マイクをセッティングしますね」と
小川さんはマイクスタンドを立ててマイクをかけ
ケーブルを繋ぎセッティングを始めた

「マイクの高さを合わせるからマイクの前に
立ってもらっていいすか?」
小川さんに促されマイクの前に立つ
マイクの高さを合わせるために私の口元を
何度も見られるのが妙に恥ずかしかった

ヘッドホンを渡され
「じゃあマイクのチェックするんで
歌うくらいの音量で声出してもらえる?」

「あー、あー、」

私の初めての仮歌が始まった

次回へ続く

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