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小説『琴線ノート』第9話「魚口」

「作曲を教えてくれませんか?」
小川奏多という若手作曲家に送ったメッセージ

唐突に湧き上がったこの感情は
きっと音楽の世界のもう一つ内側に入りたいという
自分の本能的な欲求とベテラン音楽家の父の言う
「音楽に関しての貪欲さの塊」と言われる人の
いる世界を感じてみたい欲求が混ざって
湧き上がったのだろう

作曲するだけなら父に教えを乞う方が
自然だけど私が求めているのは
同世代の音楽に没頭する熱さのようなものだった

父の名を伏せたのは相手に気を使わせないのと
やっぱり「お前の音楽は空っぽ」と言われたのが
よほど悔しくて根に持っているからだ

とは言えメッセージが返ってくるかも分からないし
相手にメリットもないし断られる確率の方が高い
でもこのメッセージを送れただけでも
少しは自分が進歩した気になったのは確か

この気持ちが冷めないうちに
初めて作曲というものに挑戦をしてみようと
弾き慣れたアコースティックギターを構え
ポロポロと知っているコードを弾く
もう何曲もカバーしてきたので耳心地の良い響きが
流れていく
「このコードの響きの中に合うような
メロディーを作ればいいはず」
頭ではわかっている

父は作曲家だけど作曲をする姿をあまり見ない
父の仕事部屋は大量の楽器と機材に囲まれて
極めて特殊空間なのに対して
家のそれ以外の部屋には楽器はほぼ置いていない
リビングに“可愛いから”という理由だけで
ウクレレがたった一つ壁にかけられているだけだ

父は酔ったり機嫌の良い時にそのウクレレを
爪弾きながら即興で作曲する
と言っても母の問いかけにふざけて
「お風呂は後〜♪唐揚げ食べたい〜♪」と
返事にメロディをのせたものだ

でもその姿が私が唯一目の前で目撃した
作曲というものだったから
それを真似ようとした

しかしアコギで爪弾くコード進行に対して
1ミリもメロディーが浮かばず
まるでカラオケで歌が入れず伴奏だけ続くような
微妙な空気が広がる
適当に声を出して合わせようとしても
びっくりするほどの音痴になっていた

集会で急にマイクを向けられた時のように
はたまた餌を求めた金魚のように
口をぱくぱくさせるだけだった

もう少し大きな声を出せば何か掴める気も
しない事もないけどそれには時間が夜すぎる
アコギを専用の布で拭いてスタンドに置き
もう寝ることにした

弾き語りは得意と思っていたけど
作曲となるとこんなに何もできないんだ
これを何百曲も作り続ける作曲家って
どんな人達なんだろう
私の興味は益々上がる一方だった

翌朝、と言っても昼過ぎに目覚めると
SNSアイコンに通知のマークが付いていた
開くと小川奏多さんからだった

音楽をやっている人は軽いノリなのかと思ったら
丁寧な文面に意外な社会性を感じた
きっとプロの世界はそれも大事なんだと感心した

内容を読むと
“作曲は上手く教えられるか分からないけど
私の歌声に興味がある“
“なので今作ってる曲の仮歌を入れてくれませんか?
その時に作曲の話もできれば“

ということだった
我ながら不躾なお願いだったのかと思ったけど
感触はきっと悪くないのだろうと読み取る

しかし“仮歌”とはいったいなんだろう
私はまた父の仕事部屋の扉をノックした

次回へ続く

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