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小説『琴線ノート』第14話「耳の中を作る」

「あー、あー、」
マイクに向かって声を出すと
ほんのりリバーブがかかっている自分の声が
ヘッドホンの中に戻ってくる

「何か声を出してもらえる?」
小川さんの言うように声を出しているけど
一体これで良いのだろうか
小川さんはパソコンに向かいその横にある
謎の機材のつまみを触って設定らしきものをしている

そういえば小さい頃に父の仕事部屋で
同じような事を遊びでさせてもらったな
マイクに向かって声を出すとヘッドホンから
自分の声が聞こえて楽しかったっけ
父が魔法のようにその声を山びこさせたり
ウネウネさせたりしてくれて大笑いした記憶がある

そんな事を思い出していると小川さんが
「じゃあその場でアカペラで歌ってもらっていい?」
と声をかけてきた

きっと今日録音する小川さんの曲の事だろう
一息飲んでから心の中で1・2・3とカウントを打ち
サビの部分を歌ってみる

小川さんが背中を一度ビクッと震わせて
またいそいそと設定らしき作業をした
私は歌う時の方が声が大きくなるタイプだから
きっと設定をし直しているのかな
最初から歌っておけばよかったと反省した
でもそんな一つ一つの事が新しい経験で楽しい

すると小川さんが続けて
「じゃあオケ流すから耳の中作りましょうか」

オケ?耳の中を作る?
小川さんの呪文のような言葉に
首を傾げているとハッと気付くように説明してくれる

「ごめんごめん。オケはカラオケの事。
耳の中を作るってのはヘッドホンの中で
オケと歌のバランスをとって歌いやすい
音量にすることです。
なんか楽しくて専門用語になっちゃった」

音楽の知らない言葉をどんどん飲み込む感じで
歌を録る前から私がレコーディングを
好きなんだと言う感覚が湧いてくる

小川さんの言う“耳の中を作る”事もできて
実際に録音が始まる
全部通して歌えるか心配だったけど
レコーディングはAメロ、Bメロ、サビと
分けながら録る事が多いらしい
その方が細かなチェックもできるみたいだけど
本当に上手い人は1テイクで全部録ってしまうと
録音の合間に聴いた 私には自信がないけど

初めての仮歌を完璧にこなすために
メロディは全部覚えていたけど
小川さんはシンセのような音で
うっすらガイドのメロディを流してくれていた

それを聴きながら歌えば安心感があるけど
意識がどうしてもそのガイドのメロディに行ってしまう
それよりも私はドラムやベースなどの伴奏の方を
聴いて歌いたくてそのまま小川さんに伝えると
少し嬉しそうにガイドメロディを消してくれた

せっかく用意してもらっていたのを消して欲しいと
お願いするのは失礼なのかと思ったから
逆に喜ばれてそこは意外だった

歌い方のリクエストを色々もらいながら
録音作業は進み
これで合っているのか分からないまま
サビまで録り終え録音作業は終了した

私は結構楽しんで歌えたような気がする
小川さんは背中越しだったけど終始
頷いたり体を揺らしたり首を傾げたりしていたけど
終わった時には軽く手を叩きながら
「お疲れ様でした〜」と笑って見せてくれた

その笑顔の内側で私の歌をどう思っているのか
聴きたくてしょうがなかった

次回に続く

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