『マッドマックス:フュリオサ』-プリクエル、先に観るか、後から観るか-

『マッドマックス:フュリオサ』を鑑賞。したところ、だいぶ忘れているところもあったので、『怒りのデス・ロード』を鑑賞した上でもう一度鑑賞。
それで分かったのだが、『怒りのデス・ロード』についてほぼ覚えていなかったことが判明。すると、こういう疑問が湧いてくる。果たしてこの映画、プリクエルではなく単独の映画として成立するのか。

物語構造としてみれば、『フュリオサ』は、ジョゼフ・キャンベルの言うところの「行きて帰りし物語」のベースをふまえており、『デス・ロード』のようにいびつではない。アクションもよいし、アニャ・テイラー・ジョイやクリス・ヘムズワース(オーストラリア訛り全開)もすばらしい。だが、シタデル、ガスタウン、バレットファームなどの舞台装置しかり、ウォーボーイズしかり、やはり前作を見ておいた方が楽しめるのは確かである。その究極は、プリクエルの終わりが、まるで『ローグワン』のように前作につながってくるところである。これは、ほぼ確実にメインの客は、『デス・ロード』の視聴者であることは疑いないだろう。

ということは、やはり、『デス・ロード』を先に観た方がいいのか?いや、一つ問題がある。それはフュリオサの腕だ。『デス・ロード』に登場するフュリオサは左腕が途中からなく、その代わり機械の義手をつけている。なんでそうなったかは語られないため、当然、プリクエルに対して、「なんで腕をなくしたのか」が、視聴者の重要な関心事の一つになる。でも、そんな期待のされ方をしたら、誰がいったいサプライズな物語を紡げる?『フュリオサ』はもちろんベストを尽くした。が、左腕を負傷し、繋がれた時点で、「あ、こいつ切って逃げるな」という予想がついてしまう。もし仮に、予備知識なしに『フュリオサ』が初見だったら、十分な驚きを与えられたことは想像に難くない。ゆえに、プリクエルを先に観るか?後から観るか?というジレンマがつきまとう。これは他の物語、例えば、スターウォーズでも同じで、EP4-6を先に観たものなら、アナキンは結局闇落ちすることは確定している訳で、そこに至る過程のサプライズは失われることになる。

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