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それぞれの匙

「お風呂の温度は41度」といったらどうでしょうか。それじゃ熱いよという人もいれば、いいや42度だろうという人もいるかもしれません。水風呂だとか、(私からしたら)拷問のような熱湯を好む人もいるかもしれません。そもそも、温度なんか知らないよという人も多そうです。言っといて、私も知りません。湯温を計ったことがありません。給湯器の温度設定は知れますけれど、実際に浴槽に張られた湯の温度はそのときによるでしょう。

基準ってなんのためにあるんでしょうか。比べるためでしょうか。ある基準に比べると、自分はどうか知るため、といったところでしょうか。

「これくらいにしておけば、どんなときでも(おおかた)危険なことにはならない(だろう)」という設定があります。個別の事例においては、状況の差異があります。その差異の幅を(ある程度)想定して設けられた基準。それが、マニュアルというようなものなのかもしれません。

それは、「差異があった場合は、知りませんよ」という「釘さし」の基準かもしれません。「ここにあるとおりにする」それ以外はないものとみなすのです。あるいは、「ここに示した未満・もしくは越えるおこないについては、あなたの責任ですよ」ということなのでしょうね。なんだってそうじゃんよといえばそうです。

いちばん気持ちいい塩梅が個別にあります。マニュアルどおりにしたのではその塩梅にならないことがほとんどでしょう。個別の事例において、状況や環境が似ることはあっても、まったく同じにはならないからです。「基準」を参考にして、自分の事例において最適なチューニングをしなければ、最高の塩梅にはなりません。奇跡的に合致することもないとはいえませんが、稀でしょう。

うちの、上の息子(3歳)が、ふりかけが大好きで、毎日毎食、白ご飯にかけて食べています。アンパンマンの絵の付いた、一食分ごとに個包装になった市販品です。あれのひと袋の分量って、「マニュアル」でしかありません。各家庭・個人の茶碗の大きさもそれぞれ、そこに盛りつけるご飯の量もそれぞれ。なのに、包装ひとつに収まったふりかけの量はいつも同じ。細かいことをいえば、自分の手で、いちばんいい塩梅になる量を加減しなければなりません。

かといって、幼児にふりかけの大袋を託したら大変なことになります。白ご飯が「砂まみれ」になること必至です。それが本人にとってもいちばんいい塩梅ともかぎりません。幼児には、より高精度なコントロールが難しいことがあります。そんなとき、個包装になったアンパンマンふりかけは、「ひどい事故」になるのを無難に防いでくれます。個別のケースにおいては、いくらかの「多い・少ない」が現れたとしても。

ここでいう幼児みたいな扱いを、ときを変えてところを変えて、私も受けているし、私が課してもいるのでしょう。

お読みいただき、ありがとうございました。

青沼詩郎

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