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2019年2月の記事一覧
Fruit 〜老成と未熟さのあいだに〜
愚直なまでの繰り返しかある。楽器を弾くとき、わたしは来る日も来る日もおんなじ、音階を弾く練習をする。そのことが実を結んだとも未結実ともわからない。でも、ひたすら練習せずにはいられない。この道の先に、何があるのか。
愚直なまでの繰り返しにおいて、革新がないとも限らない。でも、まぁだいたいないだろう。
これまでのわたしの考え方や価値観に即したおこないとは、まるで違うことを言ったりやったりし
グラデーションと精度 〜100回中100回じゃなくても〜
1度できたことでも、何度やっても成功するとは限らない。100メートルを100秒以内に走りきることだったら、僕は100回中100回達成できるだろう。だが、100メートルを10秒以内で走りきる、となったらどうだろう。一生かかっても、僕にはできないかもしれない。限られた者が、限られた条件下のみで達成できる難易度だ。
100回中1回できるかできないかという難易度のおこないがあるとして、それができたり
家族だって、ゲストだもん。
あ、もう2月終わりなのですね。
山場を越えると、ホッとしますね。仕事の何かしらの本番だとか、催しものだとかです。あるいは、仕事でなくても、ですけれど。
憲法には、人間以外のものたちの権利について足りないところがある、というような解釈が書かれた記事を読んだことがあります。
先日は、2月22日。「ニャンニャンニャン」の語呂合わせからの「猫の日」、そこから、動物との共生などをおおきなテ
ごはん、おとうふ、ヨーグルト
冷たいおとうふに、はちみつをかけて食べたことがある。もめんのおとうふだった。
どうしてそんなことをしたのだろう。それぞればらばらに食べたほうが、まだましなのではないかと思う。でもそのときのぼくは、冷たいおとうふにはちみつをかけて食べたかったのだ。別々にしたんじゃあ、ふりかけとごはんをばらばらに食べるようなものだ。そのときのぼくにとっては、そうだった。
ぼくには息子がいる。ふりかけごはん
フィーバー&ネンネー
省エネの結果、望ましいものを省いてしまっていやしないか。
「省エネ運動」なんて言い草があるけれど、運動なんてしてしまったら、省くどころか余計に消耗するのではないか。「省エネ運動」とは、そうした矛盾自体を楽しむ、ちょっとしたレジャーみたいなものなのかもしれない。
子どもには、とても省エネとは思えない動きが多い。多いどころか、基本的に「省く」とは反対の方向性を持っているようにさえ思える。「浪エ
10kgの荷物を10km先へ
努力できること自体が才能という言い草がありますね。
ある人にとって「努力」に値するようなおこないを、別のある人は努力とも思わない、ということがあるようです。おなじ行為でも、「苦しい、苦しい」と思ってやる人もいれば、「楽しくて仕方ない」と思ってやれる人もいるのです。
そもそも、努力が「つらい」「くるしい」ものという認識が、間違いなのかもしれません。
いえ、部分的に「つらい」「くるし
僕のジャンクヤードへようこそ
身近にインフルエンザの人が出た。ふだんわたしのめんどうを見てくれているその人が休んでいるあいだ、だれがわたしの世話をするのだろうか。わたしは夜な夜なすんすんと鼻を鳴らして泣いているとか、いないとか。
わたしも今月の1週目を乗り切ったあたりで、少し体調が崩れた。演奏の本番があって、そのあとのことだった。
本番に最高の体調がやってくるように自己管理したのだから、本番後に体調が下を向き始める
チョコレートに寄せる想い
バレンタイン・デイにチョコレートをもらった。もらったからには、おかえしを考えねばならない。いや、放っておいても良いのだけれど、そういう俗っぽいならわしを無視する人間だとは思われたくないのである。
俗っぽいならわしには、面倒臭さに、なんだかんだいってうれしさがともなう。だから、ひとは(わたしは)俗っぽいならわしをやめられないのだ。
だれかが、だれかに、バレンタイン・デイに、チョコレートを贈る
日常という名のベース・メイク
社員旅行というものをしたことがない。そもそもわたしは「社員」になったことがない。
「研修」というものならば、したことがある。ふだんは会わないような人の話を聞いまり、ふだんはしないようなことをしたりする。いずれも日常に毛が生えた程度のようなものが多く、あまり極端な非日常を研修において経験したことがあるわけではない。
それでも、同じ職場の仲間どうし、あるいは一定の共通点を持ったり持たなかっ