『百年戦争のフランス軍:1337-1453』デヴィッド・ニコル PhD/著、アンガス・マックブライド/彩色画、稲葉義明/訳。OSPREY MEN-AT-ARMSオスプレイ・メンアットアームズ・シリーズ、新紀元社、2000

百年戦争直前の時期、フランスはローマ帝国が崩壊して以来経験したことがなかった繁栄と強大さのさなかにあった。 フランスの王たちはイギリス同様に過去のどの中世的支配者よりたやすく 「軍資金」 を調達できた。 当時の軍隊についての今日の研究は、 徴募方法、 軍事組織、 給与にまつわる当時の膨大な文献資料に支えられている。

ごく初期のフランス王たちは、パリ周辺の肥沃な土地からあがる収益で戦費をまかなっていた。 しかし近世に近づくにつれ都市部が成長していき、やがて国中に散らばる街が人と金 重要な供給源となった。 その反面、 一部の都市が政治的な力を伸ばし、なかば独立した小国家の中心として機能するような現象も見られるようになった。 その好例がフランドル地方である。

百年戦争は、フランスの歴史のなかで大きな出来事だった。 互いに関連する抗争が連鎖的に起こっていくなかで、フランスは勝利の絶頂とどん底の屈辱を味わったのだ。 そして最終的な勝利をフランスが収めたときにはフランスという国家そのものが大きな変化を遂げていた。 それまで王は「同格者中の第一人者」にすぎないとされていた伝統的な領邦制度が、 全ヨーロッパで指折りの中央集権的な王権へと変わっていたのだ。 ただしこの戦争がどれだけ 「国づくり」に貢献をしたかは明らかでない点も多い。

戦術的に見ると、 百年戦争最初の段階ではフランス側が自分たちの軍事的慣習に固執した――そして負け続けた。 次の段階ではイギリス軍が自分たちの軍事慣習に固執した――そしてやはり敗れた。 主要な英仏の大戦間にあったと思われる平和な時期は、内乱、 武装蜂起、そして職を失った兵士たちが巻き起こした広範囲の荒廃といった要素に彩られている。 しばしばイギリスの歴史家には無視される一面だが、 百年戦争中のほとんどの期間、 海軍力はフランスのほうが優位にあった。 偏執的精神分裂症だったシャルル6世の1392年以降の治世さえなければ、史実よりも50年ほど早い14世紀末には、フランスの勝利によって百年戦 争が終わっていたはずだという意見は傾聴に値する。

この期間には軍人の心構えというものも大きな変化を見せた。 騎士階級に属するエリートたちは、 急速に影響力を強めていく中産階級からの挑戦にさらされていると感じるようになったその結果、 騎士とそれ以外の階級との身分差を強調しようとして、槍試合や騎士文学、 華美な振る舞いが人為的に甦らされた。 しかし同時に、 過去を懐かしむのをやめ新しい戦争のかたちを受け入れようとする者たちもいた。ジョフロア・ド・シャルニ、クリスティ ーヌ・ド・ピザン、ジャン・ド・ブイユなどを含む面々である。 ジャンが15世紀中期に記 した『ル・ジュヴァンカル <Le Jouvencal> 』 には、個人的栄光を追求することよりも大砲と効果的戦略への興味が示されている。 15世紀のその他の専門書は、『大砲時代の射撃技術 <Art de l'artillerie et canonnage >』 『弓の技術< Art d'archerie > 』 のように特定の武器に焦点を当てたものだった。 これらすべての要素が、職能的なフランス常備軍を百年戦争の末期に設立させる土台となったのだ。

ガン (ヘント)の指揮官であり判事でもあったウィリアム・ウェネマーの14世紀前 半につくられた真鍮飾り。 ヨーロッパでも 指折りに富裕な町の民兵団上級士官だっ た彼は、当時最高の軍装を整えられたはず だ。にもかかわらずこの真鍮飾りの軍装は 13世紀後期に一般的だったものに近い。 [Bijlokemuseum, Gent]

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