『地域包括ケアシステム : その考え方と課題』太田貞司, 森本佳樹編著. 2011


はしがき

社会保障審議会介護保険部会「介護保険制度の見直しに関する意見」(2010年11月)では,2012年の介護保険制度の見直しに向けた基本的考え方のひとつを「医療,介護,予防,住まい,生活支援サービスを切れ目なく,有機的かつ一体的に提供」する「地域包括ケアシステムの実現」としている。この実現には,医療と介護・福祉の連携,またインフォーマルとフォーマルの資源の組み合わせが課題となる。「措置制度」の下での1990年代の「地域ケアシステム」の段階から,2000年の介護保険制度創設以後の市場化されたサービスの展開を踏まえ,2010年代における新たな「地域ケアシステム」の構築といってもよい。

しかし,「地域包括ケアシステムの実現」の課題は,今後の日本の高齢者ケアの基本的問題を投げかけてもいる。そもそも「地域包括ケア」とは。また,その「地域包括ケア」を実現する「地域包括ケアシステム」とは。それをどう構築するのか。これまでの地域福祉とは異なるのか。なぜ新たな用語を用いる必要があるのか。様々な課題が改めて問われることになろう。

「地域包括ケア」では介護保険制度そのものの持続性と財政問題を背景に,インフォーマル及びフォーマルの資源を「自助」「互助」「共助」「公助」として捉え直し,地域社会のあらたな役割が強調されている。これは介護サービスの見直しでもあるが,「地域包括ケアシステム」の構築を図るという場合,生活基盤としての地域社会をどう捉えるのか,さらに画一的には捉えられないとしたら,その多様性をどう捉えるのかが問われている。

また,「地域包括ケアシステムの実現」は,医療制度改革による「地域ケア体制整備」と地域社会におけるケア体制の構築という意味で,コインの裏表の関係にある。医療から見た課題は何か。

さらに,「地域包括ケアシステム」の構築による新たな支援の仕組みづくりは,これまでの介護支援専門員によるケアマネジメントの在り方,加えてその人材育成の在り方も同時に問い直されるだろう。そしてさらには,「地域包括ケアシステム」構築の基盤整備を促進させる上での国や自治体が果たすべき役割も改めて問い直されるだろう。



第1章 地域社会を支える「地域包括ケアシステム」太田貞司

◆はじめに

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医療においては、2006年の医療制度改革による病院機能の見直しで、「地域ケア体制整備」が示され、「地域」が一段と強調されるようになった。療養病床の削減が示されたことに伴い、その受け皿としての「地域」が従来にも増して明確な形で議論されるようになってきた。2010年9月8日、長妻厚労相(当時)が介護療養病床の廃止を見直し、法改正を行う方針を表明したが、病院の役割についての議論はこれまで以上に「地域」が意識されているということに変わりはないだろう。

一方、介護・福祉においては2006年の介護保険制度の見直し後、地域密着型サービスや地域包括支援センターの創設で、これまた「地域」が一段と強調されるようになった。そして、「地域包括ケア」またそれを実現するための仕組みである「地域包括ケアシステム」という新たな擁護が用いられるようになった「地域包括ケアシステム」は、介護保険サービスだけに頼らない仕組みづくりだとされ、「自助」「共助」「公助」ではなく「自助」「互助」「共助」「公助」と、「共助」を介護保険のサービスとして、「共助」を「互助」として、「地域」の”力”をクローズアップする主張も出てきている。

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武川正吾は、1990年代以後、伝統的な地域社会の変化により、日本の社会に、地域医療、地域福祉が不可欠なものになったと述べている(武川 2005: 15-24)

武川によれば、戦後2つの変化があった。1960年代の高度経済成長の時期に起きたのが「第1の変化」である。都市への人口移動、過密、過疎の出現、農村と都市での共同体の崩壊が起き、関係の再構築が求められ、このため浮上したのがコミュニティという考え方で、1969年の国皆生活審議会「コミュニティ――生活の場における人間性の回復」のように、コミュニティが課題となった。また、「過疎地帯」という言葉が生まれたのもこの時期で、国の過疎対策が始まった。1968年には今井幸彦『日本の過疎地帯』(岩波新書)が、1974年には岡村重夫の『地域福祉論』が刊行された。日本独自の地域福祉という考え方が登場する時期でもある。

メモ者注:「地域福祉」は本当に日本独自なのか? 少なくとも、60年代ぐらいから"community care"というタイトルの本はあるのだが…

「第2の変化」は1970年代のポスト工業化後の1980~90年代に起き、地域社会の年齢構成が変化し、特に、中山間地における変化が顕著となった。人口定住化の時代へと移り、人口の高齢化により介護問題が浮上してきた。「このため地域において人々が生活を続けていくためには、地域医療や地域福祉の存在が不可欠になってくる」(武川 2005: 19)ようになる。

「地域」が病院機能の見直し、介護保険制度の見直しによる、単に「受け皿」、「代替え」の「地域」ではないとするならば、私たちは、どのような「地域」を考えるべきなのか。

コミュニティとは何かについてこれまで多くの人が論じてきた。コミュニティをどうとらえるかは議論が多い。『コミュニティ――安全と自由の戦場』の著者ジグムント・バウマンは、コミュニティとは「残念ながら目下手元にないが、わたしたちがそこに住みたいと心から願い、また取り戻すことを望むような世界」(バウマン 2008: 10)という。・・・

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第1節 「地域包括ケア」の”新しさ”

2006年に介護保険制度見直しが行われた。・・・

こうした動向と連動し「地域包括ケア」「地域包括ケアシステム」という新たな擁護が用いられるようになった。「地域包括ケア」を実現する仕組みが「地域包括ケアシステム」とされた。

しかし、「地域包括ケア」はこれまで「地域ケア」等(*)の用語が、また「地域包括ケアシステム」は「地域ケアシステム」等(**)の淡河が用いられてきた。これらと何が異なるのか。

(*)「地域ケア」のほかに、「在宅ケア」「地域医療」「地域介護」等の用語がある。また、英語表記で"community care"、カタカナ表記で「コミュニティケア」とする場合もある。

(**)用語「地域ケアシステム」は全国の自治体で広く用いられてきた。地域ケアの地域社会を基盤とするシステムを表す用語に、「地域ケアシステム」以外にも、地域社会を基盤にした保健医療福祉の連携、チームケアの仕組み、地域社会における種々の資源の仕組みを示す「高齢者ケアシステム」(京極高宣「高齢者ケアシステムの構築」三友雅夫・京極高宣編『高齢者のケアシステム』1993年)、1993年に厚生省が老人保健福祉計画策定にむけて用いた「地域における総合ケアシステム」、1994年の『21世紀福祉ビジョン』で提唱された「地域福祉システム」「介護システム」、旧御調町が提唱した「地域包括(ケア)システム」、より広く地域福祉の視点から提唱された「トータルケアシステム」(大橋謙策ほか)、「在宅ケアシステム」等が用いられてきた。最近では、2006年の医療制度改革で用いられた「地域ケア体制」がある。

「地域ケアシステム」は、厳密にはその用語の意味は明確に定義されてきたとはいえないものの、各地の自治体では相当定着した用語でもあった・・・

いうまでもないが、ノーマライゼーションの理念のもとに、高齢者ケアにおいても「地域生活」実現が課題である。2000年介護保険制度創設では、できるだけ要介護者が継続して在宅生活ができるように支援する「在宅重視」が謳われた。2006年の制度見直しでは、「在宅重視」というだけではなく、地域密着型サービスや地域包括支援センターの創設をし、地域に”「拠点施設」+「新しい住まい」+「在宅」”を目指し、地域生活の実現という流れが一層加速されたといえよう。この「新しい住まい」は従来の「施設」でもなく、「自宅」でもない、適合高齢者専用住宅等でケアがうけられる住まいの新たな”場”をつくろうというものである

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「地域包括ケアシステム」は、このノーマライゼーションと社会保障費削減の両方の動きから登場してきたととらえることもできる。また、「制度の持続可能性」を高めるために「地域」が強調されるようになる。その一方で、コムスン問題に端を発した、地域を超えて営利に走る企業への規制、至上主義、「地域」よりも個人を重視する新自由主義への一定の批判も内包する。

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しかも、2012年は介護保険制度の計画策定時期と医療保険制度の診療報酬改正時期であって、介護保険制度、医療保険制度の見直しと重なる。その改正に向けた「地域包括ケアシステム」の議論でもある。「地域包括ケアシステム」を考えるために、まず、1980、90年代の「地域ケアシステム」の動きについて見てみることにしたい。


第2節 介護保険制度における「地域ケアシステム」

2‐1 1980、90年代の「地域ケアシステム」

「地域ケアシステム」の用語は高齢者ケア領域等で1980年代から用いられている

その意味はおおよそ、要介護者等(以前は「寝たきり老人」「痴呆性老人」等)が地域社会で生活を営むために必要な保険・医療・福祉等の地域社会の支援のシステムであるが、特に定まった定義があったわけではなかった。・・・

また、地域ケアで実現しようという地域ケアのサービス自体に発展があり、その発展に応じてその時々で意味も変わってきたという事情もある。例えば、「地域ケアシステム」の用語が用いられた初期の1990年前後は、地域で暮らす時の”地域で”は”自宅で”の意味が強かったが、身近な地域に特別養護老人ホーム、グループホームができると、その意味も徐々に変化してきた。

さらに重要な点は、サービス側の視点だけでなく、障がい者(児)、病人の「生活」「日常生活」のとらえ方自体が、ノーマライゼーションの理念が低tyかうし、ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health:国際生活機能分類)の生活機能のとらえ方が登場するなど、大きな変化があったということである。

「地域包括ケア」は、要介護者等への支援にかかわる用語という意味では、高齢者で長期ケア(慢性期医療)を必要とし、「日常生活」の営みに支障がある人を対象にしているといってよい。この「地域包括ケア」の実現のためのシステムとしての「地域包括ケアシステム」も、この意味では90年代の「地域ケアシステム」と主な対象者は同じと見てよいだろう。

横浜市と土浦市は用語「地域ケアシステム」を80年代から用いてきた自治体と知られている。両市ではこの用語をどのような意味で用いてきたのかを次に見てみたい。


2‐2 横浜市の「地域ケアシステム」

横浜市では、用語「地域ケアシステム」は1986年から用いられ、90年代にはよく用いられるようになる(*)。1987年には、地域ケアサービス総合調整推進事業が発足(瀬谷区、港北区)している。福祉の風土づくり運動が進められる一方で、増え続ける在宅の要援護者を地域で支えるために、地域ケアシステムの取り組みも始まり、1990年には、市、区両方に保健・医療・福祉、市民関係団体、学識経験者および行政によって構成される地域ケアサービスの推進を協議するための会議が設置され、推進体制が確立された。

(*)横浜市『横浜市地域福祉保健計画』(2004年)を参照。

1991年には、地域ケアシステム基本指針が定められ、「

在宅で援護を要する高齢者、障害児・者、難病患者、精神障害者等誰もが、住み慣れた地域で安心して自立した生活が続けられるようにするため、保健・医療・福祉等の連携した地域ケアサービスを提供していくためのシステム

」整備することがその理念とされた。また、地域ケアシステムの目標としては
 「ニーズの総合的な把握とサービスの一体的な提供」
 「市民参加とネットワークの形成」および
 「サービスの充実」
があげられた。市や区レベルでの協議によって、
 医療機関と連携した往診紹介システム・退院連絡システムや
 区役所専門職によるケアマネジメント実践
 「ボランティア活動と連携した在宅支援モデル事業」
などが展開され、また、地域のなかに要援護者を受け入れ、地域で支え合っていく包容力のある地域社会が実現するよう、地域ケアプラザ(*)に地域交流部門、さらには「地域支え合い連絡会」を組織するとともに、区保健福祉活動拠点の整備などが行われてきた。

(*)地域ケアプラザは、高齢者、子ども、障害のある人など誰もが地域で安心して暮らせるよう、身近な福祉・保健の拠点としてさまざまな取組を行っている、横浜市独自の施設です。令和3年4月現在、市内に141か所あります。

1997年には「横浜市における今後の地域ケアシステムのあり方」の検討をし、介護保険創設直前の1999年には、
「横浜市における今後の地域ケアシステムのあり方―身近な地域を単位とし       たきめ細かな地域ケアの構築」
「より身近な日常生活圏域を単位とした地域ケアシステムを構築」       「介護保険制における地域ケアシステムに対する影響」
を検討している。

同士では、地域ケア(地域福祉保健活動)の取り組みを地域ケアシステムとし、その地域ケアプラザと結びついてきた。横浜市の地域ケアプラザは、1991年から中学校区単位に整備され、総合相談・支援、活動交流拠点、通所介護の機能を担い、市内にある126ヵ所の地域包括支援センターのうち、119ヵ所は地域ケアプラザ内に設置されている(2010年3月1日現在)。活動交流拠点の役割を担うために地域福祉コーディネーターが配置されている。この地域ケアプラザは、2006年創設の地域包括支援センターのモデルのひとつといわれている。なお、横浜市の場合、2009年策定の『地域福祉保健計画』では、「地域ケアシステム」ではなく「地域包括ケアシステム」が用いられている。


2‐3 土浦市の「地域ケアシステム」

茨城県土浦市の「地域ケアシステム」は1980年代からよく知られてきた。現在、土浦市で始められた「地域ケアシステム」は県の事業として県内に広がって、そのため土浦市の「地域ケアシステム」は「茨城型地域ケアシステムの土浦バージョン」といわれる。

同市のシステムは1984年に国立霞ケ浦病院において「地域医療カンファレンス」が毎月開催されるようになったことが始まりである。そこには保険・医療・福祉の担当者が集まり、同市から保健師、ケースワーカーが参加した。各種専門職の連携を図り、「縦割り」をなくし、整備を不備を責めるのではなく補う集まりとして始まった。

1992年に、茨城県のサービス調整チーム推進事業として同氏がモデル事業を受託した。1994年には、同県の全市町村を対象にした、すべての人が住み慣れた家族や地域の内で健やかに安心して暮らせるよう、地域で支える、茨城県独自施策として「茨城型地域ケアシステム」が発足した。支援の中心となる有給の地域ケアコーディネーターが配置され、フォーマルサービスとインフォーマルサービスの調整を行うだけでなく、サービス提供、サービス開発を行うものと位置づけられた。要援護者個人だけでなく、介護者や同居家族の生活も考慮した「ファミリーケア」を基本とした

2000年、介護保険制度が始まり、同県では対象者が重複することから制度の見直しが行われ、同システムの対象を要援護の全住民とし、各市町村2名までの地域ケアコーディネーター人件費と事務費が助成された。同市では、2001年に、全中学校区(当時7地区。合併後8地区)のコミュニティセンター(公民館)に、市独自で社会福祉協議会に委託したコーディネーターを配置し、体制をつくっている。こうした体制は県下でも同市だけである。

全中学校区に、「スクラムネット」と「ふれあい調整会議」が設けられている。「スクラムネット」は、福祉事務所、地域包括支援センター、在宅介護支援センター、社会福祉協議会など実務者を中心とした月1回の定例会議(必要に応じて臨時開催もある)で、「介護保険給付対象者」「ひとり暮し高齢者」「要援護高齢者」「その他の高齢者」「身体・知的・精神障害者」「難病患者」「子育て親等」「終末期患者」「DV」「ひきこもり」等の地域のさまざまな困難ケースの課題を検討する場となっている。2008年度のケース検討総数は394ケースであった。

「ふれあい調整会議」は医師、看護師、保健師、民生児童委員、各種相談員等が隔月に開催し、さらに広い関係から地域の困難ケースの課題を専門的な立場から支援する場となっている。2008年度のケース検討総数は54ケースであった。なお、同市の場合、2006年には、同市直営と社会福祉協議会委託の2ヵ所の地域包括支援センターができ、同市のシステムを支援している。

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このように土浦市では地域ケアの取り組みは「地域ケアシステム」という言葉で表現されてきたが、その言葉には、保健、医療、福祉、またインフォーマルサービスとフォーマルサービスのチームケアの重要性の意味が込められてきた。

同市の「地域ケアシステム」の特徴は、高齢者、障がい者を含めて全援護者を対象にしていること、有給のコーディネーターを中学校区毎に配置していること、困難な事例の検討を中心に、ネットワークづくり、社会資源の開発を行っていることである。


2‐4 両市の「地域ケアシステム」の考え方

両市ともに、「地域ケアシステム」を高齢者に限定しないで、要援護者、家族を対象に、保健医療福祉のフォーマルサービス、インフォーマルサービスの関係機関の連携を意図してそのシステムづくりが取り組まれてきた。

また、所期のころには、横浜市、土浦市では「地域ケアシステム」を、主に在宅ケアのシステムととらえていた。前述のようにそれはゴールドプラン以前の施設整備がまだ十分でなかった時期であったという当時の事情があった。この点は、「地域ケアシステム」の用語を用いた多くの自治体でも多かれ少なかれ同じようにとらえていたと考えてよいだろう。

在宅高齢者の支援にかかわる自治体の保健師、ソーシャルワーカー、社会福祉協議会職員にとって、施設も在宅サービスも十分でなかったという事情の中で、在宅で支援するということが実践的にももっとも重要な課題の時期であった。その後、施設整備が進み、施設やグループホーム等も含めた地域ケアの仕組みとしてとらえるようになったといえよう。

さらにまた、土浦市でも横浜市でも、地域の具体的な個別ケースの支援のネットワーク化およびその開発、また新たな資源の開発へと向かっていったのが、1990年代の「地域ケアシステム」であった。つまり、「個別支援」をベースにしながら、そこに地域づくり、「地域支援」と一体のものとして取り組まれてきたといえよう


2‐5 「地域ケアシステム」の定義

かつては、長期ケア(long-term care)は「長期ケア施設」とほぼ同じ意味で用いられた。医療関係の専門の辞典では、長期ケアを「施設」としているものもまだある。しかし、その後、在宅ケアの広がりのなかで、地域社会を基盤にした長期ケアのシステム化が進み、その過程で生まれてきたきていたのが「地域ケアシステム」の用語と言える。

筆者は、要介護高齢者の地域での生活を支えるのには何が必要かを考えるために行った研究(拙稿「在宅ケアの課題に関する試論―”老人介護事件”の検討から」1987年)から、在宅ケアの条件を条件をとらえることが重要であると考えてきた。また、拙稿「自治体と地域ケア・システム」(太田ほか編1995)、拙著『地域ケアシステム』(太田 2003)では、在宅ケアと施設ケアと地域の高齢者ケアのシステムととらえる必要があることから、「地域ケアシステム」(「地域ケア・システム」)ととらえた。また、高齢者ケアの対象となる要介護高齢者の生活を支えるシステムは固定的ではなく、不断に進化するものと考えてきた。拙著『地域ケアシステム』では「地域ケアシステム」の定義を試み、・・・

「地域包括ケアシステム」は、その対象者を見れば要介護高齢者等を対象にしており、高齢者ケアの「地域ケアシステム」である。介護保険制度により地域サービスの基盤づくりが一定の前進が図られた2000年代の段階での高齢者ケアの「地域ケアシステム」といってよい。


2‐6 「地域ケアシステム」の二面性

拙著『地域ケアシステム』第1章で述べたが、「地域ケアシステム」は二面性をもっている。それを用いる人の立場でも意味が異なる。要介護者のケアの場を医療や施設ではなく地域へと「転換」という側面と、地域ケアの「地域づくり」「まちづくり」という側面である。介護保険制度のもとでの「地域包括ケアシステム」の場合も、その二面性をもつといえよう。

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2‐7 「地域ケアシステム」と施設整備

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1990年代以降、施設自体の考え方も大きく変わってきている。例えば、規模を大きくし、多床室が当たり前であった1980年代の特別養護老人ホームと、現在のユニット型のケアをめざす特別養護老人ホームを比べてみれば、その支援内容、またそれを基盤に営まれる利用者の「日常生活」は、まるで異なるものである。介護保険では、グループホームは「介護保険施設」ではなく在宅サービスだが、グループホームは「施設」のとらえ方を大きく変えた。また、この制度見直しで生まれた地域密着型サービスのひとつ「小規模多機能型居宅介護」も徐々にではあるが広がりを見せ、「施設」の捉え方をさらに変え始めている

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この転換過程を考える場合、以下の点をまず確認しておきたい。

第1は、従来型の「施設」、あるいはこのような”場”をなくし、もとの自宅でのケア=在宅ケアに全面的に転換した国は今のところないという点である。フィンランドやオーストラリアを例に見れば、「施設」を「生活の場」へと転換の目標数値を示しながら、病院や「施設」と「生活の場」を混在する形で、徐々にその比重を変えながら地域ケアへの転換過程を歩んでいる。スウェーデン、デンマークでは、高齢者ケアの場となる病院や従来型の「施設」をなくし、生活の場に転換した国とされているが、それは新規建設を抑え、徐々にその姿を消していくことになるということである。また、生活の場に転換したとしても、それは、文字通り自宅に戻ったという意味ではない。ケア付住宅など新たな生活の場をつくり出している。

第2は、同時にまた、従来型の「施設」や”場”を整備しないで、家族介護からいっきに自宅での在宅ケアへと転換した国は、今のところ見当たらないという点である。韓国、中国の場合も含めて、今後高齢化する国では、「施設」の意味は大きく変わることが予想されるが、自宅以外の”ケアの場”がどの程度必要かである。

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第3節 地域ケアへの転換

3‐1 先進国の転換過程

先進国の施設整備状況の実態を調査し公表したのが1996年のOCEDの報告書Caring for Frail Elderly People: Policies in Evolution、2005年OCED報告書Long-term Care for Oder peopleである。OECD諸国では、1990年初頭には、「施設」中心から「地域ケア」へと転換する場合、各国の経験から65歳以上人口比で5~6%程度の人が利用できる「施設」を確保するという理解が、一般的であった

特に、虚弱高齢者支援を強め、できるだけ「施設」利用を遅らせ、「施設」利用となった場合でも住み慣れた地域社会とのつながりをもつということが重要だという考え方と結びついていた。この住み慣れた地域社会とつながりをもつということは、ageing in placeといわれた。1990年代の日本でも一般に、「住み慣れた地域で暮らす」等の言葉で広がった。

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前述のOECDの1996年報告書では、主に1980年代から1990年代までのOECD諸国の施設や在宅ケアのサービス利用者を検討している。長期ケア対象者を広義にとらえ、「医療的ケア」や「社会的ケア」を必要とする長期ケア対象者としている。その長期ケア対象者が利用する施設について、各国からの回答また各国のデータを集計している。

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この2つの報告書は、長期ケア対象者の定義が異なるので単純に比較できない。しかし、80年代から「施設」の利用者動向を見ると、全体として「施設」利用は下がるといえる。しかし、最近でも5%以上という数値も示す国も少なくなく、上昇している国もある。「最も長期にわたる時系列比較が可能なアメリカでは、過去20年間で65歳以上の人々における介護福祉施設(引用者注:原文はnursing home)の利用率は、漸減を示している。オーストラリア、オーストリアおよびノルウェーでも最近、利用率の減少が認められている。ドイツとルクセンブルグの両国では、明らかに介護保険の導入が刺激になって、介護福祉施設(同)の利用率が増加傾向にある」(浅野 2006: 45)と指摘している。

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3‐2 日本の転換

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・・・2000年には「寝たきり老人」100万人となると予想され、ゴールドプランでは、施設と在宅でのケア体制を整備するとされた。当時は、要介護高齢者のなかには認知症高齢者は含まれていなかったが、施設の内訳は特別養護老人ホームを24万人分、老人保健施設26~30万人分の整備で実現し、「6カ月以上の長期入院者」を10~14マン人と見込んだ。つまり、施設は合計60~68万人になると考えられていた。それに対し、在宅は33~37マン人と想定していた。2000年の65歳人口2,100マン人と予想されていたので、「施設」の合計は2.9~3.2%となる(表1-1参照)

画像1

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日本は、「社会的入院」が非常に多いといわれていたのだが、1989年策定のゴールドプランで特別養護老人ホーム・老人保健施設の設備が急がれたように、当時は必ずしも整備率は高くなかったといってよい。

90年代前半の「社会的入院」は、その定義を「6カ月以上の長期入院者」(継続して6カ月以上入院している者)としてみると、「長期入院者」と特別養護老人ホームと老人保健施設の利用者の尾久敬は、高齢化が進んだ諸外国と比べても、「高い」といえる程の整備率といえなかった。むしろ「低い」国に属していた。1989年策定の「ゴールドプラン」で実現すべき2000年目標には、そのため在宅サービスと施設サービスの整備の2つが目標となった。

その後、この「6カ月以上の入院者」も、在院日数が徐々に短縮され、あまり見られなくなり、病院を転々とするようになり、同じ病院に長期に入院する「社会的入院」の姿はあまり見られなくなる。近年では、その病院を転々とすることも難しい状況が生まれてきている。

2006年7月から、医療療養病棟における診療報酬については、「医療区分」と「ADL区分」により患者を分類し、その組み合わせにより評価することになった。「医療区分」は医療があまり必要ない「医療区分1」から医療がより必要な「医療区分2」「医療区分3」に区別され、「医療区分1」の人たちの入院が困難となった。

その一方で、2009年に改正された高齢者住まい法により、都道府県は高齢者専用賃貸住宅の整備と従来の「介護保険施設」整備を合わせた「高齢者居住安定確保計画」を作成できることになった。”「拠点施設」+「新しい住まい」+「在宅」”の「拠点施設」と「新しい住まい」の自宅ではないケアの”場”をどのように整備するかが新たな加太になってきたといえる。

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第4節 「地域包括ケアシステム」の登場

4‐1 「2015年の高齢者会議」(2003年)

4-2 社会保障国民会議(2008年)

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「まず、個人の生活を成り立たせていく基本的責任はその人自身にある、という意味での「自立・自助」を基本に置き、次に、個人の選択・自由意思を尊重しながら個人の抱える様々なリスクを社会的な相互扶助(=共助)の仕組みでカバーしていく、さらにそれでもカバーできない場合には直接的な公による扶助(=公助)で支える、という、「自立と共生」の考え方に立って様々な制度を構築していくことが必要である。同時に、「社会的な相互扶助(=共助)の仕組み」として、社会保険のような「制度化された仕組み」のみならず・・・

メモ者注:介護保険など保険制度は「共助」、行政の措置は「公助」

4‐3 地域包括ケア研究会報告書(2009年)

・・・

さらに、従来の「自助」「共助」「公助」のとらえ方とは異なる「自助」「互助」「共助」「公助」のとらえ方を強調している。従来の「共助」の意味は近隣の助け合いであり、インフォーマルサービスであるが、この報告書では保健サービスを「共助」として、従来の「共助」を「互助」と言い換え、「公助」は税によるサービスとしている。それはとりわけ、相互扶助の「互助」と保険サービスの「共助」の区分、それらの役割分担を示そうとしているとみてよい。

メモ者注:前節の説明と「公助」の定義が矛盾

4‐4 地域包括ケア研究会報告書(2010年)


第5節 「地域包括ケアシステム」づくり

5‐2 4つの課題

(3)「拠点施設」と「新しい住まい」と「自宅」のバランス

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北海道美瑛町(人口1万2千人)では、介護保険制度創設のころから、町内の保健医療福祉関係者が集まり、拠点である特別養護老人ホームの役割も含めて、広い同町の地域にどのようにサービスを整備していくかを描きながら、地域住民と一緒に「地域密着型サービス」特に「小規模多機能型居宅介護」を4ヵ所整備し、地域型システムへと転換を図ってきた(安倍 (2010)「特養と住民との小規模多機能ケアへの挑戦」朝倉美江・太田貞司編著『地域ケアシステムとその変革主体 : 市民・当事者と地域ケア』)

北海道美瑛町の事例に示されるように、”拠点施設」+「新しい住まい」+「在宅」”の仕組みづくりを目標にしながら、地域ケアへと転換するためにどのように施設整備を考えるか、当面どのくらいにして、将来的にはどのくらいにするか、段階的にどのように転換するかということを、具体的にそのプロセスを描くことができる「力量」が求められてきている。それぞれの地域社会ごとに、行政、そしてまた事業者やケアマネージャー、社協、地域住民などに求められているといえよう(太田(2009)「「介護予防」と地域ケアシステム」笹谷春美・岸玲子・太田貞司編著『介護予防 日本と北欧の戦略』

美瑛町の場合は、農村モデルといってよいが、この”拠点施設」+「新しい住まい」+「在宅」”の仕組づくりは、1人暮らし、老夫婦世帯急増すると見られる代として、今後、一層求められる。・・・

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第2章 地域福祉と「地域包括ケア」. 森本佳樹

筆者に与えられたテーマは、地域福祉と「地域包括ケア」であるが、これを論じるにあたって、まず、地域福祉の意味する者、地域包括ケアの意味するものを明らかにしておく必要がある。なお、「地域包括ケア」については、すでに第1章で詳述しているので、ここでは、地域福祉との関係に焦点化して話を進めたい。

もとより、2つの用語が含意しているものは非常に広く、また、論者によってさまざまな定義がなされているので、ここでは、できる限り先行研究等を取り入れながらも、筆者が考えているところを「実戦的」に考察していきたい。ここで「実戦的」としたのは、以下の論証において、理論研究とのあいだで齟齬があった場合、現実に生起している事象から読み解く視点に立脚するという意味である。


第1節 地域福祉とは何か

1‐1 「やねだん」は地域福祉か

「やねだん」という地域がある。正確には、鹿児島県鹿屋市串良町柳谷集落。耳にしたことがある読者もいるかもしれないが、2000~10年の地域おこしやまちづくりに関する霞が関の省庁の表彰をそうナメにしている実践を行っている。

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1‐3 「地域福祉」の定義

(1)「地域福祉」の本質


第2節 「地域包括ケア」とは何か

2‐1 地域包括ケアの意味するもの

(2)「地域包括ケア」の展開と収縮

以後、御調町に続いて、宮城県涌谷町、兵庫県五色町(現・洲本市五色町)、北海道栗山町、大分県緒方村など、行政担当部署・病院・入所施設・通所施設・社会福祉協議会・ヘルパーステーションなどが一体化したハードと、介護・福祉と医療・保健・看護の連携、住民参加などのソフトを併せもち、「地域包括ケア」の展開を図ろうとする試みが、全国各地の意識的な自治体で展開されていくことになる。






第3章 病院機能分化と「地域包括ケア」

第2節 「地域包括ケア」における退院支援の課題――イギリスにおける高齢患者の社会的ネットワーク復帰研究から. 杉崎千洋

はじめに

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これまでの地域ケア、地域包括ケアは、患者・利用者のニーズの一部に対応するに留まっている。ニーズを、
 生存的レベルのニーズ(ホームヘルプを例にすると、起床・更衣・摂食・排泄・柳井移動など)
 生活行動レベル(調理・洗濯・買い物・通院など)
 社会参加レベルのニーズ(就労・サークル活動・趣味・活動など)
の3つに区分する。このうち、前季の互助と重なるのは主に社会参加レベルのニーズであるが、資源不足などにより、視野の外に置かれることが多い。

退院支援を必要とするのは、主に疾病・傷害によりADL(Activity of Daily Life、日常生活動作)低下が生じ、医療・社会福祉・介護などのサービス利用を開始(再開)する患者である。その意味で、退院支援は地域包括ケアの起点の1つといえる。退院支援研究は、地域包括ケア研究の一環として行う必要が出てくるが、その際、社会参加レベルのニーズを考慮する必要がある。しかし、これまでの退院支援研究は、そうしたことを重視してこなかったといえる。前期の先行研究の中で、このことを含めた検討をしているのは拙論のみである。

本論では、イギリス(イングランドを指す)における退院支援、特に中間ケア(Intermediate Care)、社会的ネットワーク復帰プログラムの紹介と分析を通じて、日本の地域包括ケアの一環としての退院支援、また社会参加を視野に入れた退院支援への示唆をえることにする。イギリスでは、ブレアおよびブラウン労働党政権(1997年~2010年)、特にブレア政権期(~2007年)に、膨大な退院地縁を減少させるために、主に医療の側から、医療と社会ケア(Social Care、日本の社会福祉・介護)を統合・連携し、退院を促進する政策を実施した。社会的ネットワーク復帰は、そうした改革を経て浮かび上がってきた課題である。

イギリスと日本の医療・社会福祉・介護は大きく異なる・・・社会ケアの提供の責任、権限、財源は、地方自治体が有している。サービス提供者には、民間営利・非営利組織が多い。一方、日本と共通しているのは、別建ての医療や社会ケアの方、財源、制度などはそのままにして、両者をつなぐ新たな政策・サービスを整備することにより、退院支援を促進していることである。

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2‐1 退院支援は重要課題に

2‐2 中間ケア、社会ケアと退院支援

(2)評価研究により明らかになった成果と課題

退院支援、病院と中間ケアとの連携への影響に限定して、中間ケアの評価研究の結果を紹介する。

早期退院とリハビリを組み合わせたサービス(中間ケア)は、通常の医療よりも費用対効果(効率)の点で優れている。反面、急性期病院における看護主導の中間ケア(nurse-led Intermediate Care)は、通常の病院医療と比較して効率的ではない。中間ケアの退院支援と不必要な入院回避のサービスを比較したところ、両者とも安い費用で、利用者によりより健康や機能をもたらしている。より自立度の低い利用者のほうがこうした効果は大きい。加えて、退院支援より、不必要な入院回避サービスのほうが、より安い費用で、より多くの効果を上げている。

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(3)予算配分の優先順位が低い社会ケア

保険省の高齢者・障害者の社会ケアへの関心は、それほど高くはない。

地方自治体は予算の範囲内でサービス提供を行う。財政状況が厳しさを増すなかで、限られた資源を効率的に利用する観点から、要介護度の高い人を優先し、集中的なサービス提供を行うようになった。そのため、要介護度の低い人に対する家事援助は抑制される傾向にある。提供をやめてしまった地方自治体さえ存在する。これらは、退院支援に少なからぬ影響を与えている。


2‐3 高齢患者の社会的ネットワークへの復帰支援

2‐4 日本への示唆

(1)退院支援を促進するサービスの開発・創設

イギリスでは、政策目標を明確にし、その実現のために中間ケアを含めたサービスを開発し、それにより医療と社会ケアの連携などを促進し、退院支援をすすめた。

日本では退院支援や医療と社会福祉・介護との連携にかかわる診療報酬、介護報酬の改定を積み重ね、退院支援を後押ししてきた。さらには、2006年からは大腿骨頸部骨折地域連携パス、2008年からは脳卒中地域連携パスが診療報酬で評価されるようになった。

これらの経済的誘導は、退院支援を促進してきた。特に地域連携パスは、地域の複数の病院が協働して治療、リハビリなどを標準化することにより、退院支援をより進展させた。一方、これらを利用して退院支援をどの程度実施するかの判断は、病院、地域が行う。また、地域によっては、医師、看護師らの人材不足は著しい。そのため、病院・地域間格差が生じている。加えて、地域連携パスに関しては、治療などを標準化しやすい患者にしか適応できないことから、利用患者は限られている。大腿骨頸部骨折では、急性期病院などに入院した患者の36.1%、脳卒中では12.9%がりようしているにすぎない。

日本にも、報酬改定、地域連携パスの利用だけでは埋められない、医療と社会福祉・介護の「すき間」がある。例えば、要介護度が高く家族介護力が不十分な高齢患者が自宅退院する場合、手厚い看護・リハビリ・介護が必要であるが、介護保険の区分支給限度額ではそれらを十分にていきょうできないことがある。人員不足のために多職種チームによる退院支援ができない病院・地域もある。・・・

(2)社会リハビリプログラムは共助、互助として展開を

イギリス・エイジコンサーンの社会リハビリプログラムの特徴は、急性期病院退院直後の高齢患者に、ワーカーによる、利用者と利用者のさまざまな対人関係への働きかけを通して、利用者の社会的ネットワークへのアクセスを促進し、身体的・精神的・社会的健康を回復・維持・拡大していくことである。

高齢患者の急性期病院退院後の社会的ネットワーク復帰を目的とした社会リハビリプログラムは、日本にはないと思われるが、共通性のあるサービスはいくつかある。地域リハビリは、患者・利用者の社会参加を重視しているが、それを主に実施しているのは、回復期リハビリ病棟などである。急性期病院は、医学的リハビリ自体が立ち遅れており、そこから直接自宅退院する高齢患者などが、地域リハビリを受けることは少ないと考える。地域リハ日地とはやや異なるし、急性期病院退院患者、高齢者は主たる対象ではないが、障害者分野では、以前より、社会生活力プログラムなどが行われている。利用者などに働きかけ、社会生活力を向上し、社会参加を促進する点では、今回のプログラムと共通している。

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第4章 多様な地域社会と「地域包括ケア」

第1節 「地域社会」をとらえる:大都市部を例として. 岸川洋治

1‐2 大都市における住民相互支援意識―マンション居住者を例として―

第2節 「地域社会」をとらえる:沖縄を例に. 大湾明美





第5章 「地域包括ケア」における住民主体. 朝倉美江

第3節 コープあいちの「地域包括ケア」

3‐1 ケアサービスを生み出す地域包括支援センター

2010年に愛知県(人口約740万人)の「みかわ市民生協」と「めいきん生協」が合併して「コープあいち」が誕生した。その前年である2009年、豊橋にデイサービス・コープ新川(以下コープ新川)が開設された。その土地と建物は生協の組合員から提供され、生協が改築し、小規模通所介護と予防通所介護の介護保険事業所として開所したものである。この地域は、豊橋市の中央エリアで、高齢化率も高く、日中独居の高齢者も多い地域であったことから民生委員も積極的な活動をしており、生協の働きかけで民生委員や地域の人々も参加してコープ新川の運営実行委員会が組織された。コープ新川は「要介護」サービスと「要支援」サービスを併設し、要介護サービスが要支援サービスの延長で利用でき、さらに「街の緑側」として地域に開かれた施設として元気高齢者の生きがいの場ともなっている。そこは、得意の囲碁を生かしてボランティアとして利用者と囲碁をしたり、その後そのボランティアが介護予防デイサービスを利用したり、コープ新川にある足湯でのんびりおしゃべりの時間を過ごすなど誰でも利用できる地域の拠点となり、まさに「生活の共同」が実体化している。

みかわ市民生協では、組合員の議論のなかから1990年に「生協での福祉助け合いを考える会」が生まれ、1993年に「くらしたすけあいの会」が発足し、生活援助活動が展開されるようになった。その後21世紀ビジョンを策定するなかで、組合員の福祉事業への期待の高さが明らかになり、1999年に「みかわ市民生協の21世紀に向けた福祉政策――誰もが安心してくらせる地域をつくるために」を策定し、介護保険事業を含めて協同組合福祉に本格的に取り組み始めた。

みかわ市民生協が運営している地域包括支援センターは2カ所ある。2002年から在宅介護支援センターを豊橋市からの委託事業として運営していたが、2006年からは、地域包括支援センターを2カ所運営している。介護保険実施当初から開始したショートステイサービスの実績をもとにくらしの助け合いのケアサービス等も含めて多様なケアサービスを総合的にマネジメントしたいと行政に積極的に働きかけて実現したものである。

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地域包括支援センターの役割は、地域支援の総合相談、高齢者の権利擁護、介護予防マネジメント、包括的・継続的マネジメントなどである。業務内容としては介護予防マネジメントが大きな割合となっており、特定高齢者への訪問活動なども当然行われているが、この地域包括支援センターでは、地域の介護力を高めていくために職員は積極的に自治会や民生委員・児童委員協議会や認知症の人と家族の会等とも連携している2009年からは「生活・介護支援サポーター養成研修」を実施し、地域でより多くの人々がケアに参加できるように積極的に働きかけている。先述のコープ新川もそのようなつながりのなかで誕生し、その運営も民生委員などの参加によって行われ「生協と福祉と地域とふれあい」という地域の子どもや高齢者などの交流の場・イベントを十すするなど住民やボランティアとの多様なつながりを形成しつつある。


3‐2 人をつなぎ、組織をつなぎ、新しいコミュニティをつくる協同組合福祉

「コープあいち」は、新たな生活の質をひらく生協福祉の推進方向として、  
 ①地域での組合員自身による福祉の多様な活動を推進、支援する
 ②高齢者介護事業をはじめとした福祉事業の充実・発展をはかる
 ③地域のくらしを支えるネットワークづくりを推進する
 ④介護保険制度などの改善を求める運動をすすめる
 ⑤地域での助け合い、支え合い事業を生協の総合力と指定推進する
ことを「福祉政策」として提起している。

この福祉政策は、みかわ市民生協の福祉実践と同様、名古屋市など尾張地域をエリアとしためいきん生協の組合員を主体として地域に焦点をあてた地道な福祉活動・事業の実践がベースになっている。名金生協でも組合員の福祉活動が広がるなか、1991年にはくらしたすけあいの会が発足し、組合員による家事援助や食事会や配食活動などが各地で取り組まれるようになった。その前年である1990年には「くらしの何でも相談室」(現「くらしの相談室」)が開設され、現在までに相談件数は3万件を超え、毎年2000件以上の相談がある。2005年には成年後見などにより専門的な相談に対応するためにNPO法人「あいちくらしと権利協同ネット」(略称:あいちあんきネット)を設立し、2007年には気軽に相談できる窓口として「コープ相談センター」も開設している。それらの相談内容は、消費生活、サラ金、相続・家族間トラブル、住まい・近隣トラブル、税金・年金、福祉・健康・労働問題など多岐にわたっている。

さらにめいきん生協は、地域福祉懇談会を各地域で活発に開催している。その1つの名東地域福祉懇談会は、2003年から始まっているが、2009年の懇談会で、名東居宅介護支援事業所のケアマネージャーは、「

ケアマネは、高齢者が日常生活を送るうえで、介護保険では対応しきれない場面に遭遇することが多々あります。その場合広く社会資源活用がうたわれています。ですが、必要とする社会資源が身近にないことが、現在のケアマネの悩みです。2007年から始まった『安心して暮らせるネットワークづくり』はそうした社会資源を掘り起こす絶好の場だと考えます。介護保険を通じ、高齢者と身近に接する者として、高齢者が今どんな状況にあり、どんなことに悩み、困っているかを、声に出していくことがケアマネの役割だと考えています

」と発言している。

この発言にある「安心して暮らせるネットワークづくり」とはめいきん生協が長年重視してきた相談事業のなかで見えてきた組合員や地域住民の生活の困りごとについて、しっかり生協で受けとめ、生協の活動や事業のなかにつなぎ、さらに専門機関ともつながって、くらしの問題を解決できるネットワークをつくるということである。日々のくらしを支えるためには、コミュニティのなかで、支え合える関係を構築していく必要があるが、そのような取り組みとして、
 子育て広場
 高齢者ふれあいサロン
 男性の料理教室
 生協の店舗でのおしゃべり会
 配食サービス活動
 地域福祉を考える学習会
 地域単位の「くらしの窓口」の開設
 コープまつりの開催
など各地の拠点で多様な活動を展開している。このような地域の拠点やつながりのなかから、組合員や住民の主体的なケアサービスやネットワークが多様に生まれている。

そのように住民主体のケアサービスを生み出すために必要な資金についても2009年から「めいきん生協福祉基金」を設置し、コミュニティで活動している組合員と住民に対して助成を開始している。2009年度は、子育て支援や障がい児・者の活動支援、配食サービスやコミュニティビジネスを行っている28団体に助成している。

以上のように「コープあいち」の「地域包括ケア」は、「互助」を基盤に新しいコミュニティをつくるプロセスのなかで生み出されたものであることが明らかである。具体的には、コミュニティを基盤とした組合員の助け合い活動という「互助」を核としながら、生協独自の相談事業や生活支援事業などの「共助」、さらに介護保険や障害者自立支援法に基づく介護サービス等の「公助」も担い、利用者、住民、専門職の協働によって「地域包括ケアシステム」を創造してきた。

「地域包括ケアシステム」を生み出した組合員や住民の主体的な活動は、自然に誕生するものではない。協同組合福祉を担う専門職や組合員、住民とともにコミュニティに潜在化するケアニーズとともにケアサービスも掘り起こし、積極的に育て、より質の高いものへとつくり続ける努力によって形成される。つまり地域包括ケアは「新しい生活の質」が保障される新しいコミュニティを形成するプロセスのなかで創造されるのである。

第6章 ケアマネジメントと「地域包括ケア」
第7章 市区町村と「地域包括ケア」

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