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ろうそく出せ

「ローソクだーせー だーせーよー
    だーさーないとー かっちゃくぞー
       おーまーけーにー ひっかくぞー」

子どものイベント

 8 月 7 日(7 月 7 日)の七夕頃に北海道の一部で 行われる子どもの大イベントが「ろうそく出せ」(ロウソクもらい)という行事です。子どもたちが夕方から近所 の家々を回り、「ローソクだーせ ♫」と歌を歌います。 北海道各地の家々の密集する地域で今も続いてい るイベントで、見ることができることもあります。

 幼児から小学校低学年の子どもたちが数人の集団で近隣各家の戸口で「ローソクだーせー・・・」と歌い、ローソクやお菓子を貰いに歩きます。子どもたちはお菓子をもらうことを期待していますが、不在であったり、歌の通りにローソクをもらってしまったりして、がっかりすることもあります。また、菓子を準備していない家は、菓子代としてお小遣いをあげることもあります。

どの町で?

 この風習が確認できる(た)町がいくつかあります。もっとも、それぞれの町の全ての地域で確認できるわけではありませんので、北海道生まれの人の中にも「ろうそく出せ」を知らない方が多数いらっしゃいます。

佐呂間町 遠軽町 北見市 登別市 余市町
札幌とその近郊 旭川市 歌志内市 釧路市

 ちなみに佐呂間市街では、平成 22 年現在、子ど も会主催で7月 7 日に実施していました。きっと今も 実施していると思います。

ハロウィンが似ているって・・・

 アメリカ合衆国では 10 月 31 日に子どもたちが魔女 やお化けに仮装して近所の家々を回り、お菓子をも らったりする民間行事があります。古代ケルト人が起 源で、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教 的な意味合いもある行事の「ハロウィン」です。カボチ ャの中身をくりぬき「ジャック・オー・ランタン」を飾った りもします。「近所の家々を回り、お菓子をもらう」と いうことが、我が北海道の「ろうそく出せ」に似ている ので、「ろうそく出せ」を「北海道のハロウィン」と紹介 していたりするのも見かけます。

たかが30年、されど30年

 日本でハロウィンが広く知られるようになったのは、 1997 年ディズニーランドのイベント「ディズニー・ハッピー・ハロウィーン」・JR 川崎駅前の「カワサキ・ハロウィ ン・パレード」等のイベントがきっかけではないかと言わ れています。つまりハロウィンは、およそ 30 年前から広 く知られるようになった行事なのです。

販売促進

 なお、近年、ハロウィン関連の「商売」が活発化し ていて、店頭でのハロウィン装飾が見られるようになっ たり、仮装・コスプレのイベントが開催されたりする日 本式ハロウィンが目立つようになっています。昨年、 テレビ報道を見ていると「20 代若者の恥ずかしさを知 らぬ馬鹿騒ぎイベント」にも見えました。ハロウィンは 商売と強く結びついてしまっているようです。
バレンタインデー、恵方巻き、クリスマス、ハロウィ ン・・・商売人に乗せられて大騒ぎをしている日本のイ ベントって色々ありますね。

【歌詞のいろいろ】

ウィキペディア(Wikipedia)より

・札幌近郊 、遠軽町周辺、室蘭市、登別市、旭川市、歌志内市、釧路市、余市町

「ローソク出ーせー出ーせーよー
  出ーさーないとー かっちゃくぞー
   おーまーけーにー噛み付くぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー
   出ーさーないとー かっちゃくぞー
    おーまーけーにー喰い付くぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー
   出ーさーないとー かっちゃくぞー
    おーまーけーにーひっかくぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー
   出ーさーないとー ひっかくぞー
    おーまーけーにーかっちゃくぞー」
「ローソク出ーせー出ーせー出ーせー
   出ーさーないとー かっちゃくぞー
    おーまーけーにー噛み付くぞー」

・千歳近郊
「ローソク出ーせー出ーせーよー
   出ーさーないとー かっちゃくぞー
    おーまーけーにー噛み付くぞー
      噛み付いたら放さんぞー」
「ローソク出ーせー出ーせーよー
   出ーさーないとー かっちゃくぞー
    おーまーけーにー喰い付くぞー
     喰い付いたら放さんぞー」

・小樽市
「今年 豊年七夕まつり 
 ローソク出ーせー 出ーせーよー
   出ーさーねーば かっちゃくぞー
    おーまーけーに 喰っつくぞ
     商売繁昌 出ーせー 出ーせー 出ーせーよー」

・古平郡
「今年豊年七夕祭り・・・
   寝ても起きても けねうぢ 動かね」

・函館市、七飯町
「竹に短冊七夕祭り
  大いに祝おう
    ローソク一本頂戴なー」
「竹に短冊七夕祭り
   多い(追い)は嫌よ
    ローソク一本頂戴なー」
「竹に短冊七夕祭り
    おーいやいやよ
     ローソク一本頂戴なー」(昭和 50 年代まで)
「竹に短冊七夕祭り
   おーいやいやよ
    ローソク一本頂戴なー
     ローソクけなきゃ かっちゃくぞー」 (昭和 30 年代より以前)

・上磯町(現・北斗市) 檜山
「竹に短冊七夕祭り
    おーいやいやよ
     ローソク一本頂戴なー」
「竹に短冊七夕祭り
    多いは嫌よ
     ローソク一本頂戴なー
      くれなきゃ顔をかっちゃくぞー」
・松前
「ことーしゃ 豊年七夕祭りよ
   おーいやいやよ ローソク一本ちょうだいなー
    出ーさーねーばーかっちゃぐどー
     おーまーけーにーどんずぐぞー」

【囃し歌の地域性と時代性】
 ニシン漁で栄えた漁師町では「今年豊年七夕まつり」という歌詞からはじまることが多く、地域によってはローソクを強要する歌詞も歌われた。かつて北海道経済の中心であった小樽では「商売繁盛」の歌詞が付け加わっている。内陸部の多くの地域では、枕言葉になる部分が省略され、ストレートに「ローソク出せ」と歌う歌詞が多い。時代が新しくなればなるほど、こうした簡略化された直接的な囃し歌が歌われ、現在では貰い集める品が飴や菓子類などに替わってしまっている。

【「ローソクもらい」と「津軽地方のねぶた」との共通性】
 ローソクもらいの習俗が北海道に根付いた説のひとつとして、青森県の青森ねぶた、弘前ねぷたとの関連があげられている。津軽地方では戦前までのねぶたの照明はローソクであったため、ローソクをもらって歩くことが習慣となっていた。深浦町の旧岩崎村地区ではねぶたは大正末期になくなってしまったが、「今年豊年 田の神祭り」などと唱え、家々を廻ってローソクをもらって歩き、旧小泊村(現中泊町)では戦前まで各集落でねぶたを出したが、ねぶたをリヤカーに乗せ「ローソク出さねばがっちゃくぞ」などと言いながら各家を廻り歩いていたなど、北海道で現在行われているローソクもらいの原形を見ることができる。また、「出せ」にはローソクだけではなく「寄付」を寄こせという意味も込められており、これによってねぶた行事の経費としていた。現在、各地のねぶたを曳く掛け声として聞かれる「ラッセ ラッセ ラッセラー」は「ろうそく出せ出せ 出せよー」が、「イッペーラーセー」は「いっぱい出ーせー」が、「ヤーヤドー」は「おー いやいやよー」が語源とされ、それが訛り省略されて現在の形になったといわれており、北海道各地で歌われている歌詞との共通性が見受けられる。

【日本のなかの「ローソクもらい」】
 日本各地には、盆のころに子供たちによる万灯や火祭り、灯籠流しの習俗がみられる。そこでは、そのための材料や金銭を、子供たち自身が地域の家々を訪ねて貰い集めることも古くから行われてきた。北海道の「ローソクもらい」の習わしも、上述のように津軽のねぶた行事にその淵源を求めることができるし、日本各地で子供たちが行う七夕や地蔵盆などの盆行事の延長上にあるとみなすことができる。
 本土各地からの移住地である北海道は、一般に、その故郷の習俗が点在するケースが多いが、この習わしは地域を越えて北海道一円に分布している。今もむかしも、子供の間の遊びや行事の流行は伝播のスピードが速く、この行事は北海道における子供文化の特徴のひとつとなっている。



http://www.geocities.jp/seijiishizawa/NewFiles/hokkaidou.htmlより
(リンク切れ)

  いよいよ7日も宵が迫ると、子供たちは待ち兼ねたように提灯に火をともしてローソクもらいに出かける。その時の唄が一般に「ローソク貰い唄」といわれているものだ。

 一番年かさの子が、「ローソク出せ」と、始めると、皆一斉に、「出せよ 出さぬと かっちゃくぞ」と続く。

 「かっちゃく」とは、標準語で「ひっかく」に当たる。この位まで唄っているうちに、もう隣の家の門口だ。すこし離れた家でも、「おまけにくいつくぞ くいついたら はなさんぞ」位まで唄えば、いやでも着いてしまう。門口では、また最初から、「ローソク出せ 出せよ」と唄い出す。

 どこの家でも、家人が小ローソクを一本ずつ渡してくれる。これがまた、何ともいえず嬉しいものだ。このローソクの丈は5センチのもの。こうして隣組の家々で一巡すれば、片手にいっぱいの頂き物である。わたしは、「くいついたら はなさんぞ」までしか知らぬが、昭和7年生まれの私の家内は、この後にも続きがあったと力説する。
 「はなさんかったら いーたいぞ
   いーたかったら ローソク出せ 出せよ」
と、なかなかしぶとく続くのである。

 ところで貰ったローソクだが、当時はいろんな使い道があった。我が家では、(1)入浴の折に風呂釜のヘリに立てた。遠軽では、風呂のある家はあまり多くなかった。我が家は外風呂であったが、戸外に電灯を引いていないのでローソクを風呂釜のヘリに立てれば、ちょうど1本で一風呂浴びるのに十分である。風呂は内地から移入された五右衛門風呂ですべて鉄製であった。(2)神棚や仏壇用にも使った。(3)はじめに入っていた家では、便所に電灯がなかったので、板に釘を打って、それにローソクを立てて用足しに行った。勿論、懐中電灯もあったが、主に夜間の自転車用であった。ともかくローソクは貴重品であったから、大事な貰い物だったわけである。(ちなみに最近の「ローソク貰い」では、ローソクは姿を消して「お菓子」である由。) 

 さて「ローソク貰い唄」であるが、当地方では冒頭に掲げた唄のみが唄われているという事実である。ところが小田嶋政子「北海道の年中行事」(北海道新聞社)によれば道南の函館では、
 「竹に短冊七夕まつり、オーイヤ、イヤヨ
        ローソク1本ちょうだいな」
となる。
「ローソク一本 ちょうだいな」が、道北では、「ローソク出せ 出せよ」と変貌している。ところが、函館の西に位置する松前では、
  「今年豊年 七夕まつり オーイヤイヤヨ
    ローソク出せ 出せよ 出さねバ
     かっちゃくぞ おまけに くっつくぞ」
と歌われており、石狩湾に面する港町・小樽でも、
  「今年豊年 七夕まつり ローソク出せ 出せよ
     出さねば かっちゃくぞ おまけに くっつくぞ
        商売繁昌 出せ 出せ 出せよ」
だそうであるから、「ローソク出せ 出せよ」は、枕の「今年豊年 七夕まつり」の有無はあるものの、北海道の広い地域にわたって共通した歌詞のようだ。

 さて、楽しい七夕の宵も、時過ぎれば幕切れとなる。8月の北海道も遠軽付近は午後6時半になればたそがれ時、ローソク貰いも15分もあれば、あたり近所廻り尽くす。柳のもとで線香花火などに打ち興じ「もう家に入れよう」と、家人に呼ばれれば、ちょっと名残惜しいが、家に入ってしまう。昔の子は早寝早起きだった。睡眠時間も大分長かった。寝る子は育ち、粗食ながらも丸々と太っていた。
 

【ローソクもらいのアキカン提灯】
 今年(2007年)5月、知人の佐藤弘憲氏がローソクもらいに使ったアキカン提灯を作ってくれたので、これを紹介しておこう。彼は大正13年7月、遠軽町生田原生まれの83歳。小生より五歳年長である。昭和10年頃、彼は小学校5,6年生だった。七夕の日、幼児や小学校低学年の生徒は、市販の七夕提灯に灯をつけてローソクもらいに参加したが、彼ら高学年や高等科の男子らは、缶詰のアキカンを用いて自作の提灯を作り、それを持って参加したという。

ここまで、http://www.geocities.jp/seijiishizawa/NewFiles/hokkaidou.htmlより   (リンク切れ)


 2008(平成20)年7月14日と2017(平成 29)年 7 月 14 日に配布した文章を再構成しました。



 遠軽町の2022年夏に子ども会関係者と思われる大人の方と一緒に戸口を廻っている子どもの姿を見ましたが、その話を理髪店でしたところ「昔はやっていたけれど、今来るのはハロウィンのみです。」ご自身が子どもの頃には、たくさんの子どもたちといっしょに廻るのが楽しかったですし、自分の子どもが小さかった頃にはやっていたけれども、今も続いているのですね。とおっしゃっていました。
 ハロウィンに比べると随分古くからのイベントなのに「ハロウィンみたいな行事」的な扱われ方には一言物申したい。

「新参者め! 控えよ、控えよ。」




            writer Hiraide Hisashi

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