BandLifeWorld

永山音楽室報道部で英国式ブラスバンドと吹奏楽について公開していますのでそちらもご覧ください。 https://note.com/nagayamamusik/

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マガジン

  • 大切なこと と思っていること

    人に伝えたいと思ったこと   大切だと思っていること

  • 北海道家庭学校

    社会福祉法人北海道家庭学校に関連する記事をきままに公開していきます。

  • 食べ物

    食べるものって大切な文化の一つ     そう感じさせられることがあります。

最近の記事

北海道の鉄道そして家庭学校 2 家庭学校その4-2

 毎週日曜日(10:00 - 11:55)のTBSラジオ『日曜天国』で、パーソナリティーを務めている安住紳一郎アナウンサーが鉄道と家庭学校に関わる話をしました。 安住紳一郎アナウンサー 安住紳一郎(1973 -  )さんは、北海道帯広出身のTBSテレビのアナウンサーです。TBSの「看板アナウンサー」として知られ、現在は平日早朝の生放送番組『THE TIME,』土曜日夜の『情報7daysニュースキャスター』、そしてTBSラジオ『日曜天国』などに出演しています。 日曜天国

    • 家庭学校とステッセルのピアノ その2

       北海道家庭学校礼拝堂には、五木寛之氏の「ステッセルのピアノ」でさらに広く知られるようになったピアノが置かれていました。  *家庭学校礼拝堂ステンドガラス風は、遠軽町福路3丁目いわみ橋の装飾 クロパトキンのピアノ 谷昌恒北海道家庭学校第5代校長は、五木寛之氏に「クロパトキンのピアノ」説もあることを紹介しました。 五木寛之氏の家庭学校訪問  テレビ金沢制作の「ステッセルのピアノ 運命のピアノが奏でるレクイエム 」取材のために1993年(平成5)3月、家庭学校を訪れた五木寛

      • 熊肉一斤 家庭学校 その3 の3

         1925年(大正14)2月6日の大町桂月の日記に「◎北海道品川義介 熊肉一斤」と記されています。 〜「家庭学校 その3 の2」で熊肉まで届きませんでした。〜 大町桂月日記 1921年(大正10)8月-9月  桂月は1921年(大正10)7月10日に東京雑司ヶ谷の自宅から北海道を目指して出発しました。11日に函館に到着し北上、8月21日からは大雪山連峰を探訪し25日に松山温泉(天人峡温泉)に下山しました。26日から旭川に滞在し、29日から網走に9月1日まで滞在しました。こ

        • 熊肉一斤 家庭学校 その3 の2

           1925年(大正14)2月6日の大町桂月の日記には「◎北海道品川義介 熊肉一斤」と記されています。熊肉が600g届いたということが記されているのです。 品川義介白雲荘  品川義介(1889-1982)は山口県出身の社会教育家・文筆家です。1914年(大正3)に開校した初期の北海道家庭学校に勤務し(1916-1925)、掬泉寮の寮長を務めました。その後、札幌琴似の「白雲荘」で救護事業・社会教育活動を行いました。 サナブチ平野の春を竢ちて  留岡幸助が編集発刊していた「

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        • 北海道家庭学校
          12本
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          20本
        • 食べ物
          13本

        記事

          北海道家庭学校の地図 家庭学校その6

           家庭学校に関わる図等を複数目にしてきました。 本館廊下大壁画 1964  本館廊下に掲示されている村井武雄氏の指導で1964年に(昭和39)描かれた壁画です。60年前の家庭学校の様子がよくわかります。 鳥瞰図1957 鳥瞰図1967  給食棟は1979年(昭52) に建築された建物なので、この鳥瞰図には描かれていません。 鳥瞰図2004  2004年(平成16)に描かれた鳥瞰図です。最初に描かれたのがいつなのかは不明ですが、家庭学校紹介パンフレットに毎年使われ

          北海道家庭学校の地図 家庭学校その6

          家庭学校とステッセルのピアノ その1

           北海道家庭学校にはステッセルのピアノと呼ばれるピアノがあります。これは少なくても120年以上前に製造されたピアノです。 日露戦争 日露戦争(1904:明治37年2月-1905:明治38年9月)は、中国東北部(満州)と朝鮮半島の利権をめぐる日本とロシアの争いが原因の戦争です。 ステッセル将軍  ステッセル(アナトーリイ・ミハーイロヴィチ・ステッセリ1848 - 1915)は、ロシア帝国の軍人で日露戦争における旅順要塞司令官、ロシア関東軍司令官です。旅順攻囲戦で日本陸軍の

          家庭学校とステッセルのピアノ その1

          鉄道と家庭学校 家庭学校その4

           家庭学校が開校した1914年(大正3)に家庭学校所在地の遠軽には鉄道が開通していませんでした。留岡幸助氏は家庭的な教育、厳しい大自然の中での教育、そして宗教的な教育の場を現在地に求めました。 1914年(大正3)北海道線路図  家庭学校北海道分校が開校した1914年10月5日には留辺蘂駅から下生田原駅(現安国駅)までが開通(鉄道院湧別軽便線)していましたが、留岡幸助氏が家庭学校分校開校のために遠軽にやってきたのは、7月末でしたので、幸助一行は留辺蘂から遠軽までのおよそ4

          鉄道と家庭学校 家庭学校その4

          北海道家庭学校 その3 大町桂月

          北海道家庭学校敷地内には大町桂月の歌碑が建っています。 大町桂月 大町桂月(1869 - 1925)は、高知県に生まれた詩人、歌人、随筆家であり、北海道各地を訪れその魅力を紀行文に記したことでも知られています。彼はまた、北海道の層雲峡や羽衣の滝、さらには龍宮街道(サロマ湖湧別側の砂州)の名付け親でもあります。  桂月は1921年(大正10)8月に大雪山を縦走した後、9月5日に家庭学校を訪れました。 家庭学校での創作  桂月が家庭学校を訪問したのは、開校7年目の年です。家

          北海道家庭学校 その3 大町桂月

          北海道家庭学校 その2 大切な言葉

           北海道家庭学校には繰り返し語られる大切な言葉がたくさんあります。 三能主義  (能く働き、能く食べ、能く寝る) 自然と感化事業 留岡幸助 大正4年2月5日法律新聞より   北海道の開墾地が甚だ好都合に出来て居る。即ち食うと云うことに付ては殆んど無尽蔵と言ってよい位、農作物が在るから何時も飽食することが能きる。釣りすれば『ヤマベ』も食える。又働くにしても今の所殆んど限りない程の農場が在るから幾らでも働かせることが能きる。次に眠むらすることに付ても都会の如く活動写真があ

          北海道家庭学校 その2 大切な言葉

          北海道家庭学校 その1 留岡幸助

          家庭学校の創設者は日本社会福祉の先駆者留岡幸助です。 留岡幸助  留岡幸助(1864 - 1934)は、1864年(元治1)に現在の岡山県高梁市で理髪業を営む吉田家の次男として生まれ、生後間も無く親類の留岡家の養子となりました。  1888年(明治21)に同志社英学校別科神学科を卒業し現在の福知山市で教会牧師、1891年(明治24)北海道庁空知集治監の教誨師を務めました。幸助は監獄教誨師を務める中で、罪人を減らすには、少年の時期に愛情のある家庭で育つことが大切だと考えるよ

          北海道家庭学校 その1 留岡幸助

          東京オリンピック展示林 家庭学校のひとつ森

           北海道家庭学校には、1964東京オリンピックに由来する展示林があり、この森で育った樹木が2020東京オリンピックで活用されました。 東京オリンピック  1940年(昭和15)に東京で開催される予定であった夏季オリンピックの開催権は、日中戦争(支那事変)の勃発や、物資や兵士を取られる軍部の反対など により日本政府は返上し実現には至りませんでした。第二次世界大戦終結9年後の1954年(昭和29)に1960年(昭和35)夏季大会開催地に立候補しローマに敗れた後、1964年(昭

          東京オリンピック展示林 家庭学校のひとつ森

          北海道家庭学校本館廊下大壁画

           社会福祉法人北海道家庭学校の廊下には、村井武雄氏の指導により描かれた壁画が展示されています。村井家に焦点を当て「ひとむれ創立110周年記念誌(通巻第1036号)」への寄稿文を再構成しました。 大壁画「祐児」とその母「満寿」  1979年(昭和54)のことです。その頃に所属していた吹奏楽団演奏会のソリストにクラリネット奏者の村井祐児氏(東京藝術大学教授)を招き、C.ウェーバーのクラリネット協奏曲第1番 ヘ短調 op 73を演奏しました。その時に村井氏が札幌出身で、母親が音

          北海道家庭学校本館廊下大壁画

          修礼(しゅうれい)

           筆者が子どもの頃には儀式の度にやっていたのが修礼です。2023年現在、学校でピアノに合わせて礼をするという、この「修礼」を見かけることはほぼなくなったように思います。  ちょっと変わった習慣だったなぁと今も思いますが、先日開催された吹奏楽講習会で東京生まれ東京育ちの講師が和音進行と音楽作りの話の中で、 I - V - I の和音を弾きながら「起立 - 礼 - 直れ」とモデルバンドの子どもたちに実践させる場面がありました。  子どもたちは違和感なく礼をしていましたが、びっく

          修礼(しゅうれい)

          そよろそよ風

          「子供盆踊り歌」 坪松一郎作詞・山本雅之作曲  そよろそよ風 牧場に街に 吹けばちらちら 灯がともる 赤くほんのり 灯がともる  ほら 灯がともる シャンコ シャンコ シャンコ シャシャンがシャン 手びょうし そろえて  シャシャンがシャン 笛も流れる 太鼓もひびく 風が流れる 中空に 手びょうし そろえて ほらまわれ  ほらまわれ シャンコ シャンコ シャンコ シャシャンがシャン 手びょうし そろえて  シャシャンがシャン  そろたそろたよ どの子もそろた そろてうた

          そよろそよ風

          ろうそく出せ

          「ローソクだーせー だーせーよー     だーさーないとー かっちゃくぞー        おーまーけーにー ひっかくぞー」 子どものイベント  8 月 7 日(7 月 7 日)の七夕頃に北海道の一部で 行われる子どもの大イベントが「ろうそく出せ」(ロウソクもらい)という行事です。子どもたちが夕方から近所 の家々を回り、「ローソクだーせ ♫」と歌を歌います。 北海道各地の家々の密集する地域で今も続いてい るイベントで、見ることができることもあります。

          ろうそく出せ

          心に刻み込むべきこと

          僕自身が 心に刻み込むべき と思っていること・・・ なかなか自分自身では出来ていないと気づくこともあること。 大きな声での指導を続けると、より大きな声の指導だけしか聞こえない子どもを育てることになる。  大きな声は、ある意味、騒音です。騒音も慣れると、耳の機能が麻痺してしまい、大きな音が気にならなくなります。大きな音の中で過ごしている人に何かを伝える時には、より大きな音が必要になってしまいます。また、一部の子どもは、自らが大きな声だけでしゃべり始めるようになります。そうな

          心に刻み込むべきこと