桃の節句でしたね (活動報告 #6)

 桃の節句、いかが過ごされましたか皆さん。

 わたしはハイカラな友人と寒さに震えながら桃を観て桜を観て、夜には神谷バーで電氣ブランを飲んでしたたかに酔っぱらっていました。


 「パンクはスタイルじゃない。姿勢だ。」

 とジョー・ストラマーは言いました。まさにその通りだと思いますし、同時にそれって実はパンクに限る話ではないとも思います。パンクロックが木の枝だとしたら、幹にあたるロックンロールにも、その理論は当然のようにかよっているのでしょう。(ウィリー・ディクソンの受け売りではありますが、その大木の "根" とは勿論ブルースです)

  

 桃の節句とロックンロール。2015年3月3日、KISSとももいろクローバーZの公演を観たことを思い出しています。

 のっしりと構えて演奏をする黒&銀ずくめの巨人4人に囲まれて、色とりどりの衣装で回って跳ねて歌って踊る5人のちいちゃな女の子たちは、巨人たちに負けず劣らずパワフルで、ひときわ華やかで可愛らしく見えました。エンタテインメントの悪魔と天使という風でした。

 いわゆるモノノフたちが掲げる、“推し”を色で主張するペンライトが、会場中に花が散っているように輝いて、それは不思議と非常に粋でおくゆかしい美しさだったのを覚えています。嗚呼目出度や桃の節句、とでも言いたくなるような光景でした。

  

 KISS、大衆受けする一方で、マニア受けがあまり良くない印象があります。見方によっては、格好とステージングだけ大袈裟な、商売上手過ぎて胡散臭いハードロックバンド、というかんじでしょうか。

  わたしはしみじみこう思うのです。

 ジーンもポールもエリックもトミーも5,60代のオッサンです。それでも、毎回わざわざあのド派手な衣装を纏って、わざわざあのメイクを施して、KISSをやってる。わざわざ宙吊りになるし、わざわざギターから花火も飛ばす。轟音と閃光のさなかステージで火柱が上がってると思えば自分も火ィ噴くし血ィ吐くし、ギターも割る。40年のキャリアがあるバンドが、今でも毎回ライブでこれ全部やってるの、凄くないか!良い意味でどうかしてる!

 人間みな老いるし、老いりゃそのうち死ぬ。でも、あんな風に、変わらない姿と変わらないやり方でステージに立ち続けるということは、ファンに希望と喜びを与え続ける、「地獄の軍団」という不老不死・無敵のヒーローで居続けるということだと思うのです。なんて夢があるのだKISS。その覚悟と心意気に完全に痺れてしまって、わたしはジーン・シモンズが自分の吐いた血でビシャビシャになりながらベースを弾くという地獄画図に涙を流すのです。

 あの、「こういうバンドこそが最高だ!みんなこうあるべきだ!!」とは正直全く思いませんし、KISSへの特別な思い入れは一切ないです。もう全然ビートルズとかストーンズとかクラッシュとかの方が好き。ただ、KISSの、デビュー当時から貫かれる “ヒーローであること” 、“エンタテイナーであること” への信念と、何度にも及ぶメンバーチェンジや、エリック・カーの死を乗り越えた不屈の精神は、彼らだけの「姿勢」だと思うのです。ただ、誇り高く音楽をする。ライブに行けば、彼らはあのメイクで、あの衣装で、あのステージングで、わたしたちを100%楽しませてくれる。みんなが聴きたいものを聴かせてくれる。みんなが見たいものをすべて見せてくれる。そうやってあの人たちは世界をまわってる。24にもなってこんなこと言うのは照れ臭いのですけど、それって凄くロックンロールだなあと思います。

 当時のNHKの取材に応えたポールが、最後にこう言ったのを覚えています。

「ミナサン、君たちもKISSのようになれる。何もバンドでなくても、自分らしくやりたいことを何でもやればいいんだ。俺たちがついてるぜ。」

 そんなポールの言葉に背中を押され、書きたいように自由な気持ちで書きましたのは里緒でした。まとまっているようでまとまっていない、桃の節句の思い出とロックンロールのお話でした。


 最後にJimmyもといトキワ荘のみなさんの写真を載せておきます。

ヴォーカルの怜くん。配色が上級者。

ギターの稜太くん。ペン入れ作業に専念しています。

ベースのわさくんこと長松くん。太宰治の兄と血縁を信じたくなるほど似ていますね。

 ライブにむけて一所懸命練習したり、スマブラやったりしてます。

 では、またね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?