真の課題解決とは

私は営業の仕事をしています。営業ではよく、「お客様の話をよく聞き、お困りごとから課題を洗い出し、それを解決するのが営業の仕事」と教わります。

ですが、皆さん。あなた方の中に営業マンや特定の他人に「課題解決」をしてもらった経験がある人がどれだけいるでしょうか?おそらくよほど営業を受ける仕事についている人でなければそんな経験はないと思います。

果たして「課題解決」されるとはどんな気分なのだろうか?それを探るために今回私は私自身の「課題解決」を試みてみたいと思います。

なぜ自分自身なのか?それは他人の課題を洗い出すほど難しいことはないからです。基本的に顧客は会社での立場や警戒心から本当のことを言いません。よほど打ち解けていないかぎりは。ですので本来は幾多のアイスブレイクを繰り返した後に顧客が見せた「本音の片鱗」みたいなものから課題を類推し仮説を立てて提案をしていく必要があります。

ですがそれは理想論です。ぶっちゃけ一生かかってもそんなことできる気がしません。なので今回は自分の課題を洗い出して解決することを目指したいと思います。

課題を洗い出すにあたり、私はノートに自分の欲求や悩みを書き出しました。何度かやっているうちにある程度「課題」としてまとめることができましたのでそれを解決していきたいと思います。

私の「課題」「自分の考えている思想が世間と乖離している」ということです。「思想」とは以下のものです。

①この世に「正しい」とか「間違っている」という概念は存在しない。それは人間が勝手に作り出しているものである。
②ただ、現在という時間と物質が存在しているにすぎない。
③1人の人間が世の中に及ぼせる影響は微々たるものである。一人一人は大きな自然や社会の動きの中でもがいているに過ぎない。
④人生を左右するのは「運」である。「生まれつきの能力」「家庭環境」でほとんどが決まる。
⑤ 好きなことをしていたら成功した、と考えている人間は「努力して成功した」と思っていない。「努力」したかしていないかは主観に過ぎないので、努力と結果の因果関係を計算するのは不可能。
⑥1番大事なのは「諦めること」自分には何も変えられないことを再確認するために「努力」をする。「努力」しても変わらない世界をあるがままに受け入れる。生きることは辛い。だが死ぬ勇気はない。死ぬことは怖い。だがいつまでも生きることはできない。その絶望的な状況を受け入れること。

上記の思想を持って私は生きているのですが、残念ながらこの社会はどうしても「努力教」の人が多いように感じます。なぜこんなにも努力して自己実現をしていくサクセスストーリーがウケるのか、日本人の習性なのか、広告代理店の洗脳なのかは分かりませんが、私の思想とは相入れませんし、生きていて非常に息苦しさを感じます。ですのでこの状況を「課題」として設定しました。

そしてその「課題」に対する「解決」を提示する「提案」とは何か私は考えました。

そして一つの仮説にたどりつきました。
それは「noteを活用することで世間とのギャップと閉塞感を少しでも埋めていけるのではないか」ということです。

なぜそのような結論にいたったのか解説します。ポイントは三つ。

①思想を普及できるから。
②「吐き出せた」という安心感がある。
③①と②を各々がやることで「ネット言論空間」を育て、世界を少しでも変えられるかもしれない。

①について。まず私が息苦しさから解放されるためには、私の思想に近い考え方が世の中に受け入れられる必要があります。そのためには私は自らの思想を発表し普及していく必要がありますが、リアル世界で、例えば飲み会とかでそんなことをすれば面倒な人間と思われる可能があります。そして一度に普及できる人間も少ないので効率が悪い。またリアル世界には「建前」という厄介な概念があるのでそれも障害となりやすい。

一方でネットでの普及活動は匿名ですので見たい人だけ見れば良いし、無視されても構わない。一度に不特定多数の人に見てもらえる。「建前」より「本音」の方が受け入れられやすいという傾向があるので、こちらで活動した方が得策と言えます。私が触れたプラットフォームの中ではこのnoteが真面目度とカジュアル度のバランス的に最適だと判断しました。

②について。よくカウンセリングのポイントは解決策を提示することではなくて話を聞くこと、なんて言いますが、noteに書くという行為はいわばセルフカウンセリングのようなものです。書くことで自分の頭を整理し、客観視し、不特定多数の人の目に触れることで「吐き出せた」という安心感を得る。これが二つ目のポイントです。

③について。これはnoteに限ったことではありませんが、ネットに思想を書き綴ることで救われている人はそれなりにいるのではないかと思います。この国は思想や哲学を語るには不向きな社会です。(もちろん自分もその片棒を担いでいる自覚はありますが、私一人でどうにかできるものではありません)だけどネットなら語ることができます。だからこそTwitterがあんな感じに荒れてしまうのかもしれませんが、吐き出せないよりはいいと思います。ですので、90年代以前の日本にはなかった、「主義主張や思想を書き殴れる言論空間」をより拡大していくことで少しでも息苦しさからこの国を解放できるかもしれません。世界を変えるのは皆さんです。「世界を変えられる」というのは私の思想と矛盾しますが、矛盾を受けいれるのもまた人生です。

少し散らかった文章になってしまいましたが、「noteを活用することで世間とのギャップと閉塞感を少しでも埋めていけるのではないか」という仮説について解説しました。

そしてこの仮説から私が導き出した提案はこうです。

「ネット言論空間を今よりも更に普及し、それを皆に促していく記事やプラットフォームの創造」

私はこの文章を執筆するにあたり一つの重大な事実に気づきました。このnoteというプラットフォームは私の課題を見事に解決していたのです。私の「社会との乖離、息苦しさ」という課題に対して「自らの思想をのせた文章を執筆させ、それを不特定多数の人間に見せさせる」というソリューションを提示していたのです。であれば、私の使命はこの先人が作り出したネット言論空間をより拡大していくこと。そのためにはプラットフォームを盛り上げていく記事を執筆し、最終的には2ch、Twitter、noteに匹敵する言論空間の創造を目指す必要がある。そう感じました。良い営業マンは「話す」のではなく「聞く」と言います。であれば、良いサービスは「施す」のではなく「促す」サービスかもしれません。皆さんが息苦しい社会と戦う空間を提供する。それが真の課題解決なのではないか、という結論か出た所でこの文章を閉じます。

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