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PC入門者に覚えて欲しいこと

パソコン入門のゴール

筆者は、以前とある私立大学で情報処理という科目の非常勤講師をしていた。講義の内容はパソコンの使い方を教えるというものだった。意外に今の学生もパソコンは使えないものが多いので驚いた記憶があるが、その当時考えていたパソコン入門者の一応の目安を記しておきたい。

それは、ファイルのコピー、移動、削除、名称の変更など、ファイルの操作ができること。キーボードを使って文章を不自由なく入力できること。

ただし、ここに至るまでに覚えて欲しいことを含めると更に増える。纏めると以下の通り。

  1. キーボードとマウスの基本的な操作

  2. キーボードについている全てのキーの名称と基本的な役割

  3. パソコン画面の名称

  4. パソコン画面の各部の名称

  5. ファイルの操作

また、キーボードの操作スキルについては知識ではなくて、技能なので、こちらは習っても別に上達しない。やはり練習する必要がある。ただし、習った方が習得は早いし変な癖がつきにくいので長い目で見ると、やはり習ったほうが良いことはよい。

PC入門者が難しいと感じるところ

簡単にキーボードとマウスの基本的な操作というと、どういう項目があるかというと、キーボードでは、コンビネーション・キー(Shift+Ctrl+Enterなど)の操作方法であるし、マウスでいうと、ポイント、(シングル)クリック、ダブル・クリック、ドラッグ、右クリックなどである。

キーボードのキーというと、一度も触ったことのないキーや、読み方も全然分からないキーがあったりするらしいが、ESC, Ins, Tab, F1, F2など、一通り覚えておく必要があったりする。

この辺りの知識は意外に全部わかる人は少ない印象で、これらを覚えておかないと、何故ダメかというと、誰かに説明してもらった時に訳が分からなくなるから。

こうした、普段の生活では、まず使わないパソコン用語みたいなものが大量に登場することが、PC入門者が難しいと感じる最初の壁のような気がする。しかし、残念なことに教える側からすると、これらは覚えてくれとしかいいようがない。

ただ、一度に全部覚える必要はあまりないので、分からないことが出たらその都度、ちゃんと調べて覚えていくようにするのが望ましいだろう。

PC入門者が躓くところ

筆者が大学の非常勤講師をしていた時、結構多くの学生が躓くポイントとして気付いたのは、「手順」が登場するあたりだった。何かをする時に、2段階以上の手順が登場する操作を要求すると、明らかにできない者が出てくる。これが3段階以上の手順が登場すると、さらに酷くなる。

何故、こうなるのかは中々興味深いポイントだと思うのだが、要するに、目にも見えない抽象的な概念が介在する操作は理解するのが難しいようだ。

例えば、コピー&ペーストみたいな操作も、

  1. コピーしたい対象(文章だったり図形だったり)を選ぶ。

  2. キーボードでCtrl+Cを押下するか、コマンドからコピーを選択する。

  3. 貼り付けたい先にカーソルを移動する。

  4. キーボードでCtrl+Vを押下するか、コマンドからペーストを選択する。

となる。この時、一旦コピーして、目には見えないクリップボードというところに選択した対象(文章だったり図形だったり)を入れるのだが、こういった、目に見えないクリップボードみたいなものが登場するとついてこられないらしい。

後は、疑いだせばキリがないのだが、大学院で心理学を専攻した身からすれば、ワーキングメモリに入らない指示の特徴とか考えたくなったりするが、ここまでくると考えすぎな気がする。単純に説明が長くなると覚えにくいだけかも知れないし。

PCを使えることの価値

現代の日本で、PCを使えることの価値とは何だろうか。筆者は、大学は工学部で情報工学を専攻していたため、パソコンを使えるようになるのは当たり前と思い、勉強もしたし、タッチタイピングも練習した。プログラミングも覚え、ソフトウェア開発も随分としてきたつもりだ。

そんな筆者と、多くの一般の人たちとは同列に比べても仕方ないとは理解している。また、殆どの人たちは筆者と同等にパソコンを使えるようになってもあまり意味はないのかも知れない。だからといってパソコンを使える技能に価値がないかといえばそんなことはないと思う。

パソコンを使えるのは大卒者の6割程度

筆者みたいな人間にショックだったのは、とあるパソコン講師の話として「企業が大卒でパソコンを使える人を求人すると、大卒の時点で半数は弾かれ、パソコンを使える人という時点でさらに6割が弾かれる」という話を見かけた事だった。

何故、これがショックだったかというと、日本ではパソコンなんて使えなくても大学の卒業に問題がないとは謂われていたものの、具体的な数字としてこれが提示されたのを見たのは、これが最初だったからだ。

海外では、様子が一変する。アメリカ辺りだと、大学に進学した時点でパソコンがないと話にならなくなる。レポートを書くだけでなく、学生生活の多くの場面でパソコンがないと話にならなくなるので、問答無用でパソコンを利用しなければならなくなる。従って、大学では殆ど全ての学生がパソコンを持っているのだとか。これが日本だと、レポートもスマホで打ち込んでメールで送ればおしまいにできるところも多いらしく、パソコンを持っていない学生が思いのほか多いのだとか。これは昔から話としては聞いていたのだ。

現代日本で、パソコンを使えるといえる技能はどの程度のものだろうか。以前からExcelを十全に使える人間がそう多くはないと実感はしていたが、6割の大卒者がパソコンは使えないとか、これはそんな実感を遥かに超える。

DXやAIでコンピューターができることが増えればPCを使う人ができることも増える

いわゆる、ホワイトカラーと呼ばれた労働者階級がかつての日本には存在したが、現在では大変少なくなったといわれている。理由は、PCが普及したから。PCが、かつてホワイトカラーと呼ばれた労働者たちが行っていた仕事を消滅させといっても良い。その分、PCを使える人間が増えたのかと思っていたが、どうも、そういう感じではない。

やれ、DXだのAIだので今まで人間が担ってきた作業のうち更に多くがコンピューターによって肩代わりすることが期待される世の中でPCを扱える技能は陳腐化して価値がなくなるのか。そんなことはないのである。

PCを使う技能があれば、今まで人手に頼ってきた作業の多くを自動化できる。DXやAIでコンピューターができることが増えれば、PCを使える人間ができる仕事が増える。DXやAIとか言わなくてもコンピューターやソフトウェアの性能が上がれば、PCを使える人間の価値も概ね上昇するのである。

PCが使えるとは

PCが普及するようになったのは、それが一般の職場で仕事で使われるようになってからであり、1980年代後半あたりからだった。この頃から、PCを使うニーズは高かったのだと思うが、中々従業員1名にPC1台などという環境は整わなかったし、PCがあっても特定の作業に使えるという人が殆どで、前述した「パソコンを使える人」という人には該当しない場合が多い。

PCを使える人に期待される能力とは、定型化されていない作業を定型化して効率よく仕事を片付けていくことである。時々、「他の人にできない高度なことができる能力」みたいに思っている人がいるようなのだが、ちょっと違うと思う。

統計分析とか、オペレーションズリサーチ(OR)とか、専門的な知識がないとできない仕事は確かに存在するが、所謂、「パソコンが使える人」に期待される能力はそういうことではない。

世間的には、やはりExcelが使えると「パソコンができる」みたいに思われる風潮は強いと思うのだが、やっぱりこれも「効率よく仕事を片付けていく」という視点よりも美麗な表を作成する能力の方に目がいっている印象が強い。効率よく仕事を片付けていくというのも「今まで2時間かかっていた作業が2分で終わるようになりました」系の話が多いのだが、これもちっと違うと思う。こなして欲しいのは「仕事」であって「作業」ではない。

最後に

この文章は、多分に筆者のグチである。かつてWindows95が発売されたタイミングでPCがもの凄く売れた時期があった。この頃から本格的にパソコンが普及した印象がある。
この頃、パソコンの入門書として「パソコンのパの字から(サトウサンペイ著)」というのを見て、驚いたのを今でも覚えている。また、「こんなもんいかがっすかぁ(水玉 螢之丞著)」とかを読んで、一般の人たちのパソコン観に衝撃を受けたのも思い出である。
時々、パソコン入門者の感性って、この頃からそんなに変わってないのかなと思う。これらの著書が発行された頃というと、まだまだインターネットだって普及してなくて、パソコンで動画の編集どころか、イラストの作成も大変だった時代。ExcelがMacintoshでしか動かなかった時代が終わって、やっとWindowsで使えるようになり始めた頃。これからはデジタル機器が当たり前になって、若い子はパソコンとか当たり前に使えるようになると、おじさんたちが勘違いしていた。バブルの時代は、明日は昨日の続きじゃない、みたいな思いがあったのだが、どうも現実は微妙だった。

明日は、どっちだ?

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