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教育の成果主義

私が教員採用試験の面接で、最後に問われたこと。

「企業にとっての『生産性』は、教育では何だと思いますか?」

私が、転職組だったからだ。

私「企業は利益を追求しますが、教育はそうではありませんから、
『どれだけ早く深く生徒と心を通じあうことができるか』
でしょうか?」

と、答えた。

すると、試験官は、

「受験合格率、と答えることを危惧していました」

と、言った。

それが今や、
教育にも成果を求めるべきで、
成果は具体的な数字であるべきで、
はっきり言えば、大学合格率なんだと。

合格率をあげるには、二つの方法がある。

全校的に合格率をあげるには、
生徒を偏差値で輪切りにして、
それぞれ合格可能性の高い大学を中心に、受験校を決める。
今の受験は多様化しているから、
推薦入試も、学校推薦は欠員が出ないように割り当てる。

難関大学、特に東大の合格率をあげたいのなら、「見かけ」の合格率を上げれば良い。

合格可能性のある生徒をできる限り多く東大受験させて、受験者総数を増やす。
他の難関大学志望の生徒を説得するわけだ。
受験者総数が増えれば合格者数も増える。

東大合格者数の表に、受験者総数はない。
浪人も含めた受験者総数など、正解に把握できるものではないし、ほとんどの人は気にも止めていない。
せいぜい「現役合格率」卒業生総数に対する現役合格者の割合までだ。

受験者が増えれば不合格者も増える。だが、それは数字には出ない。

これが、教育における成果主義だ。

ところで、「人材を育てる」のは、企業にとってはコストである。
コストを抑えるなら、

大学受験で学力を輪切りにされているから、大学名でフィルターをかける。
TOEICなどで、また輪切りにし、一定数を採用する。

ところが、全員を人材育成するのは、実は不可能である。
学力は、仕事の適性を保証するものではないからだ。
ここでコストをかけるのを厭わないなら、
できる限り多くの人材を育てるべきだが、

コスト重視なら、
必要数を育成したら、
残りは切り捨てる。

教育には、社会に役立つ人材を育てるという側面がある。
「即戦力となる人材を、学校が育てるべきだ」という声もある。応じる動きもある。

知識の定着はテストで数字にできるから、
指標にしやすいのは、仕方ない。だが、

「心」、どこ行った。

最後に問いたい。

「企業にとっての『生産性』は、教育では何だと思いますか?」

【2018/08/18加筆修正】

#大切にしている教え

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