白い貝殻



おばあちゃんの告別式は淡々としていた。

お父さんやお父さんのお兄さんは親が死んだとは思えないほどテキパキと動いていて、ご遺体に別れを告げるその瞬間まで涙ひとつ流さなかった。こんなもんなのかな、と私は思った。実の親がしんだら、今の私ならまだまだ甘えたい年頃だし、わあわあ泣いてその後の手続きなんて頭の片隅にも入らない。でも、お父さんやお父さんのお兄さんは、死んだおばあちゃんの遺産や、保険や、相続なんかを死んだその日からあっちこっち回って引き継いでいたらしい。人は死んだ後の方が大変だなんて、誰かから聞いたことあるけど本当にそうなんだ。

私は、よくわからない重たそうな鉄の中でごうごうと焼かれて真っ白な貝殻みたいになったおばあちゃんを見て、目の周りをあつくしていた。

実際、私も告別式ではあまり泣かなかった。お坊さんの永い読経は退屈だったし、火葬の間に食べたご飯は冷たくて美味しくなかった。貝殻みたいになったおばあちゃんを見て泣きそうになったのは、並んでいた人のうちの誰かの啜り泣く声が聞こえたからだ。そうして、淡々と済ませられた告別式は朝に始まって、昼過ぎにはもう終わっていた。

私は「この後一度おじいちゃん家に帰る」と言ったお父さんの表情がいつもと何も変わらないのを見て、薄情だなあと思った。

家に戻ると、知らない人が何人もおじいちゃんの家にいた。誰がいつの間に家にあげたんだと少し怖くなったけど、そういえば先にお父さんのお兄さんが帰っていたのを思い出して、安心した。知らない人たちは、おばあちゃんの、居間に置かれた大きくて白い仏壇に手を合わせるとすぐに帰っていった。

一週間前、私が来た時、まだおばあちゃんはおばあちゃんの形で居間に寝ていた。死んではいたけれど、人の形をして寝ているみたいに目を瞑って横になっていた。

死んだ人を見るのは初めてだった。
親戚が死ぬのも初めてで、事故や事件で知らない人が目の前で死ぬという稀有な体験もしてこなかった、幸運な人間だったから、その日、初めて私は死んだ人間を見た。

おばあちゃんは冷たくて、しかもすごく痩せていた。その年の年始にあったときのおばあちゃんとは全く違っていて、日に焼けていない白い皮膚が頬の骨に沿って張り付いていてなんだか骸骨みたいだと思った。そんなこと、言える雰囲気ではなかったから、私は周りに合わせて口をつぐんでいた。
おじいちゃんは、おばあちゃんの頭を何度も撫でていた。白くなった髪を解かすように何度も上から下へ撫でては、たくさん来てくれたよ〜と、来訪者の一人一人の名前をおばあちゃんに伝えていた。私は、よくそんなに一人一人の名前を覚えているな、と思ったし、おじいちゃんが、おばあちゃんが死んでからも、まだ元気でいてくれそうなのを見てホッとしていた。

おばあちゃんの骨壷は重くて、持ち上げるとジャラ、と音がした。人間の骨は大体全部で206個あるらしい。その全部が今この壺の中に入っていると思うと、人間は死んでもこんなに重さが残るのかとびっくりした。

火葬の間に食べたご飯を残してしまったせいでお腹が空いていた私は、おばあちゃんの家にあった煎餅や餅やジュースやアイスなどを好きなだけ食べた。

おばあちゃんは家に私たち孫家族が来ると、食べな食べなと言って、冷蔵庫や棚からいろんなものを出してきた。今年の年始もそう言って色んなものが食卓に並んでいたけれど、結局食べきれることはなかった。

アイスは桃とりんごの味があって、おばさんが桃がいいと言うので、私はりんご味のを食べた。涼しくて、知らない人たちが忙しなく出入りする家。仏花と線香の入り混じった匂いが私のおばあちゃん家の思い出を塗り替えていくようだった。

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