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大車輪11の記録 -後編-

前回:大車輪11の記録 -前編-

開場までで3000文字を費やした。表向きにはお客さんが入場しただけの前編。
イベント開催から早くも1週間が経ったけれど、今回も時間を当日まで戻してお届けする。

開場時間中のこと

開場時間と転換中は、僕が選曲したプレイリストをBGMとして流していた。その時間の話をしたい。

1組目、ノンブラリの出番まであと10分ほどに迫った時間のことだった。
それまでステージ横の控え室にいた、ボーカルの山本きゅーりさんがおもむろにフロアに現れ、僕を見つけて伝えてくれた。

「わたし、この曲、すっごく好きなんです!」

そのとき流れていた曲は【2】というバンドの「Family」だ。

ノンブラリの出番近く、会場の雰囲気をガバッと立ち上がらせるために入れたけど、まさかメンバーご本人を奮い立たせるとは思いもしなかった。
「2の曲で一番好きです!」と盛り上がっていたら、今度はお客さんが「この曲は誰の何て曲ですか?」とPAさんに尋ねていた。
僕が小走りでそこまで行き、今度は「Laura day romanceってバンドのSad numberって曲です」と伝える。選曲に1ヵ月半かけて本当に良かった。

余談だが語らせてほしいことがある。
当日に流した日本語歌詞の曲は、必ず好きな歌詞のフレーズが入っていることにこだわった。
Familyなら"いくつになっても放蕩息子"、Sad numberなら"あくびがうつるくらい そばにいたのに"といった具合に。
選曲中に田我流のセンチメンタル・ジャーニーが流れ、"確実に 赤なのに 笑ってるオーガナイザー"というラップに気づき、「こうでありたい!」とプレイリストに加えた瞬間は印象深い。

そして定刻から5分過ぎ、ノンブラリのライブがスタートする。

1組目:会場の心と体をほぐしたノンブラリの演奏

5年振りのイベントで音が鳴ると、さすがに高揚感を覚える。

会場全体を俯瞰して見られるところで鑑賞していて、ノンブラリのグルーヴが会場を徐々に包み込んでいくのが分かって胸が高鳴った。

ノンブラリのライブは、メンバーが近くで演奏している以上に、楽曲そのものがこちらに向かって表現してくる感覚になる。
メンバーが曲の中に入って、外側のこちらに向けて曲が鳴っているとでも言おうか。曲に顔や手足があるんじゃないかと思うくらいに表情豊かで、心へダイレクトに響いてくるものがあった。

ゆったりした楽曲に身体全体が包まれ、ついに楽曲の中に僕自身も取り込まれてしまい、気づいたら全身で大きなリズムのうねりに乗っていた。
僕はこうなるまで2分くらいだったけど、初見であろうお客さんたちも、ライブが進んでいくにつれて思い思いに揺られていた。
その光景を見て、夜になると町のあかりが一つ、また一つ増えていく温かな景色が頭の中に浮かんでいた。

MC中、ドリンクカウンターにいたNEPOの白水さんに思わず「ほんっと、良いぃ~~バンドですね・・」「そうですね・・・」と幸福な溜息を漏らしあったほどだ。

今年リリースした「凪」「美しい日々」は、過去の曲よりも圧倒的に音数が少ない。
メロディーと楽器が鳴らす一音一音に意味があって、動かせる音が本当にないことを改めて感じさせられた。それなのにこちらが入り込む隙があるのが、ノンブラリの音楽を日常の中で愛でたくなる理由なのだろう。

きゅーりさんが身振り手振りを交えながら歌うから、歌詞もより解釈が深まる形で伝わってくる。

ライブの最後を飾る「ながい日記」は、僕としては大好きな歌詞が詰まりすぎている。特に好きなところは・・

大人は顔に出してはダメよ
お茶目なフリで笑っててね
本当のことは見ててあげるよ
心の奥で待ってて

嫌なことがあった日、帰り道についノンブラリを聴いてしまうのだけど、この部分が歌われるたび電車の中で何回泣きかけたことか。

でもこの日のライブはとにかく心地よかった。

最後の「ハローグッバイ いつだって ハローグッバイ そばにいる」の一節ですべてが赦されるような、あの感覚。ありがとうと言いたくなる。
ライブ終わりには心がポカポカしていて、大好きな曲の大好きな歌詞が体験できて、幸せな気持ちでいっぱいになった。

ノンブラリは新曲の録音が終わっていて、リリースが近いうちにあるだろう。
この日に演奏された曲であるかは定かではないが、日常にまた彩りを加えてくれることを想像すると楽しみでならない。

2組目:言葉のすべてに、会場全員がかじりついた神門のライブ

※ライブレポート中だけ神門(ごうど)さんのことを敬称略します。

神門は2018年にフルアルバム「エール」を出して1年も経っていない。しかし、ライブはなんと新曲だけで固めた45分。
しかも大車輪で初披露する曲が2つも!その上で「このセットリストが今のベストです」と言い切る。

誰に対しても未知の曲ばかりで、本当の意味でのリアルなリアクションだけ湧き起こる現場の空気。結果からいうと、とんでもないことになった。

神門がライブに向けて神経を研ぎ澄ます時間である(と僕は思っている)、1曲目のインストが始まった時点で完全に場の空気が変わった。
本人は無言でステージ上を恣意的にウロウロしているだけで、何が起こるんだろうな・・と誰しもが思った。
しかし程なくして「イメージしてたラッパーとは全然違うな」と思わせるに充分な、本人の真っすぐな人柄が伝わるシンプルなMCが挟まれる。

そして次の曲、最初のバースがラップされた時点でそれは起こった。
神門が発する一語一句も聞き逃すまいと、全員が一斉にステージに集中したのを、肌で感じたのだ。最前列に陣取る神門ファンはもちろん、他の人たちも完全にロックオンしている。
あの一点に向かうエネルギーの集合体みたいなもの、自分のイベントでは体験したことがなかった。ステージ上でラップする一人の男は、それを五感で確かに浴びながらラップを繰り出していく。

実体験や日常の中で思うちょっとしたことが、ときにシリアスに、ときにユニークに、緩急を持たせながらラップされていく。
そのどれもが僕らの心を通り過ぎることなく、何かしらの感情を揺さぶってくる。

そして、リハーサルで「このパンチラインはヤバすぎる・・!」と思った、初披露の「接客」という曲のときにそれは起こった。

レジ打ちで最低な接客をされたときに頭の中に浮かぶ呪いの言葉が、そのパンチラインなのだが・・
一度そこまでラップしたあと、突如ライブが中断された。何事かと思うと、「この曲の音小さくないですか?大丈夫ですか?」とお客さんに確認する神門。
みんなの頷きを確認してから冗談めかして「最後のとことか、盛り上がってくれていいんですよ!」と添えて、また「接客」の最初からやり直す。

そして、遂に・・
明らかに接客業が向いてないレジのおばちゃんに対する呪いの言葉・・

神門「さっさとAIに職を奪われろ・・!」

みんな「ウオオオオオオーーーッ!!!」

声を出していいか迷っていたり、少し恥ずかしい気持ちがあった人たちの【解放】を見た。

これはすごいことだと思う。

バンドのお客さんがラップの文化に足を踏み入れた瞬間だ。

これ以降は、同意できるラップやMCがあったときには積極的に声が上がるようになったし、笑えるところは腹を抱えてみんなで笑った。

普段は神戸で活動している神門は、東京でも年に何度かライブしている。僕もまた絶対観に行く。感情を解放されに。

3組目:大車輪としてのトリはPOLTA以外ありえなかった

神門と会場の全員が作り上げた「完全に神門色全開の雰囲気」は、転換中も強く残っていた。あの場に居合わせた全員がそれほど濃い体験をしたと言える。

しかしPOLTAが入場し、1曲目の「さいごのドライブ」が始まった瞬間、僕は完全にPOLTAファンとしての自我を取り戻した。
フロアの最後尾で観ることにより、個人的盛り上がりポイントで気兼ねなく腕を上げて楽しむ。さいごのドライブのサビで上げるのはクセになりそうな気持ち良さだ。

会場の雰囲気も、気づけばすっかりPOLTAになっていたのが流石だった。
(心の中で深い頷きをするような、ちょっとした保護者目線になってしまうのはどうしてだろう)

演奏後のことだが、メンバーは「自分も持っていかれちゃいそうで、神門さんのライブは少ししか見られなかった」と話していた。
それがあったからかステージからはメンバーたちが自らを奮い立たせるような気迫を感じる。
僕は転換中にも、今のPOLTAなら「(神門さんは素晴らしかったけど)・・と、いうのがありまして!」って感じにバッサリ空気を変えられる!と思っていた。
完全に【言うは易く、行うは難し】のやつだ。それでも結果的には見事に自分たちの空気の中でライブしていた。

中盤に披露された「とけいのむこう」は尾苗さんの曲だけど、傑さんのベースにも注目が集まる。
この日は歌メロと並走するキレキレなベースラインがよく抜けて聴こえて、個人的にベストオブとけいのむこうだった。傑さんとPAさんの力量、そしてNEPOの音響が光る瞬間だ。

MCもすごく嬉しかった。
2013年に初めて企画に出てもらったときのことを話してくれたり、トリがPOLTAであることを噛みしめてくれていたり、本当に主催者冥利に尽きる。

9曲目の「失踪志願」では、それまで大人しかったお客さんたちが無事変貌を遂げた。
この日は9曲分、【失踪したいって叫びたいゲージ】が溜まっていたのだろう。会場の爆発力に僕ですら多少たじろいだ。

そして、本編最後の10曲目。

2018年4月のライブのことだ。
このツイートには間違ってアンコールと書いているけど、本編最後に演奏された「春が過ぎても」を聴いて「ああ良かった、人生は続いてくんだな・・」という思いが全身に広がっていった。
大げさではなく僕の人生を良いものに変えたライブだった。こうして企画をやろうと思ったのもPOLTAがいてくれたからだし。

この日はメンバーの粋な計らいで、「春が過ぎても」を最後に演奏してくれた。季節外れなのに本当にありがたい。去年とはまったく違う感慨深さで胸がいっぱいになった。
去年の当時の僕に教えてあげたい。よく聞け。お前はイベントを再開して、POLTAがお前のための曲を鳴らしてくれるんだ。生きてればいいことあるぞ。

アンコールで演奏したのも、個人的にPOLTAとの出会いの曲「遠くへ行きたい」だった。
出会った頃よりも表現力に深みが増していて、もはや当時の印象とは全然違う。
尾苗さんの刹那的な歌いまわしや、曲の中での緩急には目を見張らずにはいられなかった。
しかし傑さんが作る曲、「失踪志願」「遠くへ行きたい」・・次はどんな言い回しでどこか見知らぬ土地へ行こうとするのだろうか。楽しみだ。

こうして大車輪11は大盛況で幕を閉じた。
客観的に見ても大盛況だっただろう。

そう断言できるのは、過去に記憶にないくらい色々な人から「本当に素晴らしい日だった」という言葉をいただいたからだ。

しかし!

なんと僕はセッティングしただけで当日は何もしていない。リハのときソワソワしていただけの人間だ。出演者とNEPOの皆さまが素晴らしかったのである。

今後も吉祥寺NEPOで、やりたいときにイベントをやっていく。

終演後、打ち上げで最後まで付き合ってくれた神門さん、ライブDJ和音さんと吉祥寺駅にて。

帰りの電車で一人になった瞬間の寂しさったらなかった。

リハーサルのソワソワした時間から、三人でビールを駅まで飲みながら帰ったあの時間まで、覚えている瞬間すべてが宝物だ。

有料記事の収益やいただいたサポートは、ライブイベント大車輪に関わる運営費の足しにさせてもらいます。